十年の見果てぬ終曲第2話
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優希は、激怒した父を怖れながらも、赤い目で寧々の背中をにらみつけていた。
その声は泣き声交じりで、怒りに震えていた。
「お父さんをこれ以上追い詰めないでくれよ!妹が死んだのは僕だって悲しい!でも、もう十年も経ったんだ。生きてる者の気持ちも考えてくれよ!」
寧々は振り返り、憎しみに満ちた優希の顔を、静かな目で見つめた。
昔なら、胸が痛んだだろう。そして、何が正しくて何が間違っているのか、彼にわからせようと必死になったはずだ。
けれど今は、やりきれない疲れと、脳腫瘍がもたらす痛みが、波のように押し寄せてくるだけだった。
もはや、この親子にこれ以上構う余力はなかった。彼女は、執事が準備した子供部屋へと向かった。
「お母さん!」背後から、納得いかない様子で戸惑う優希の声が続く。
「前はこんなんじゃなかっただろ!妹が事故に遭う前は、僕たちの関係は、こんなんじゃなかった!
今じゃ、僕もお父さんも自分が悪かったって分かってるのに、何でまだそんな態度を取るのか!一体、お母さんは何がしたいんだ?!」
寧々は答えなかった。
そして、丹念に飾り付けられた子供部屋にたどり着くと、必死に張り詰めていた気持ちがふっと抜け、その場に崩れ落ちるように座り込み、身を丸めた。
優希に何がしたいと尋ねられ、彼女は心の中で答えた。
娘が生き返ってほしい。だが、それは叶わない。
だから、静けさが欲しかった。そして、システムとの取引を完了させ、健康な体を取り戻したかった。
もうこれ以上、この親子に、少しの感情すら向けたくなかった。
この並行世界の安定を維持する手伝いをして、その報酬として健康な体を手に入れるためだ。
そのためでなければ、彼女は決して戻っては来なかったのだ。
彼女は床に置かれていたぬいぐるみを手に取り、思わず娘が亡くなった日のことを思い出していた。
かつて、自分こそが人生の勝ち組だと思っていた。
誰もが手の届かない高みにいた、あのビジネス界の帝王・菅野春樹を攻略し、結婚して二人の子供にも恵まれた。
それがただのシステムの攻略任務だったことなど、すっかり忘れかけていた。
そして、偽りの幸せに浸り、心の全てを捧げてしまっていた。
あの日、彼女は思い立って旅行を切り上げ、夫と子供たちを驚かせようと早く帰ってきた。
そこで彼女が見たものは、親友の吉川真紀(よしかわ まき)が、自分のシルクのネグリジェを身にまとい、夫の春樹と体を絡め合っている光景だった。
よちよち歩きの娘が、楽しそうに手を振りながら春樹のところへ歩いていった。すると、真紀が娘を階段から突き落とした。
あの鈍い音が、寧々にとって永遠の悪夢となった。
娘は、その場で息を引き取った。
彼女は狂ったように娘のもとに駆け寄り、泣き叫びながら娘の名を呼んだ。
娘の血が、彼女の全身を真っ赤に染めた。
そんな中、春樹はまず、怯えきって震える真紀のところへ駆け寄り、彼女を抱き支えた。
そして寧々に向かってこう怒鳴ったのだ。
「彼女を責めるな!彼女はわざとやったわけじゃない!」
当時八歳だった息子の優希も、物音を聞きつけて駆けつけた。
彼は倒れた妹と泣いている真紀を見ると、寧々を指さして言った。
「お母さん、真紀さんを怒っちゃダメだよ!妹が言うこと聞かなくて、自分で転んだんだ!妹が悪いんだ!」
その瞬間、寧々の心は、娘と共に、深い絶望の淵へと沈んでいった。
何の攻略だ、何の円満な家庭だ、すべては偽りだった。
全てを捧げて愛した夫は、娘が命を落とした瞬間に、他の女をかばった。
丹精込めて育てた息子は、事の善悪さえも見分けられず、自分のことをまるで敵のように見ていた。
寧々は理性を失った獣のように、真紀に娘の命を償わせようとした。
だがその時、真紀が突然、身体の力を抜き、押し殺した嗚咽をもらした。そして、本能的に自分の下腹部をかばうような仕草をした。
この細かな動きを、血走った目をしながらも、鋭さを失わなかった寧々は見逃さなかった。
彼女は指をぎゅっと握りしめ、そしてゆっくりと顔を向け、氷のような視線を春樹に注いだ。
春樹の顔は、その瞬間、みるみるうちに強張っていった。戸惑いと罪悪感、そしてそれ以上に、見透かされたことによる居たたまれなさが、ありありと浮かんでいた。
彼は思わず、何かを言い訳しようと口を開いた。
「寧々、俺は……」
その時、真紀はその悲痛な状況に耐えかねたかのように、弱々しく気を失い、ちょうど春樹の腕の中に倒れた。
「真紀!真紀!」春樹はすぐに彼女を抱きしめ、焦ったように叫んだ。
そして、その場から逃れられる口実を見つけたかのようだった。
彼は寧々を一瞥し、そして死んだ娘にもう一度目をやった。その目に一瞬、苦悩が走った。
結局彼は、真紀を抱き上げると、立ち尽くす優希に向かって低い声で命じた。
「ぼんやりしてないで、誰か呼んで車を用意させろ!真紀を病院に連れて行く!」
彼は寧々に一言もかけることなく、自分の娘を殺した犯人を抱き、息子を連れて、その場を慌ただしく去っていった。
寧々と、息絶えた娘だけを、冷え切った邸宅に見捨てた。
寧々はその場に立ち尽くし、慌てて去っていく彼らの背中を見つめ、そして腕の中の冷たくなった娘をじっと見た。
その日から、寧々の世界は完全に崩壊した。
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