和紙文十年の見果てぬ終曲 · 第3話設定≡

十年の見果てぬ終曲第3話

この話は約2682字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

娘の葬式のあと、寧々は娘の墓前で一日中、立ち尽くしていた。

翌日、彼女は高熱を出した。

どれほど昏睡していたのか、寧々はやっと深い眠りからようやく目を覚ました。

水が飲みたいと言いたかったその瞬間、外から息子の優希の声が聞こえてきた。

その声は、年齢にそぐわないほど大人びて、どこか媚びるような口調だった。

「お父さん、安心してよ。お母さんが起きても、僕は何も言わないから。

真紀さんに必要なものがあれば、僕がこっそり届けさせるし、お母さんには絶対に気づかれないようにするから。

お母さんが悲しんでるのはわかってる。でも、妹はもういないし。

それに、真紀さんとお腹の中にいる弟のほうがもっと大事なんだ。僕がうまくやるから」

その瞬間、寧々は氷水を浴びせられたような寒さに全身を包まれた。その寒さは、雨に打たれるあの晩よりも深く骨身に沁みるものだった。

彼女はこれまで、息子がただ騙されているだけだと思っていた。

ただ物事をよくわかっていないのだと思っていた。

まさか、この数年にも及ぶ欺きのなかで、自分の息子が単なる知情者ではなく、自ら加担した共犯者にさえなっていたとは、思いもよらなかった。

春樹が何か小声で言い含めているようだった。

そして、部屋に入ってきたときには、心配そうな表情と疲れの色を顔に浮かべていた。あまりにも自然すぎて、それが演技なのかどうかわからなかった。

「寧々、起きたのか?気分はどうだ?」

寧々は彼を見ようとしなかった。彼の後ろに隠れるようにして、視線をそらしている優希をじっと見つめた。

そして、かすれた声で言った。

「優希、さっき『真紀さんと弟』って言ったわね?」

優希の体が硬直し、反射的に春樹を見た。

春樹は顔色をわずかに変え、言い訳しようとした。

「寧々、話を聞いてくれ。そんなことでは……」

「私が聞いているのは優希よ!」

寧々は鋭く彼の言葉を遮り、息子に視線を釘付けにした。

「真紀があなたのお父さんとそういう関係だって、いつから知っていたの?」

優希は、寧々がこれまでに見せたことのない鋭い眼差しに脅え、声を詰まらせながら答えた。

「ずっと小さい頃から知ってた。お父さんが言ったんだ。真紀さんのほうが、本当にお父さんのことをわかってくれる人だって。

それから、僕が言うことを聞いて、隠し通していれば、お母さんは僕たちから離れていかないし、この家も壊れずに済むんだって……」

「壊れずに済むだって?」寧々は突然、笑い出した。

その笑い声は、どこまでも寂しく、悲しく、ついには涙があふれた。

彼女は、すべての愛情を注いで育ててきた息子を見つめた。そして、ただならぬ疎外感を覚えた。

彼女が必死に守ってきた家は、とっくに大きな嘘の上に成り立っていた。

そして、最も近しい人が、その嘘に加担していたのだ。

「じゃあ、妹が死んだことも、あなたにとっては、自分たちの完璧な生活を壊しただけの『事故』に過ぎないっていうの?!」

春樹が厳しい声で怒鳴りつけた。

「優希!黙れ!自分の部屋に戻れ!」

優希は怖じ気づいて、慌てて部屋を出て行った。

寧々は春樹を見た。その目に宿っていた、最後のわずかな光も消え失せていた。

彼女は娘を失い、今、息子までも失った。

体を起こそうとこらえたが、高熱とあまりに大きな衝撃で、めまいがした。

春樹が彼女を支えようとしたが、激しく振り払われた。

「触らないで」

寧々はふと笑った。

それは、自分がいかに愚かだったかを嘲る笑いだった。

この世界に彼女を繋ぎとめていた、最後の理由も、崩れ去ったのだ。

その日、彼女は自らこの世界を去ると決意した。

寧々が思い出したくもない過去に沈みかけていたそのとき、廊下の騒ぎで意識が現実に引き戻された。

使用人がノックをして入ってくると、困ったような顔を言った。

「奥様、ご主人様から、主寝室をお譲りいただきたいとのことです。真紀様をお通しするように、と」

寧々はものを整理する手を止めなかった。まばたきひとつすらしない。

「ええ」

「それから、奥様には、お荷物をまとめて、別邸にお移りいただくように、と……」

「わかった」

その声音には、まるで日常の家事の確認をしているかのような、何の感情も込められていなかった。

彼女は必要最低限の服だけを小さなスーツケースに詰め、それを引きずって玄関へと向かった。

主寝室を出たとき、ちょうど使用人に付き添われ、すでに女主人であるかのように振る舞う真紀と鉢合わせた。

「寧々さん、本当に久しぶりだね」

真紀は寧々の行く手をさえぎり、声を潜めて、かすかに怨念を込めたで言った。

「寧々さん、本当にひどいよね。あの日、あんなにあっさり出て行ったくせに。でも、あなたが去ったおかげで、私のあの可哀そうな子も、この世に生まれてこれなかったんだよ。満足したんでしょ?」

寧々は足を止め、振り返って彼女を見た。

冷静に彼女の腹元を一瞥し、冷ややかな笑みを浮かべた。

「天罰よ」

たった一言だ。しかし、その軽やかな言葉は、針のように真紀の耳に突き刺さった。

真紀の作り笑いが、一瞬で崩れた。

「天罰だって?そうね、私は子を失った。でも、それが何だっていうの?あなたが失ったのは元気に生きていた娘、私が失ったのはお腹の中の形にもなっていない胎児。一体、どちらの方が哀れなのかしら?」

バチンという鋭い音とともに、寧々が真紀の頬を強く叩いた。

「十年経っても、あなたは相変わらず、どうしようもなく嫌な女ね」

真紀は数歩よろめき、ドア枠にぶつかった。

寧々の手は、まだわずかに震えていた。それは恐怖ではなく、激しい怒りと悲しみのせいだった。

彼女は裏切りも無関心も、耐えられる。

けれども、決して許せないのは、亡き娘を、自分を傷つけるための道具にされることだった。

「よくも叩くわね!」真紀は頬を押さえ、信じられないという声をあげた。

そのとき、物音に気づいた春樹が慌てて駆けつけた。ちょうど、頬を押さえて涙ぐむ真紀の痛々しい姿を目にする。

彼の顔色が暗くなり、すぐ真紀を自分の後ろに庇うと、寧々に向かって鋭く言い放った。

「寧々!またそんなふうに騒いで!今すぐ彼女に謝れ!」

寧々は、目の前で別の女を熱心に守ろうとするこの男と、その後ろで、最もひどい言葉で自分を傷つけたこの女を見つめた。

そして、すべてがあまりに滑稽で、笑えてくるような気がした。

彼女はゆっくりと手を引っ込めた。

あの一撃に、この男に対する最後のわずかな感情も、注ぎ尽くしてしまったかのようだった。

彼女は春樹を見ようともせず、視線が彼を越えて真紀に注がれたまま、氷のように冷たい声で言い放った。

「謝れだって?この女に?ふざけないで!」

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