口紅が暴いた、夫と義母の一年間の嘘第2話
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奏士の母がキッチンから顔を出した。
私を見るなり、満面の笑みを浮かべた。
「まあ、美桜さんも来たの?奏士がポタージュを作ってくれたのよ。ちょうどいいわ、あとで一緒に飲みましょう」
足が止まった。
家ではキッチンに立とうともしない人が、母の家ではポタージュを作るの?
黙って部屋へ入ると、奏士の母は嬉しそうに話し続けた。
「最近はしょっちゅう顔を見せてくれるの。料理を作ったり、一緒に食事をしたり。本当に優しい息子だわ」
私は努めて穏やかに尋ねた。
「具合はどうですか?」
「もうずいぶん楽よ。奏士が来てくれると安心して、痛みもすぐ引くの」
あまりに自然な口ぶりに、疑っている私のほうがおかしい気がしてきた。
ただ息子に会いたかっただけなのかもしれない。
考えすぎだったのだろうか。
奏士の母に勧められてソファに腰を下ろし、何げなくローテーブルに目を向けた。
テーブルの中央に、ボウルが一つ置かれていた。
底にはわずかにポタージュが残り、縁には薄い口紅の跡がついていた。
奏士の母の顔を見た。
その日は口紅を塗っていなかった。
「お義母さん、誰か来ていたんですか?」
さりげなく尋ねると、奏士の母は一瞬、表情をこわばらせた。
代わりに奏士が答えた。
「ああ、近所の人だよ。たまたまポタージュができたところに来たから、一皿出したんだ」
私はうなずき、それ以上は追及しなかった。
しばらくして、奏士が何でもないことのように言った。
「美桜も来たことだし、俺は会社へ戻るよ。急ぎの仕事が入った」
「運転、気をつけてね」
立ち上がった彼に、そう声をかけた。
私はゆっくりとポタージュを飲み終えた。
奏士の母がため息をついた。
「今日は結婚記念日なんだって?でも、奏士を責めないであげてね。男は仕事が大事だもの。一度くらい予定が流れたって仕方ないでしょう。私はもう平気だから、美桜さんも早く帰ったら?」
「そうします。お大事に」
バッグを持ち、マンションを出た。
ふと、レストランの予約をまだ取り消していないことに気づいた。
店の番号を表示し、そのまま電話をかけた。
「今夜7時に予約している朝倉です。予約を取り消したいのですが」
「朝倉様……」
電話口のスタッフが、わずかに言いよどんだ。
「そのお席でしたら、すでにお連れ様がお見えになっています」
「え?」
全身から血の気が引いた。
「朝倉様のお名前とお電話番号で、先ほどお二人がお越しになりました。男性と女性のお客様です」
男と女。
あの店を予約したことを知っているのは奏士だけだ。
会社で急用ができたと言いながら、別の女と私が予約した店で食事をしていたのだ。
手が震えた。
電話を切ると、すぐに車を呼んだ。
車の中で、私はスマホを握りしめていた。爪が手のひらに食い込む痛みなど、胸の痛みに比べれば何でもなかった。
付き合って2年目の頃、深夜に急性胃腸炎を起こしたことがある。
奏士の家から私の部屋までは、車でも40分ほどかかった。それでも電話を受けると、彼は何も言わず駆けつけてくれた。
あとになって、タクシーを捕まえるため大通りまで走り、運転手に何度も先を急いでくれと頼んでいたことを知った。
プロポーズの日、奏士はかすれた声で誓った。
「美桜、一生つらい思いはさせない。必ず幸せな家庭を築く。ずっと愛するし、絶対に裏切らない。俺にとって、何より大切なのは美桜だ」
絶対に裏切らない。
何より大切。
あのとき、それほど強く言い切ったから。彼も一生、この誓いを守るのだと思っていた。
いつから、すべてが変わってしまったのだろう。
「お客さん、着きましたよ」
運転手の声に顔を上げた。
店へ入ると、窓際に座る二人がすぐ目に入った。
こちらに背を向けていたのは奏士だった。向かいに座る女は、隙のない化粧を施し、目を細めて彼に笑いかけていた。
近づくほど、二人の声がはっきり聞こえてきた。
「やっぱり、奏士くんのポタージュがいちばん好き。朝作ってくれたかぼちゃのポタージュ、また飲みたくなっちゃった」
手足の先まで、一瞬で冷たくなった。
私が体調を崩したとき、温かい飲み物を一杯頼んでも面倒がった人なのに。
今日、奏士の母の家で口にしたあのポタージュは、この女のために奏士が作ったものだった。
彼が頻繁に母の家へ通っていたのは、親孝行のためではなかった。
この女に会うためだったのだ。
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