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冬川にただよう月の影第3話

この話は約1865字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

紗良が退院したその日、蓮司はお祝いの食事会を準備していた。

この三年間、彼はいつもそうだった。

紗良が何か一つ彼のためにやるたびに、数日後には必ず少しだけ優しくしてくれる。

それで彼女の気持ちを繋ぎとめて、甘い言葉で満たし、次のお願いも迷わず引き受けさせる。

そうやって、彼女は何度も何度も全力で尽くしてきた。

けれど今はもうすべて空っぽに感じるだけだった。

「もういい。お祝いなんて行きたくない。みんなで勝手にやって」

紗良は家に帰って荷物をまとめなきゃいけなかった。

飛行機のチケットも取らなきゃいけないし、蓮司のそばから離れる準備で頭がいっぱいだった。

そんな紗良の様子に、ようやく蓮司も違和感を覚えたのか彼女の額に手を伸ばした。

「どうしたの?体調でも悪いの?前はいつも喜んでたじゃないか」

紗良は一歩下がって、その手を避けた。

返事をしようとしたそのとき。

どこか甘ったるい、女の子の声が耳に届いた。

「蓮司、何してるの?」

声の方を見ると、紗良と体型のよく似た、美しい女の子が歩いてくるところだった。

蓮司は遥香を見た瞬間、すぐに手を引っ込めて大股で彼女の方へ歩いてきた。

「車で待ってろって言ったよな。風が強いんだから」

そう言いながら、自分の上着を脱いで遥香にふわりとかけた。

その横で女の子が黙ってそれを受け入れ、紗良の方を見て軽く手を振った。

「あなたが白川紗良さんよね? はじめまして。私、橘遥香。蓮司の幼なじみなの」

そう言いながら、遥香は紗良を頭からつま先まで、さりげなく見渡した。

紗良の体が、思わずこわばる。

この人が、蓮司が“必ず妻にする”と決めた相手。

自分が代わりに受けた苦しみのすべてを、彼女は知っているのだろうか。

そのとき、冷たい風が吹き抜けてきて、蓮司はすぐに遥香を抱き寄せた。

そしてもう片方の手で紗良の腕を引き、そのまま車に乗り込んだ。

車の中、前の座席では蓮司と遥香が楽しそうに話し続けていた。

後部座席の紗良は、まるで部外者のようにぽつんと座っていた。

二人の会話から、紗良は初めて知った。

遥香は昔、蓮司と付き合ってすぐに海外へ行ったらしい。

そして、今ようやく帰国したばかりだということ。

今日の祝賀ディナーも遥香の好きなレストランで、彼女の好物ばかりが用意されていた。

個室の丸テーブルには、すでに蓮司の仲間たちが座っていて、二人が来るのを待っていた。

遥香が姿を現すと、すぐに周りが盛り上がり始めた。

「遥香さん、海外行ってる間、オレたちSNSでしか話してなかったけど、ちゃんと顔覚えてる?」

「いやー、なんか前より綺麗になってない?」

「そりゃそうだよ。綺麗じゃなきゃ、蓮司さんがここまでゾッコンになるわけないって!」

皆が声を上げて笑い合い、場の空気は一気に華やいでいった。

だがすぐに、皆は自分たちが何を口にしたのかに気づき慌てて笑顔を引っ込めた。

そして、紗良の方を気まずそうにちらちらと見始めた。

遥香が小さく咳払いをして、紗良のところへ歩み寄り自分の隣に座らせた。

「ごめんね、紗良さん。私と蓮司、昔からの幼なじみで、みんなよくからかってくるの。気にしないでね」

紗良は力なく笑った。

「うん、気にしてないよ」

代わりの存在にすぎない自分に、気にする権利なんてない。

「それならよかった」

遥香は何かを思い出したように、蓮司の方に顔を向けた。

「そういえば、翔吾から聞いたんだけど。紗良さんとすっごく仲がいいって。こないだ病気のとき、紗良さんが蓮司のために仏ノ峰山を登って、九百九十九段も跪いて御守りをもらってきたって。本当?」

紗良の気持ちを気遣ってか、蓮司は小さくうなずいた。

「うん。御守りが百の災いを祓ってくれるって言ったら、その日のうちに行ってくれた」

遥香は大げさに驚いたような声を出した。

「そんなにすごいの? 私も欲しいなあ」

蓮司はにこやかに笑い、優しい声で答えた。

「欲しいなら、俺のをあげるよ」

そう言うと、すぐにスマホを取り出して誰かに電話をかけ、自宅にある御守りを持ってこさせた。

まもなくノックの音がして、使いの者が御守りを届けに来た。

蓮司はそれを受け取って、そのまま遥香に手渡した。

そのとき、来たばかりの人物が蓮司の耳元で何かをささやいた。

蓮司の表情がわずかに変わり、眉間にしわが寄っていく。

そして自然と視線が紗良の方へ向いた。

数秒ほど考え込んだあと、彼は静かにうなずいた。

「わかった。先に戻っていいよ」

使いの者が退出したあと、蓮司は紗良の手を取り、そのまま立ち上がった。

「紗良、隣の席にお客さんが来ててさ、ちょっとだけ顔出してくれない?」

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