十年前に戻った妻は初恋を選び、すべてを失った第3話
この話は約2311字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
写真が好きなのは、別に美咲への未練があるからじゃない。
実際、前の人生であの遺書を見た時点で、俺の気持ちは完全に冷めきっていた。
ただ、生まれ変わって戻ってきたときには、金はもう全部カメラ機材につぎ込まれたあとだった。
中古のフリマに出しても売れず、仕方なく自分で使い始めた。
そしたら、本当に写真そのものが好きになった。
今世では、もう誰かに気に入られるためじゃない。ただ、自分のためだけに撮っている。
俺はもう一度、礼儀正しく美咲の申し出を断った。口調はあくまで丁寧で、よそよそしい。
「自分の趣味だけで生活費は十分まかなえてる。気遣ってくれてありがとう」
俺が恩知らずだとでも思ったのか、美咲の顔に一瞬、怒りがよぎった。
「せっかくチャンスをあげたのに断るなんて。あとで泣きついてきても、もう知らないから!」
俺は何も言わなかったし、彼女にも伝えなかった。
今の俺の写真作品は、いくつかの国レベルの媒体や海外の一流誌に専門で提供している。
著作権使用料だの掲載料だのを合わせれば、収入は美咲にだって引けを取らない。
もっとも、口にしたところで、どうせ大ぼらだとしか思われないだろう。
なにせこのしわくちゃのパジャマ姿じゃ、どう見てもみすぼらしい。
まったく、うちの息子も困ったものだ。どうしても俺に砂場で遊べとせがんできたくせに、少し目を離した隙にまた下へ降りていってしまった。
服を着替える暇もないまま、俺はそのまま追いかけてきたのだ。
そろそろ適当な理由をつけてここを離れようと思った矢先、さっきのスタッフが何かに気づいたらしい。
そいつは俺の服を指さして言った。
「バレンシアガ?その服、どこで拾ってきたんです?まさかここの清掃員で、宿泊客の部屋からくすねたんじゃないでしょうね?」
さすがに俺も眉をひそめた。
「その服が俺の物って可能性はないんですか?」
奏太は鼻で笑い、あざけるように言った。
「お前の物?買えるわけないだろ。金持ちで、お前みたいにだらしない格好のままうろつく人間がどこにいるんだ?」
わざとらしく鼻を押さえる。
「こんなに汚れてるし、洗いもせずにこっそり着たんじゃないのか?」
美咲は俺を見つめ、眉間に深いしわを寄せた。
「柊真、今こんな有様なのに、まだ強がるつもり?」
俺は相手にしたくなくて、そのままスタッフに向かって言った。
「本気で俺が盗んだと思うなら、今すぐ警察を呼べばいいでしょう」
こいつが奏太の顔色をうかがって、ついでに俺を踏みつけて機嫌を取ろうとしているのは分かっていた。
案の定、スタッフの勢いはすぐにしぼみ、小声でぶつぶつ言った。
「今日はホテルに大物のお客様が来てるんです。あんたみたいなのが騒いで、その方を驚かせでもしたらまずいから、通報しないだけですよ」
奏太の目がぱっと輝き、すぐに話をつないだ。
「有馬家のお嬢様のことだろ?ご家族で海市に遊びに来ていて、このホテルに泊まってるって聞いたよ」
美咲もうなずき、目に期待の色を浮かべた。
「今進めているプロジェクト、有馬家が後ろ盾になってくれたら最高なのに」
有馬家のお嬢様という言葉は、熱した油に水を入れたみたいに、たちまち会場の空気を沸き立たせた。
「今日みんながこのパーティーに来たのだって、有馬さんに一目会うためでしょう?このビル自体、有馬家の持ち物らしいし」
「二十代前半で結婚して子どもまでいるって聞いたけど、いったいどこの御曹司と縁談がまとまったんだろうな」
そんなふうに皆が話していると、ロビーの支配人が汗だくで駆け込んできた。後ろにはぞろぞろと人を連れている。
「皆さま、この辺りで七歳くらいの男の子を見かけませんでしたか?これくらいの背の子です」
支配人は汗をぬぐいながら、焦ったように会場内を見回した。
察しの早い者が、この騒ぎの大きさを見てすぐに何かを悟った。
「有馬家の坊っちゃんですか?たしか今年でちょうど七歳ですよね」
パーティーの出席者たちは色めき立ち、慌ててあちこち探し始めた。
見つけさえすれば、有馬家とつながるきっかけになるかもしれないのだから当然だ。
美咲と奏太も探し始め、もう俺に構っている暇はなくなった。
俺は騒然とした会場を見渡し、そのまままっすぐデザートコーナーへ向かった。
案の定、そこにいた。顔じゅう生クリームだらけにした息子の和也(かずや)が下にもぐり込んでいた。
俺は冷たい顔で手を差し出した。
「こっちへ来い」
和也はびくっと肩を震わせ、テーブルの脚にしがみついて離さなかった。
「やだ、行かない」
俺が引っぱり出そうとしたそのとき、奏太がどこからともなく飛び出してきて、もっともらしい顔で俺の前に立ちはだかった。
「白石、何をしてるんだ!
有馬家に取り入ろうとしてるにしたって、子ども相手に手を上げるなんて最低だろ!」
声を聞いて駆けつけた美咲は、俺を見るなり目いっぱい失望をにじませた。
「柊真、まさかあなたが名声や利益のためにこんなことまでするなんて」
スタッフは支配人にすがるように告げ口した。
「こいつです!急にパーティーに押し入ってきたうえに、ほかのお客様の服まで盗んでるんです!」
支配人の顔がたちまち険しくなり、すぐさま警備員を呼んだ。
「この泥棒を取り押さえて、そのまま警察へ突き出せ!もしこいつのせいで坊っちゃんが怖い思いでもしたら、お前たちは全員クビだ!」
奏太の目にしてやったりという笑みがよぎった。彼は腰をかがめ、和也に向かっていかにも親しげな顔を作った。
「さあ、おいで。お兄さんのところへ。お兄さんが守ってあげるからね」
だが和也は彼のことなど見向きもせず、その場にいた全員があっけに取られる中、おそるおそる俺の手をつかみにきた。
「パパ、ごめんなさい」
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