去る前に愛を言わないで第1話
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私は白川清花(しらかわ さやか)。白川知樹(しらかわ ともき)の妻だ。
結婚して三年目、知樹は若い愛人を囲うことに夢中になった。
相手は、須藤優奈(すどう ゆうな)という女だった。
優奈を喜ばせるためなら、知樹はどれほど理不尽な要求でも私に呑ませた。そして私が一つ頷くたび、彼は小切手を一枚よこした。
だから私も、彼にもらった金で、外に大学生の男の子を囲った。
結婚記念日の夜、知樹はベッドの上で私の腰を抱き寄せた。
「今度、優奈の現場でヌードシーンの代役が必要なんだ。
現場には人が大勢いる。あの子は若いし、そういうのを気にするだろ。それに俺も、あの子の肌を他人に見せたくない。
お前ならちょうどいい。そんな体、誰も欲しがらないだろ」
私は枕の下から離婚届を取り出した。
「ちょうどよかった。私のほうも最近うるさくて。離婚しましょう。私も、もうこんな生活を続ける気はないの」
* * *
私は白川清花(しらかわ さやか)。白川知樹(しらかわ ともき)の妻だ。
結婚して三年目、知樹は若い愛人を囲うことに夢中になった。
相手は、須藤優奈(すどう ゆうな)という女だった。
優奈を喜ばせるためなら、知樹はどれほど理不尽な要求でも私に呑ませた。そして私が一つ頷くたび、彼は小切手を一枚よこした。
だから私も、彼にもらった金で、外に大学生の男の子を囲った。
結婚記念日の夜、知樹はベッドの上で私の腰を抱き寄せた。
「今度、優奈の現場でヌードシーンの代役が必要なんだ。
現場には人が大勢いる。あの子は若いし、そういうのを気にするだろ。それに俺も、あの子の肌を他人に見せたくない。
お前ならちょうどいい。そんな体、誰も欲しがらないだろ」
私は枕の下から離婚届を取り出した。
「ちょうどよかった。私のほうも最近うるさくて。離婚しましょう。私も、もうこんな生活を続ける気はないの」
知樹は目を細め、しばらく私を見つめた。やがて、何かを察したように笑う。
「金が足りないのか?
もう一桁増やせば満足か?」
彼は長い腕で私の腰を抱え込むと、片手で私の手から離婚届を取り上げ、そのままゴミ箱へ放り込んだ。
「ずいぶん偉くなったな。離婚届なんか出して、俺を脅すつもりか」
知樹は昔からそういう男だった。
私が何を望んでいるのかも、どれだけ我慢してきたのかも、彼には見えていない。
結婚した日、彼は私に言った。
「金以外、俺はお前に何もやれない」
その言葉どおり、この五年、知樹はいつだって金で私を黙らせてきた。
私は腰から下へ滑り込もうとする彼の手を払いのけ、まっすぐに見返した。
「知樹、私は本気よ。
あなたの愛人も好き勝手しているし、私のほうも似たようなものよ。別れたほうが、お互い楽でしょう」
知樹の顔から、すっと笑みが消えた。
それでも、口調にはまだ薄い嘲りが残っていた。
「前にも言っただろ。白川夫人として置いてやるのは、お前だけだ。
優奈は少し甘えているだけだ。お前に直接迷惑をかけたわけでもないのに、何をそんなに目くじら立ててる。
いい年して、若い女に張り合うなよ」
結婚する前から、知樹の口からは何度も似たような言葉を聞かされてきた。
昔の私は、そのたびに取り乱して言い争い、泣きながら縋った。けれど今は、もう何も感じない。
女遊びの激しい男が、いつか家庭に戻ってくるはずだなんて、最初から夢物語でしかなかったのだ。
私は知樹を見つめた。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
「白川夫人でいれば、世間からは華やかに見えるんでしょうね。でも、もう飽きたの」
外にいるあの子は、まだ二十歳を少し過ぎたばかりだった。体力もあるし、私を退屈させない術も知っている。
その点でいえば、知樹とは比べるまでもなかった。
知樹の顔が、みるみる険しくなった。彼は私の手首を、痛いほど強く掴む。
「もう一度言ってみろ。
言ったはずだ。外の女とは、ただ遊んでいるだけだ。
そのうち遊び飽きれば、ちゃんと家に戻る。清花、いい加減、子どもみたいなことを言うな」
知樹は強引に覆いかぶさってきた。逃げ場を塞ぐように、首筋や肩へ次々と唇を落としてくる。
その体から、嗅ぎ覚えのある、鼻につくシトラス系の香りがした。
優奈がいつもつけている香水だった。
私は嫌悪を隠さず、彼の唇を避けた。
「自分がどれだけ気持ち悪いことをしているか、分からないの?
迷惑をかけていない?私に全部押しつけておいて、よくそんなことが言えるわね」
二年前から、優奈は気に入らないことがあるたび、私に当たるようになった。
優奈が池にピアスを落としたとき、知樹は私を水の中へ入らせ、一晩中探させた。
海外で優奈と知樹の関係が撮られたときは、その火消しのために、母が昔ホステスをしていたという噂が、すぐにSNSで広められた。
華やかなはずの白川夫人は、いつの間にか社交界でいちばんの笑いものになっていた。
かつての私も、知樹がいつか私のために家庭へ戻ってくれるのだと信じていた。そのためなら、意地もプライドも捨てて、優奈の言いなりになった。
けれど今の私には、知樹に期待する気持ちなんて一欠片も残っていない。
知樹はしばらく言葉を失い、私をじっと見据えた。やがて興が削がれたのか、乱れたシャツのボタンを留め直し、嘲るように笑った。
「金を受け取るときは黙って受け取っていたくせに、今さら傷ついた妻みたいな顔をするな。しらける。
俺に食わせてもらってる身で、対等に話せると思ってるのか。
離婚届を出せば俺が折れるとでも思ったか。勘違いするな。お前に離婚を決める権利なんかない」
バン、と乱暴にドアが閉まった。
知樹はそのまま出ていった。
広くて冷えきったこの家には、また私一人だけが残された。
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