名もなき星として輝く第1話
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橘結衣(たちばな ゆい)と九条蒼真(くじょう そうま)は、学生時代からの交際を実らせて結婚した、誰もが羨む理想の夫婦だった。
しかし結婚して五年目、蒼真は不倫をした。
結衣は、見るに堪えない写真の束を彼のデスクに静かに放った。泣き喚きもせず、問い詰めもせず、ただ極めて静かな声で告げた。
「あの女と別れるか、私と子供たちが出て行くか、どちらかにして」
それは結婚以来、初めて見舞われた大きな波乱だった。
結局、蒼真は家庭に戻ることを選んだ。
生活は平穏を取り戻したかに見えた。
蒼真は定時に帰宅し、子供たちの面倒をよく見、結衣に対しても穏やかで礼儀正しかった。だが、二人の間には見えない溝ができ、もう以前のような関係には戻れなかった。
ある日、結衣は取材を早めに切り上げ、子供たちを驚かせようと幼稚園へ迎えに行った。
幼稚園の門前に着いた途端、五歳になる双子の悠真(ゆうま)と結愛(ゆあ)が、歓声を上げながら、ベージュのワンピースを着た華奢な女性の胸に飛び込んでいくのが見えた。
その女性はしゃがみ込み、優しく腕を広げて二人を抱き止め、溺愛するような笑みを浮かべていた。
結衣の足が止まり、得体の知れない胸のざわめきを覚えた。
水城莉奈(みずき りな)。蒼真の不倫相手だったあの女が、なぜここにいるのか。
次の瞬間、結衣の血の気を引かせるような光景が目に飛び込んできた。
* * *
橘結衣(たちばな ゆい)と九条蒼真(くじょう そうま)は、学生時代からの交際を実らせて結婚した、誰もが羨む理想の夫婦だった。
しかし結婚して五年目、蒼真は不倫をした。
結衣は、見るに堪えない写真の束を彼のデスクに静かに放った。泣き喚きもせず、問い詰めもせず、ただ極めて静かな声で告げた。
「あの女と別れるか、私と子供たちが出て行くか、どちらかにして」
それは結婚以来、初めて見舞われた大きな波乱だった。
結局、蒼真は家庭に戻ることを選んだ。
生活は平穏を取り戻したかに見えた。
蒼真は定時に帰宅し、子供たちの面倒をよく見、結衣に対しても穏やかで礼儀正しかった。だが、二人の間には見えない溝ができ、もう以前のような関係には戻れなかった。
ある日、結衣は取材を早めに切り上げ、子供たちを驚かせようと幼稚園へ迎えに行った。
幼稚園の門前に着いた途端、五歳になる双子の悠真(ゆうま)と結愛(ゆあ)が、歓声を上げながら、ベージュのワンピースを着た華奢な女性の胸に飛び込んでいくのが見えた。
その女性はしゃがみ込み、優しく腕を広げて二人を抱き止め、溺愛するような笑みを浮かべていた。
結衣の足が止まり、得体の知れない胸のざわめきを覚えた。
水城莉奈(みずき りな)。蒼真の不倫相手だったあの女が、なぜここにいるのか。
次の瞬間、結衣の血の気を引かせるような光景が目に飛び込んできた。
娘の結愛は親しげに莉奈の頬にすり寄り、あどけない声で呼んだ。
「ママ!」
息子の悠真も続く。
「ママ!今日はアイスクリーム食べに連れてってくれるって約束したよね!」
ママ?
結衣は雷に打たれたような衝撃を受けた。全身の血が逆流して頭に上り、次の瞬間には氷のように冷え切っていくのを感じた。
蒼真は、莉奈と縁を切っていなかったのだ。
縁を切っていないどころか、堂々と子供たちの生活に入り込ませ、あろうことか「ママ」と呼ばせているなんて。
計り知れない衝撃と怒りで理性を失った結衣は、猛然と駆け寄り、莉奈の腕の中から二人を乱暴に引き剥がした。
「あなたたち、今この人をなんて呼んだの!」
結衣の声は怒りで震え、顔色は恐ろしいほど蒼白になっていた。
二人は結衣の剣幕に驚き、それが母親だとわかると一瞬焦ったような顔をしたが、すぐに不満げな表情に変わった。
悠真は眉をひそめ、莉奈の前に立ちはだかった。
「ひどい!莉奈おばちゃんが、びっくりしたのよ!」
結愛も口を尖らせた。
「そうよ!なんで莉奈おばちゃんを驚かすの?」
「答えなさい。さっきこの人をなんて呼んだの!」
結衣は二人を鋭く睨みつけた。
悠真は顔を上げ、子供の未熟さで言い放った。
「ママって呼んだの!莉奈おばちゃんは優しくて、かわいくて、一緒に遊んでくれるし、絵本も読んでくれるもん。おいしいお菓子も、おもちゃも、いーっぱい買ってくれる!
ママなんて嫌い!いつもお仕事ばっかりで、お家に帰ってもお部屋に閉じこもって、僕たちにプンプン怒ってばっかり!」
結愛も小さな声で付け加える。
「莉奈おばちゃんは、ぜったいに怒らないもん……」
言葉の端々が、氷の刃となって結衣の心臓を容赦なくえぐった。
莉奈は慌てて立ち上がり、いかにも申し訳なさそうな表情を作って結衣の手を引こうとした。
「結衣さん、怒らないでください。子供たちはまだ小さいですから、つい口走ってしまっただけで……気にしないでください」
「触らないで!」
結衣は思わずその手を強く振り払った。
莉奈は短い悲鳴を上げて数歩よろめき、コンクリートの地面に派手に倒れ込んだ。擦りむいた膝からは血が滲み出していた。
「莉奈おばちゃん!」
「ひどい!莉奈おばちゃんをドンってした!」
子供たちは即座に金切り声を上げた。
悠真は怒れる小さなライオンのように飛びかかり、結衣のすねを蹴り飛ばした。
「悪いやつ!あっちいけ!莉奈おばちゃんをいじめるなー!」
結愛はすぐさまリュックからキッズ携帯を取り出し、慣れた手つきでボタンを押すと、泣き声で叫んだ。
「もしもし、お巡りさん!幼稚園の前に悪い女の人がいて、ぶったりしてるの!ママをドンってして、血がいーっぱい出てるの!早く来て!」
結衣はその場に立ち尽くし、息子に蹴られるがままになりながら、娘が警察に自分を「悪い女」だと通報するのを聞いていた。そして、地面に座り込む莉奈が、涙ぐみながらも挑発的な笑みを向けてくるのを見ていた。
全身の血の気が引き、指一本動かすことができない。まるで荒唐無稽で残酷な悪夢を見ているようだった。
警察官はすぐに駆けつけ、全員が警察署へと連行された。
子供たちは莉奈に寄り添い、警察官に向かって口々に結衣の悪行を訴えた。
莉奈は目を赤くして小さくすすり泣き、ひどい目に遭いながらも必死に耐える、か弱い被害者を演じていた。
結衣は少し離れたパイプ椅子に無表情で座り、この馬鹿げた茶番を見つめながら、ただ胸の空洞が広がっていくのを感じていた。
しばらくすると、警察署の入り口が騒がしくなった。
二人の護衛を引き連れ、蒼真が足早に入ってきた。
オーダーメイドのスーツに身を包んだ、蒼真の端正な顔立ちには仕事の疲労が浮かんでいたが、それ以上に焦燥感と苛立ちが滲み出ていた。
彼は現場を一瞥し、結衣の蒼白な顔に一瞬視線を止めた後、泣いている莉奈と悠真、結愛に目を向け、すぐに眉間を揉んだ。
当直の警察官に低い声で事情を話し、名刺か何かを提示すると、警察官の態度は即座に恭しくなり、何度も頷いた。
「かしこまりました、九条社長。事情は把握いたしました。これは単なる誤解ですので、皆様お帰りいただいて結構です」
「パパ!」
「パパ!この人が莉奈おばちゃんをドンってしたの!それで、お巡りさんに連れてこられたんだよ!」
子供たちはすぐさま蒼真にすがりつき、先を争うように告げ口をした。
莉奈も立ち上がり、怯えたように蒼真を見つめた。目尻を赤くし、唇を噛みしめたまま何も言わず、ただ黙って涙を流していた。
蒼真は子供たちをなだめるように軽く背中を叩き、莉奈を一瞥した。その瞳には複雑な感情が入り混じっていた。
そして、結衣の前に歩み寄ると、声を潜め、あからさまな苛立ちを込めて言った。
「結衣、また何を騒いでいるんだ。こっちはついさっき海外とのオンライン会議を終えたばかりで疲れ切っているというのに、お前が人を殴って警察沙汰を起こしたと電話が来た。しかも、子供たちの目の前でだと?」
結衣は顔を上げ、この見慣れた、そして見知らぬ男の顔を見つめた。
かつて、この顔には彼女への深い愛情と優しさが溢れていた。しかし今は、苛立ちと非難しか残っていない。
「私が騒いでいる?」
結衣は口角を引きつらせた。その笑顔は泣くよりも悲痛だった。
「蒼真、まずは私に説明するべきじゃないの?あの時、水城とは縁を切ったと誓ったはずよ。どうしてその女がここにいるの?どうして子供たちがその女をママと呼んでいるの!」
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