偽りの誓い、私だけの星第3話
この話は約2289字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
翌朝早く、純夏は階下の物音で目を覚ました。
リビングは見る影もなく様変わりしていた。
大切にしていた花瓶も、自分で編んだ毛布も、部屋の隅に放り出されていた。代わりに置かれていたのは、けばけばしい色使いの現代風のオブジェやラグだった。
その模様替えを指図していたのは、灯里だった。
五年ぶりに見る灯里は、相変わらず流行のブランド物を身にまとい、使用人たちにあれこれ命じていた。
「そう、あの絵も捨てちゃって。ダサすぎるでしょ!」
使用人は純夏に気づくと、困った様子で言った。
「奥様、こちらの灯里様が朝から人を連れていらして……旦那様のご了承を得ていると仰って……」
「分かってる。もう下がってていいわ」
灯里が振り返り、純夏を上から下まで眺め回した。そこには隠しもしない軽蔑の色があった。
「あら、奥様気取り?昔、トイレで押さえつけられ、泣きついて許しを請うていたときとは、ずいぶん違うのね」
純夏は何も言わず、ただ灯里を見つめていた。
その視線に居心地の悪さを覚えたのか、灯里が声を荒げた。
「昔みたいに黙っていれば、それで済むと思ってるの?いいわ!」
灯里はわざと純夏がいつも使っているクッションを床に投げ捨て、ヒールで踏みにじった。それから暖炉の前へ歩み寄り、飾ってあった克己との写真立てを掴んで床に叩きつけ、粉々にした。
純夏は、それでも黙ったままだった。
ついに苛立ちを募らせた灯里は、リモコンを掴んでプロジェクターを起動させた。
画面が明るくなる。映し出されたのは五年前、トイレの個室。縛られた純夏の前に、バケツを持った灯里が立っている光景だった。
「純夏、一位を横取りするのが好きなんでしょ?今日はきっちり思い知らせてあげるわ!自分の身の程をわきまえなさいよ!」
頭から冷水が浴びせられた。
ずぶ濡れになった純夏はみっともなく崩れ落ち、何度立ち上がろうとしても、そのたびに突き飛ばされた。
映像の中の、絶望しきった自分。得意げな灯里の顔。周りで無表情に、あるいは笑いながら見ている顔。
気づけば、純夏は拳を強く握りしめていた。
灯里は時折ドアの方をちらちらと見ながら、なおも挑発を続けた。
「見なさいよ、当時の自分がどれだけ惨めだったか、しっかり見なさいって!」
その望みどおり、純夏は大きく手を振り上げた。乾いた平手打ちの音と、扉が開く音がほぼ同時に響いた。
灯里の体が、勢いよく床に倒れ込んだ。
克己がすぐさま駆け寄り、灯里を抱え起こして背後にかばった。
「何をしてるんだ!」
灯里は赤く腫れた頬を押さえ、たちまち涙をあふれさせた。
「私はただ純夏さんに謝りたかっただけなのに……なのに……」
克己が純夏に向けた眼差しには、失望の色が滲んでいた。
「純夏、話せば済むことだろう。どうして手を上げるんだ」
純夏は弁解しなかった。ただ、じっと克己を見つめてから、視線を再生され続けているプロジェクターの画面へと移した。
克己もその視線を追った。
画面の中では、灯里がバケツを掲げ、冷水を浴びせている。びしょ濡れで床にうずくまる純夏の周りを、何人もの女子が囲んで笑い転げている。
克己の体が、目に見えて強張った。灯里を支えていた手が、無意識にほどけた。
純夏の目から、音もなく涙がこぼれ落ちた。
克己は胸が締めつけられ、涙を拭おうと手を伸ばした。
「ごめん、僕は灯里がこんなことをしたなんて……知らなかったんだ」
純夏は一歩下がり、その手を避けた。
克己の手が宙で行き場を失った。深く息を吸い、灯里の方へ向き直った。
「どうしてこんな映像を残していたんだ?しかも純夏の前で流すんだ!」
すると灯里は突然頭を抱えてしゃがみ込み、体を丸めて震え出した。
「叩かないで、怒らないで……私が悪かったの、ちゃんと分かってるから……」
まるでひどく怯えたように、灯里は激しく泣きじゃくった。
克己は本能的に膝をつき、灯里を抱き寄せて背中をさすった。「大丈夫だ、怖くない。僕がここにいるから」
純夏は、その光景を静かに見つめていた。
あまりにも、見慣れた光景だった。
この五年間、トラウマの記憶に心が崩れそうになるたび、克己はいつもこうして抱きしめてくれた。
わざわざ心理学の本で学んだのだと言っていた。それが安心感を与えるのだと。
今、克己は純夏に使っていたのと同じ抱き方で、灯里を慰めていた。
純夏は胸の奥を重いもので塞がれたようで、息をするのもやっとだった。
克己の肩越しに、灯里が投げてよこす勝ち誇った視線がぶつかった。純夏はもう意味のなくなった涙を、静かに指先で拭った。
最初から分かっていたことだ。挑発してから泣き崩れ、弱さを見せるまで、すべては克己に見せるための芝居に過ぎない。
それでもあえて挑発に乗って平手打ちをした。克己がどちらを選ぶのか、確かめたかったからだ。
そして、答えは出た。灯里が泣いた瞬間、克己は迷わず選んだのだ。
――本当に、くだらない。
純夏は身を翻し、階段を上っていった。振り返ることはなかった。
一時間後、克己が寝室のドアをノックした。
戸口から聞こえた克己の声には、疲れが滲んでいた。
「灯里がホテルに一人でいるのが、可哀想に思えただけなんだ。帰国したばかりで、まだ慣れていなくて。
ご両親は、僕を助けようとして亡くなったんだ。一生面倒を見ると約束した。
ごめん、純夏。分かってる、あんなことをすべきじゃなかった……」
「診療記録を見せて」純夏が言葉を遮った。
克己は面食らった。「え?」
「灯里の診療記録。世話をするなら、まず病状を知っておくべきでしょう。向こうでどんな目に遭ったのかも。そこから治療の手がかりが見つかるかもしれないし」
克己は、完全に言葉を失っていた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
S86909- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。