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全てを失った私への富豪の愛第3話

この話は約2020字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

翌朝、恒一が家に押し入ってきた。

寝室のドアを蹴り開け、殺気だった目で私を睨みつける。

「知里……会社の株を売るつもりか!」

怒鳴りながら、彼は新聞を私の顔に叩きつけた。

床に落ちた紙面の一面には、【クロスリンク・グループ、神谷社買収を検討】という大きな見出しが踊っている。

私は新聞を拾い上げ、何も言わずに恒一を見つめた。

「……あなたが、そうさせた」

「俺が?」恒一は、信じられないものを見るように笑う。「こんなやり方で、俺に報復するつもりか?

この会社が、俺の人生そのものだって分かってるのか!」

「じゃあ聞くけど、その人生は、誰のお金で成り立ってきたの?」

私は聞き返した。「最初に資金が足りないって、家を売ってでも助けてほしいって泣きついてきたのは誰?

会社は、永遠に半分は私のものだって言ったのは?

恒一……あなたの約束って、そんなに軽かった?」

恒一は言葉に詰まり、顔色がさっと変わった。

「金、金、金……!お前はそればっかりだ!

知里、お前は本当に下品な女だな!」

「ええ、そうよ」私は小さく頷く。「だから、そんな立派なあなたが、私のお金をきちんと返して。

それで、私たちはもう、何の借りも貸しもない」

「ふざけるな!」

恒一は一歩踏み込み、私の手首を強く掴んだ。

「株は売らせない!離婚もさせない!

大人しく家にいろ!どこにも行くな!」

吐き捨てるように言い残し、彼は私をベッドに突き倒して部屋を出ていった。

直後、鍵のかかる音がはっきりと響く。

監禁。

彼は私を、正気を失った厄介な存在のように扱った。

私は、人として扱われていなかった。

ドアに駆け寄り、力の限り叩く。

「恒一!開けて!これは違法よ!」

返事はない。

聞こえるのは、遠ざかっていく足音だけ。

私は、その場に崩れ落ちた。

スマホは奪われ、固定電話の線も切られている。

この家は、静かで、きれいな牢獄になった。

それから二日間、恒一は戻ってこなかった。

初日は、家政婦が食事を運んできた。

私を見る目には、露骨な蔑みと、ほんの少しの同情。

「奥様……社長が、ご自身の過ちをよく考えるようにと」

翌日も、同じように食事が運ばれる。

今度は、正気を失った女を見るような目だった。

「奥様……考え直したら、頭を下げに行けばいいって」

その二日間、ほとんど何も喉を通らなかった。

身体は急速に痩せ、力が入らなくなる。

三日目の夜。ドアが開いた。

恒一が戻ってきた。全身から、酒の匂いがする。

私は一瞬だけ、夫婦だった頃の情を思い出してくれて、出してくれると期待してしまった。

「どうだ?断食抗議のつもりか?」

彼は口元を歪め、嘲るように言う。

「知里、その手のお嬢様ごっこは、俺には通用しない」

私は彼を見つめ、掠れた声で答えた。

「……外に出して」

「いいだろう」恒一はポケットから書類を取り出す。

「これに署名しろ」

それは贈与契約書だった。

私名義の、彼の会社に関する株式すべてを、無償で譲渡する内容だった。

私は書類と彼を見比べた。

「署名すれば、出してくれる?それに……離婚も?」

「そうだ」

「何も持たずに?」

恒一の視線が、ほんの一瞬揺れる。否定はしなかった。

「知里、今の俺には金がある。お前は、もう釣り合わない。優花を待たせてる。さっさと消えろ」

私は思わず、笑ってしまった。

一番苦しいとき、彼を支えたのは私だったことをもう忘れただろう。

金を手に入れた途端、追い出す。

私はペンを取り、迷いなく署名した。

神谷知里(かみや ちさと)。

かつては、彼へのすべての愛を背負っていた名前。

今は、終わりを示すだけの文字。

私は書類を彼の前に差し出す。

「これでいい?もう、出て行っていい?」

恒一は呆然と、あっさりサインした私を見ていた。

ここまで素直に従うとは、思っていなかったのだろう。

その目に、少しだけ迷いが浮かぶ。

「……そんなに、俺から離れたいのか」

「ええ」即答だった。

彼の表情が、凍りつく。

書類をひったくり、背を向ける。

「出ていけ。二度と、俺の前に現れるな」

私は何も持たず、その家を出た。

外は雨だった。

髪も服も濡れ、体温が奪われていく。

それでも、私は何も感じない。

心のほうが、ずっと冷たかったから。

黒いベントレーが、私の前で止まった。

直哉だった。

「……乗れ」

彼はドアを開けてくれる。

車内の暖気に、思わず身体が震える。

彼はまたタオルと、温かいコーヒーを差し出した。

「追い出されたのか」

私は答えず、黙って髪を拭いた。

「連れて行きたいところがある」

車は走り、やがて川沿いのマンションの前で止まる。

「ここは俺の持ち物だ。しばらく、ここにいて。

仕事の話は後でいい。まずは、身体を立て直せ」

直哉は鍵を、私の手に置く。

「知里、これからは、うまくいくさ」

その言葉に、堪えていたものが一気に溢れた。

直哉は何も言わず、静かにティッシュを差し出した。

その夜、夢を見た。

三年前。恒一が跪き、指輪を差し出す。

「知里、俺と結婚してくれ。一生、大事にする」と言ってくれた。

目が覚める。

枕は、すっかり濡れていた。

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