口紅が暴いた、夫と義母の一年間の嘘第1話
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夫の車で、2日前になくしたはずの口紅を見つけた。
私が何か言うより先に、夫は口を開いた。
「それ、母さんのだよ」
訝しむ私の目の前で、夫はすぐに義母に電話をかけた。
義母は間髪を入れず、嬉しそうに声を弾ませた。
「ずっと捜してたのよ。あなたの車に落としてたのね」
まるで打ち合わせでもしていたような二人の受け答えに、私はその場で固まった。
ふいに、恐ろしい疑念が胸をよぎった。
——もしかして、この二人はいつもこうして口裏を合わせているの?
* * *
黙り込んだ私を見て、夫の榊原奏士(さかきば そうし)は笑った。
「考えすぎだよ。まったく、美桜は心配性だな」
私・朝倉美桜(あさくら みお)は何も言わず、首を横に振った。
あの口紅は、半月前に私が買ったものだ。ケースについた小さな傷まで、私のものと同じだった。
それに、口紅を見た瞬間、奏士の目にかすかな動揺が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
夫婦にとって、いちばん大切なのは信頼だと思っていた。
だから奏士が深夜まで残業していても、居場所を確かめたことはない。
スマホの暗証番号は知っていたけれど、勝手に開いたことも一度もなかった。
奏士はよく冗談めかして言った。
「美桜って、俺のこと全然気にならないよな」
そのたびに、私はこう答えていた。
「信じてるから」
けれど今日、示し合わせたように話を合わせる二人を見て、背筋が冷えた。
同じことが、これまでにも何度もあったのではないか。
一度浮かんだ疑念は、もう押し込められなかった。
過去の出来事が、次々と脳裏によみがえった。
この1年、奏士は急に親孝行になった。
以前は月に一度も自分から電話をしなかった人が、突然、何かにつけて母親を気遣うようになった。
「母さんが寂しがってる」
「母さんの具合が悪い」
「母さんに頼まれた」
何かにつけて、そう口にするようになった。
去年のバレンタインには、付き合い始めた頃に初めて二人で訪れたレストランを予約していた。
ところが出かける直前、奏士は申し訳なさそうな顔で言った。
「美桜、ごめん。母さんが、胸が苦しいって言うんだ。病院へ連れていかないと」
そう言って、私を抱き寄せた。
「埋め合わせは必ずする。バレンタインは来年もあるけど、母さんのことは放っておけないだろ」
そう言われれば、引き止めることなどできなかった。
私は納得したふりをして、彼を送り出すしかなかった。
「気をつけて行ってきて。お義母さんの体が一番だから」
30歳の誕生日には、奏士の好物を並べて帰りを待った。
けれど彼は、とうとう朝まで帰らなかった。
翌日、奏士が口にしたのは、たった一言だった。
「母さんの腰痛がひどくなって、付き添ってた」
あふれそうになる失望をのみ込み、手つかずの料理をすべて捨てた。
奏士が残業だと言っていた夜、私が急性胃炎を起こしたこともある。
冷や汗が止まらないほどの痛みに耐えかねて電話をすると、義母が高血圧でめまいを起こしていて、そばを離れられないから、自分で何とかしてくれと言われた。
思い返せば返すほど、胸の奥がざわついた。
「美桜」
奏士の声で、私は我に返った。
「母さんの腰痛がまた出たらしい。ちょっと行ってくる」
「今から?」
今日は、私たちの結婚記念日だった。
この日のために、ずっと前から準備していた。
2週間前から何度も予定を確認し、1週間前には店も予約した。
午後は半休を取り、一度家に戻ってシャワーを浴び、いつもより丁寧に化粧もした。
もう店へ向かう途中だったのに、それでも駄目なのか。
「うん。今回はかなり痛むって言うから、放っておけない」
奏士はそう言いながら、車を路肩に寄せた。
私は表情を変えずに言った。
「私も一緒に行く」
「いや、来なくていい」
奏士は間髪を入れずに断った。これまで何度もそうしてきたように。
車を降り、走り去る奏士を見送った。
口紅を見たときの奏士の動揺と、不自然なほど息の合った受け答えが、頭から離れなかった。
1分後、私は配車アプリを開いた。
行き先は、奏士の母のマンション。
本当に具合が悪いのか、この目で確かめるつもりだった。
マンションに着き、部屋のインターホンを押した。
扉を開けたのは、奏士だった。
ここへ来るまで張りつめていた気持ちが、ふっと緩んだ。
疑った自分を心の中で責めた。奏士は化粧品に詳しくない。奏士の母が同じ口紅を持っていただけなのかもしれない。
「どうして来たんだ?」
「やっぱり心配で。お義母さん、腰が痛いんでしょう?」
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