八十八回目の婚礼キャンセルのあとで第3話
この話は約2323字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
私はチャペルの冷たい長椅子に、一晩中ぼんやり座り続けていた。朝になって、ようやく朦朧としたまま家に帰る。
玄関に入った瞬間、血走った目の悠真と目が合った。
私のドレスが血で汚れているのを見て、彼は慌てて駆け寄り、私を抱きしめる。
「ごめん、昨日は本当はすぐに探しに行こうと思ってたんだ。でも俺が離れると美結がすぐに情緒不安定になるから、どうしても行けなかった。紬、信じてほしい……
さっきやっと美結が落ち着いたところだったんだ。今から迎えに行こうと思ってたら、お前が帰ってきた……大丈夫?」
「うん、大丈夫」
私は静かにそう返す。「いいの、悠真。私は分かってるよ。結婚式はまたできるし、美結の体のほうが大事だから」
私の態度に、悠真は驚いている。「本当にそう思ってるの?」
「もちろん」
彼が驚くのも無理はない。私はこれまで、何度も彼とぶつかってきたのだから。
悠真も両親も、何度か私に「美結を刺激しないために、結婚式をしないでくれないか」と打診してきた。
でもどんなに言われても、私はずっと最後の砦のように、結婚式だけは譲れなかった。
でも今となっては、もうどうでもよくなった。
私はすぐに出ていくつもりだし、式なんて意味がない。
私は少しだけ笑って、彼が持っていたスープの材料を受け取り、キッチンに向かう。
「美結が飲みたいの、トマトスープでしょ?私が作るよ。あの子、私のトマトスープが大好きだもん」
私が手際よく火をつけ、何も怒った様子も見せないので、悠真は満足そうに微笑み、そっと私を抱きしめる。
「紬、やっとわかってくれたんだね。美結は病気なんだから、もっと優しくしてあげないと。あの子が元気なら、次の式もうまくいくよ」
「結婚式がどうなっても、俺はずっと紬を愛してる」
その言葉を聞きながら、私は心の中でほんの少しだけ苦笑いする。
本当に可笑しい。私たちの結婚が、どうして美結の気分次第なんだろう。
前だったら、もう泣き叫んで問い詰めていたかもしれない。
でも今は、ただ静かに火を止めて、出来上がったスープを弁当箱に移すだけ。
「スープできたよ。早く持って行ってあげて」
悠真は私を見て、ひとつため息をつく。
「紬、お前は本当にいい子になったよ。心配しないで。美結が元気になったら、今度こそ盛大な結婚式をやろう」
彼の綺麗ごとの約束を聞いても、私の心には何の波も起きなかった。
チャペルの鐘が鳴り終わった夜、私の中の期待はもう全部、闇に消えていた。
私は悠真を避けるようにして、二階へ上がって着替えと荷物の準備をしようとした。
すると階段で両親に出会う。
二人は美結の化粧ポーチとドレスを持っていて、母が慌てて声をかける。
「美結にスープを作らずに何してるの?美結はまだ病院にいるのよ。あの子をお腹空かせるつもり?」
父は冷たい目で私を睨み、さらに氷のような口調で言う。
「昔の誘拐事件の時、もし美結がお前を助けなければ、お前はもうこの世にいなかった。今は美結がただスープを飲みたいって言ってるだけなのに、作るのも嫌がるなんて、なんて恩知らずな娘だ」
またその言葉。
本当は、私が孤児院から引き取られたばかりの頃、両親は私をとても可愛がってくれた。自分の手で部屋を飾ってくれて、遊園地にも連れて行ってくれたし、可愛いドレスやケーキも買ってくれた。
美結と平等に、私のことも大事にしてくれた。
美結とも、本当の姉妹みたいに仲良くしていた。
だけど、いつからか分からない。美結が何かしたのか、両親はだんだん私を見る目が変わっていった。最後には、もう私のことなんて構ってくれなくなった。
五年前に、美結が「誘拐事件」を綿密に計画した時から、家族は私のことをますます自分勝手だと思うようになった。
美結は、誰かに私を誘拐させて、自分で助けにきた。
「紬を助けるために大怪我をした」とみんなに思わせて、心も不安定なフリをして――
私は最初、ただただ美結に感謝して、申し訳なくて、何もかも譲るようになった。
それからはずっと、彼女が欲しいと言えば全部渡した。美結が鬱っぽくなって、私に暴言を吐いても、私は怒らなかった。むしろ彼女をなだめていた。
でも、ある日両親が家にいない時、私が美結のためにご飯を作っていた。そのとき、美結はにこにこと笑いながら、「誘拐事件は自分で仕組んだこと」だと教えてくれた。すべては家族みんなに、私が彼女に借りがあると思わせるために、そして、家族の愛を全部私から奪うために。
その日から、私は美結のことが大嫌いになった。喧嘩のたびに、彼女の本性を両親に伝えようとしたけど、二人は信じてくれなかった。
私と両親の距離がどんどん遠ざかっていくのを見て、美結は勝ち誇った顔で言った。
「紬、今日から、あなたにもう親はいないよ」
彼女の策略は完璧に成功した。私はまた家族を失った。
「叔父さん、叔母さん、紬はもうスープを作ってくれたよ」
悠真の声が、両親の責めを遮って、私を現実に引き戻す。
父が最初に我に返り、目の怒りが安堵に変わる。
「紬、やっと分かってくれたな。姉妹は仲良くするもんだ。それでこそ、うちの家族は幸せになれる」
「うん、もう美結とは争わないよ」
私は少し笑って、「あ、そうだ父さん。美結、体が弱くて卒業制作が進んでなかったよね。私のをあの子に使わせてあげていいよ、私は平気だから」
「いい子だな!」
父は嬉しそうに笑う。「これが本当のお姉ちゃんってものだ」
母も満足そうにうなずく。「じゃあ紬も一緒に病院に行きましょう。美結、きっと喜ぶわ」
私は淡々と笑った。
「うん、じゃあ先に行ってて。私は着替えてケーキ買ってから行く」
二人の後ろ姿を見送りながら、私は階段を上る。
――五分後、私は十年間暮らした「家」を、永遠に出ていった。
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