別宅に夫の愛人がいた第1話
この話は約2806字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
私は、本間澪華(ほんま れいか)。結婚してからずっと空き家のままになっている家がある。
そんなある日、管理会社から連絡が入った。
「本間様、恐れ入りますが、そちらにご入居中の方へお伝えいただけますでしょうか。ベランダに干してある女性用の下着が外から見えてしまうということで、下の階の方からすでに二度ほど苦情が入っておりまして……」
送られてきた写真には、透け感のあるセクシーなランジェリーが、ベランダのいちばん外側に掛けられ、風に揺れていた。
その隣には、見覚えのあるメンズのボクサーパンツまで干してある。
胸の奥がすっと冷え、私はすぐ夫の本間郁人(ほんま いくと)に電話をかけた。
「汐見ヒルズの部屋、人に貸したの?」
郁人は一瞬だけ黙り込んで、それから急に笑い出した。
「なんだ、もう気づいたのか。本当はサプライズにするつもりだったのにさ。帰ったら、家賃はちゃんと家計に入れるようにするから」
私は嬉しそうなふりをして、「ほんと?助かる」と笑ってみせた。
電話を切ると、そのまま汐見ヒルズへ向かった。
* * *
私は、本間澪華(ほんま れいか)。結婚してからずっと空き家のままになっている家がある。
そんなある日、管理会社から連絡が入った。
「本間様、恐れ入りますが、そちらにご入居中の方へお伝えいただけますでしょうか。ベランダに干してある女性用の下着が外から見えてしまうということで、下の階の方からすでに二度ほど苦情が入っておりまして……」
送られてきた写真には、透け感のあるセクシーなランジェリーが、ベランダのいちばん外側に掛けられ、風に揺れていた。
その隣には、見覚えのあるメンズのボクサーパンツまで干してある。
胸の奥がすっと冷え、私はすぐ夫の本間郁人(ほんま いくと)に電話をかけた。
「汐見ヒルズの部屋、人に貸したの?」
郁人は一瞬だけ黙り込んで、それから急に笑い出した。
「なんだ、もう気づいたのか。本当はサプライズにするつもりだったのにさ。帰ったら、家賃はちゃんと家計に入れるようにするから」
私は嬉しそうなふりをして、「ほんと?助かる」と笑ってみせた。
電話を切ると、そのまま汐見ヒルズへ向かった。
……
私がマンションに着いた頃には、上下の階の女がそれぞれベランダから身を乗り出し、今にも掴み合いになりそうな勢いで言い争っていた。
下の階の年配の女性が、上のベランダを指さして怒鳴っている。
「なんでよりにもよって、そんなものをいちばん外に干すのよ!通りから丸見えじゃない!」
するとベランダの女も、すぐに言い返した。
「自分の服を干して何が悪いんですか?」
「人がどう思うかってことがあるでしょう!恥ずかしいって気持ちがないの!?」
言い争いはどんどん激しくなっていった。
そのとき、ひときわ強い風が吹いた。
外側に掛けられていたメンズのボクサーパンツが大きく揺れ、そのままふわりと落ちていく。
少し離れた場所に立っていた私には、はっきりわかった。
――あれは、郁人のだ。
最近、ジムに通い始めて少し痩せた郁人のために、私がウエストを詰めてあげたものだった。
最後まで抱いていたわずかな期待も、その瞬間、きれいに消えた。
私はそのまま玄関の前まで歩いていき、鍵を差し込んでドアを開けた。
さっきまでベランダで怒鳴っていた女は、リビングの物音に気づいて振り向いた瞬間、顔を強ばらせた。
「ちょっと、誰よあなた!?どうして入ってこられたの!?」
私は皮肉な笑みを浮かべ、手の中の鍵を軽く振った。
「ここ、私の家なんだけど。どうやって入ったと思う?」
川を一望できるこの一室は、母が亡くなる前に私に遺してくれたものだ。
ヨーロピアン調の内装で、川も街のランドマークも見渡せる。夜になれば、息をのむほど美しい景色が広がる。
ここ数年、景気はずっとよくなかった。郁人は何度も、この部屋を売って会社の資金繰りに回してほしいと言ってきた。
けれど、ここには母との思い出が詰まっている。形見のような場所で、どうしても手放す気にはなれなかった。
つい最近も、郁人はフランスから帰ってきたばかりだった。取引先との話はまとまらず、会社もかなりの損失を出したと言っていた。
ここしばらく、朝早くから夜遅くまで働く彼を見て、私は本気でこの部屋を売ることまで考えていた。
それなのに――まさか、その矢先にこんな裏切りを突きつけられるなんて。
女は目に見えてうろたえ、頬を真っ赤にしたまま、取り繕うような笑みを浮かべてこちらへ近づいてきた。
「あら、あなたが澪華さんでしたか。どうぞ、上がってください」
女は愛想よく笑って、身を引いた。
「私、日高紗季(ひだか さき)っていいます。郁人さんの母方のいとこで、今ちょうど仕事を探しているところなんです。それで、しばらくここに住まわせてもらっていて」
玄関に足を踏み入れた瞬間、私は息が詰まった。
そこにはもう、母が暮らしていた頃の面影がほとんど残っていなかった。
代わりに、高級バッグや服、ブランド物のコスメがあちこちに並び、目に刺さるようだった。
紗季は取り繕うように水を差し出してきたが、落ち着きなく泳ぐ視線が、どれほど動揺しているのかを隠しきれていなかった。
――母方のいとこ?
笑わせないで。
郁人の母方に、親戚なんていない。
じゃあ、この女は何者なの。
それに、仕事を探している最中の若い女が、こんな贅沢品をいくつも揃えられるはずがない。
私がソファに置かれたブランド服へ目を向けているのに気づくと、紗季は慌ててそれをかき集めながら言った。
「これ、全部彼氏が買ってくれたんです。いらないって言ったのに、どうしてもって」
困ったような言い方のくせに、その口元には自慢と挑発がうっすら滲んでいた。
私は眉をわずかに上げた。
「へえ。彼氏がそんなにお金持ちなら、その人のところで一緒に暮らせばいいんじゃない?仕事もないのに、もう一部屋分の家賃を払ってまでここに住む必要ある?」
「家賃……?」
紗季は思わず聞き返し、しまったというように目を泳がせると、慌てて取り繕った。
「いえ、親戚でも払うものはちゃんと払わないといけませんし。身内だからこそ、お金のことはきっちりしておかないと。
それに、私だって一応大学は出ていますし。女はちゃんと経済的に自立しないといけないと思うんです。……澪華さんも、そう思いません?」
彼女は目の端で私の反応をうかがっていたが、私は気づかないふりをして立ち上がった。
「家賃を払ってるなら、何の問題もないわね。……LINE、交換しておきましょう」
LINEを交換すると、私は軽くうなずいた。
「じゃあ、今日はこれで」
その一言で、彼女が目に見えてほっとしたのがわかった。
けれど――
彼女は知らない。
私がいったん出たあと、すぐにまた戻ってきていたことを。
扉越しでも、紗季の甘えた声ははっきり聞こえた。
「ねえ、早く帰ってきてよ。さっきあなたの奥さんが来てさ、私、すごく嫌なこと言われたんだけど……」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)