君と夜通し見るはずだった花火第1話
この話は約2481字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
私の名前は、藤森紗弥(ふじもり さや)。
婚約者の明智修司(あけち しゅうじ)はまた浮気をした。今度の相手もまた私の身代わり・大橋春菜(おおはし はるな)だった。
私は彼の好みに合わせて、か弱くて清楚な女らしく見えるように着飾り、彼をなんとか引き止めようとした。
けれど修司は、自分の手で私のメイクを落としながら言った。
「いい子だ。でも、こういうのはお前には似合わない」
そのうえ――
「ほかの女なんて、ただの気まぐれだ。将来、妻になるのはお前だけだ」
そんな約束まで口にした。
修司の許しを得て、春菜は私の代わりに表彰台に立ち、私が受け取るはずだった賞まで手にするようになり、やがて彼の隣で一族の集まりにまで顔を出すようになった。
挙式のリハーサルの最中でさえ、修司のイヤホンから流れていたのは、彼と春菜が二人で作ったプレイリストだった。
眉をひそめたまま動かない私を見て、修司は苛立ったように言った。
「わざわざ取締役会までずらして来てやったのに、まともに集中することもできないのか?
そんなに嫌なら、春菜に代わってもらえばいい」
そのときの私は――もう、自分のために言い争うことすらしなかった。
ただ淡々と「……いいよ」と答えた。
その瞬間、スマホが震える。
海外にいる――昔から何かと張り合ってきた七瀬蓮也(ななせ れんや)からだった。
【紗弥。あのときの縁談、どうして俺を選ばなかった?】
* * *
私の名前は、藤森紗弥(ふじもり さや)。
婚約者の明智修司(あけち しゅうじ)はまた浮気をした。今度の相手もまた私の身代わり・大橋春菜(おおはし はるな)だった。
私は彼の好みに合わせて、か弱くて清楚な女らしく見えるように着飾り、なんとか引き止めようとした。
けれど修司は、自分の手で私のメイクを落としながら言った。
「いい子だ。でも、こういうのはお前には似合わない」
そのうえ――
「ほかの女なんて、ただの気まぐれだ。将来、妻になるのはお前だけだ」
そんな約束まで口にした。
修司の許しを得て、春菜は私の代わりに表彰台に立ち、私が受け取るはずだった賞まで手にするようになり、やがて彼の隣で一族の集まりにまで顔を出すようになった。
挙式のリハーサルの最中でさえ、修司のイヤホンから流れていたのは、彼と春菜が二人で作ったプレイリストだった。
眉をひそめたまま動かない私を見て、修司は苛立ったように言った。
「わざわざ取締役会までずらして来てやったのに、まともに集中することもできないのか?
そんなに嫌なら、春菜に代わってもらえばいい」
そのときの私は――もう、自分のために言い争うことすらしなかった。
ただ淡々と「……いいよ」と答えた。
その瞬間、スマホが震える。
海外にいる――昔から何かと張り合ってきた七瀬蓮也(ななせ れんや)からだった。
【紗弥。あのときの縁談、どうして俺を選ばなかった?】
……
「紗弥、俺の時間は貴重なんだ」
修司は、私が上の空でいることを責めるような目を向けてきた。けれどその視線は、最初から最後まで隣に立つ春菜に向けられたままだった。
春菜は、父が幼い私を守るために用意した身代わりだった。
ずっと影のように私のそばにいて――いざというときは、私の代わりに危険を引き受けるための存在として育てられた。
……なのに。
急に、何もかもが馬鹿らしくなった。
「じゃあ、その子にやってもらえばいい」
私はベールを外し、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。
けれど修司が呼び止めた。
「紗弥。そのドレスを脱いで春菜に渡してやれ」
その冷たい目を見た瞬間、ただ馬鹿らしいと思った。
ここには百人近く人がいるのに、その前で私にドレスを脱げと言うのだ。
「……今、ここで?」
「そうだ」
修司は白紙小切手を叩きつけるように私の前へ差し出した。
「好きな額を書け」
その瞬間、胸の奥に残っていた執着が、すっと消えた。
私が動かないのを見て、修司は鼻で笑う。
「今までずっと俺の金で実家の会社の穴埋めをしてきたんだろ。今さら何を気取ってる?」
何十年も一緒にいたのに――最後に残ったのは、疑いと悪意だけだった。
その一方で春菜は、うつむいたまま何度も手を振る。
「だめです、そんな……私なんかが、こんな素敵なドレスを着るなんて。
お嬢様が、きっとお怒りになります」
その一言で修司は、今季の最新オートクチュールドレスまで迷いなく春菜に差し出した。
「俺がいいと言ったらいいんだ。俺には、お前が紗弥に劣って見えたことなんて一度もない。
あいつが怒りたいなら勝手に怒ってればいい。毎日まるで、俺に何かされたみたいな顔ばっかりしてさ」
その言葉は、修司の握るマイクを通して会場の隅々まで響き渡った。
今日はただのリハーサルのはずなのに、同じ社交界の人間が大勢、見物半分で招かれていた。
誰もが思わず私に視線を向けていた。
かつて夕凪市でいちばん誇り高いと噂された令嬢が――金のために頭を下げるのか、それを見届けたかったのだ。
逆らったところで、父の会社の損失が増えるだけだと分かっている。
借金も、さらに膨らむだけ。
最悪なのは――海外で療養している父の治療費すら払えなくなること。
この前、仕事のもめ事で春菜は、私に飛んできたコーヒーを代わりに浴びた。
それだけで修司は会社の運転資金をすべて引き上げ、私が二か月かけてようやくまとめかけていた契約を白紙にした。
父はそのせいで倒れ、そのまま入院した。
修司は分かっている。
私には最初から、逆らう余地なんてないことを。
私がためらいもなくファスナーに手をかけるのを見て、修司は苛立ったように近くにあったブーケを私に投げつけた。
「もういい!
紗弥、お前がここまで情けない女だとは思わなかった」
薔薇の棘が肌をかすめ、細い傷から血がにじむ。
私はしゃがみ込み、小切手を拾い上げた。
昔、彼を救ったことへの――遅すぎる見返りだと思うことにした。
私たちの関係を、お金で換算するようなことはしたくないから。
これで本当に、私たちはもう何の貸し借りもない。
扉の近くまで来たところで、春菜の少し弾んだ声が背中に届いた。
「修司様、それは……私なんかがつけていいものじゃありません」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)