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冬川にただよう月の影第2話

この話は約1927字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

「紗良、あんなに北都に残るって言ってたのに、どうしたの、急に帰るって?何かあったの?」

紗良はもう説明する気力も残っていなかった。

目元の涙を拭いながら、しっかりした声で答えた。

「……ううん、何でもない。ただ、家に帰りたくなっただけ」

「そう……なら早く戻っておいで。みんなで待ってるから。お見合いのことも無理にとは言わないし、帰ってきたら一度会ってみて、気が合えば考えればいい」

そのあと、母はしばらく色んなことを心配そうに話し続けてようやく名残惜しそうに電話を切った。

紗良は涙を拭き、階段の踊り場から出た。

けれど、数歩進んだところで蓮司の友人たちと鉢合わせになった。

「紗良さん! やっと戻ってきた! 早く行ってあげてよ、蓮司さん、紗良さんのこと心配で眠れなかったんだから……」

紗良は何も言わず、静かに蓮司の病室へと向かった。

扉を開けると、ベッドに腰掛けていた蓮司が彼女に気づき安堵したように微笑んだ。

その周りには彼の仲間たちが揃っていて、みんな口を揃えて「紗良さん、こんばんは」と丁寧に挨拶してきた。

もしも、あのやり取りを耳にしていなかったら――

紗良は彼らにこんな一面があるなんて、思いもしなかっただろう。

「紗良、お守り……本当にありがとう。大変だったでしょ」

蓮司がそう言いかけたとき、ふと紗良のズボンについた血に目を留めた。

次の瞬間、彼はベッドから飛び出すように立ち上がり紗良のそばへ駆け寄ると、そのまま彼女を抱きかかえてベッドに座らせた。

慌てて袖をまくりながら、じっと膝に目をやる。

「どうしてこんな怪我を……! 誰か、急いで医者を呼んでこい!」

仲間たちは一斉に走り出し、夜勤中の医者を呼びに向かった。

蓮司は紗良の傷口を、まるで触れたら壊れてしまいそうなように慎重に見つめていた。

ほんの少しでも触れれば、彼女が痛がるんじゃないかと、そんなふうに気を遣っているようだった。

だが――

紗良の心の中には、冷めた笑いしか残っていなかった。

蓮司……これ、全部あんたのせいでしょ?

今さら取り繕ってどうするの。

まさか、自分でも信じかけてるんじゃないの? あたかも、何も知らなかったみたいに。

医者が紗良の膝に薬を塗っている間、蓮司がふと話しかけてきた。

話題をそらそうとしているのが見え見えだった。

「さっき、君が戻ってくる前に電話したんだ。でも通話中になってて。誰かと話してたの?」

紗良は少し目を伏せて、ゆっくりと首を振った。

そしてわざとらしくこう答えた。

「お母さん。結婚はいつするのって、催促されちゃって」

その一言で、病室の空気が一気に静まり返った。

仲間たちは顔を見合わせ、何も言わず気まずそうに目をそらした。

蓮司も少し黙ったあと、困ったように笑みを浮かべて言った。

「それは……君も知ってるだろ、紗良。俺、仕事が軌道に乗るまでは恋愛も結婚もダメだって家の方針でさ。もう少しだけ待っててほしい。新しいプロジェクトが終わったら、そのとき改めてうちの家族に紹介するから」

言葉の一つひとつは丁寧で、真剣にしか聞こえなかった。

けれど、紗良にはわかっていた。

彼が自分を家族に紹介しようとしない、本当の理由は——

自分が、“本命”じゃないからだ。

誰かの“代わり”にすぎないから。

それが明るみに出れば、あの九十九本の動画も、全部「別の人がやったこと」だなんて、もう言い訳できなくなるから。

それに蓮司の心の中では、二人の未来なんて最初からなかったのだ。

医者が紗良の膝に包帯を巻き終えると、蓮司は数日間の入院を強く勧めてきた。

足の状態をちゃんと見ておきたいから、と。

しかし今回病院に空きがなく、個室も満室だった。

だから蓮司は自分のベッドを紗良に使わせ、自分はソファで寝ることにした。

紗良はそれを黙って受け入れた。

夜が更け、蓮司が深く眠ったころ。

紗良はそっと彼のそばに近づき、机の上に置かれたスマホを手に取った。

蓮司は紗良に対して一切の警戒心を持っていなかった。

彼女が自分の機嫌を損ねるようなことを、絶対にしないと思っていたからだ。

だからロックも解除せず、簡単にスマホは開いた。

紗良はラインを開き、固定ピンで上に表示されていた相手を見た。

そこには「橘遥香(たちばな はるか)」と名前がつけられた女の子がいた。

……やっぱり、この人なんだ。

続いて、紗良はスマホの中に「ロックされたフォルダ」を見つけた。

アルバムのタイトルには、こう書かれていた。

「できるだけ早く遥香を嫁に(96/99)」

そして、そこにはちょうど96本の動画が保存されていた。

中身までは見られなかったが、紗良にはもう分かっていた。

この三年間、自分が愛のために犠牲にしてきたすべてが……

蓮司にとっては、ただ感情も何もない進捗バーだったのだ。

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