偽りの花束、灰に帰す愛第1話
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「枝織、あなたは本当にこの契約書にサインするの?
よく考えなさい。一度サインしたら、あなたは国外にいるこのALS(筋萎縮性側索硬化症)患者さんの専属医になるのよ。七日後にはすぐ出発で、この数年間は帰国できない」
先輩である宮本綾香(みやもと あやか)は、理解に苦しむというように和泉枝織(いずみ しおり)を見つめ、その瞳には失望が満ちていた。
「それに、たった今聞いたわ。成景がALSと診断されたって。あなたはこの分野のトップクラスの人材であり、何より彼の妻でしょう。こんな時に彼のそばにいないで、国外へ行くなんて。少し薄情すぎるとは思わない?」
綾香の鋭い視線が枝織の心臓に突き刺さった。
全身が麻痺するほど痛かった。だが、枝織は唇を歪め、嘲りに満ちた笑みを浮かべた。
そして、枝織はきっぱりと契約書に署名し、綾香に別れを告げて家に戻った。
* * *
「枝織、あなたは本当にこの契約書にサインするの?
よく考えなさい。一度サインしたら、あなたは国外にいるこのALS(筋萎縮性側索硬化症)患者さんの専属医になるのよ。七日後にはすぐ出発で、この数年間は帰国できない」
先輩である宮本綾香(みやもと あやか)は、理解に苦しむというように和泉枝織(いずみ しおり)を見つめ、その瞳には失望が満ちていた。
「それに、たった今聞いたわ。成景がALSと診断されたって。あなたはこの分野のトップクラスの人材であり、何より彼の妻でしょう。こんな時に彼のそばにいないで、国外へ行くなんて。少し薄情すぎるとは思わない?」
綾香の鋭い視線が枝織の心臓に突き刺さった。
全身が麻痺するほど痛かった。だが、枝織は唇を歪め、嘲りに満ちた笑みを浮かべた。
そして、枝織はきっぱりと契約書に署名し、綾香に別れを告げて家に戻った。
なんて馬鹿げた話だろう。
おそらく世間の誰もが枝織を恩知らずだと思うに違いない。最も親しい先輩ですら理解できないのだから。
なにしろ、神谷成景(かみや しげかげ)がどれほど枝織によくしていたかは誰もが知るところだった。
海東市で女に湯水のように金を使う御曹司が枝織のために改心したのだ。
病院で一度見かけただけで、猛烈なアプローチが始まった。
枝織が勤めている病院と所属研究所の労働環境を改善するために巨額の資金を投じただけでなく、ALS患者のために「枝織」と名付けた慈善基金を設立し、毎年少なくとも二十億円を投じている。
それもひとえに功徳を積み、最愛の人が現世のみならず来世までも平穏無事であることを願っての行いだった。
当時、愛を信じていなかった枝織も成景によって徐々に心を解かされていった。
決定打となったのは病院で起きたある騒動だった。枝織をかばった成景は騒ぎの渦中にいた男に三度刺され、血まみれになったが、意識を取り戻した第一声で「怪我はないか?」と彼女に尋ねた。
その瞬間、枝織の心は完全に掴まれた。
二人はついに結ばれ、結婚という門出を迎えた。
結婚後も、二人は理想の夫婦という言葉をまさに体現したかのようであり、誰もが神に祝福された運命の二人だと信じて疑わなかった。
ある年の枝織の誕生日、成景は彼女の写真を街中の広告スクリーンに映し出し、無数の羨望の声を集めた。
「来世で神谷社長みたいな人と結婚できるなら、今すぐ死んでもいい!」
「あの二人、尊すぎ!和泉先生って、家族歴に羊水塞栓症があって出産リスクがすごく高いのに、それでも神谷さんのためにまさに命がけで息子の陽向君を産んだんだって!もう奇跡の愛よ!」
彼らはどれほど幸福な三人家族だったことか。
だが一週間前、枝織は息子の神谷陽向(かみや ひなた)の血液型がB型であることを偶然知ってしまった。
彼女も成景もA型だ。
A型の両親から、B型の子供が生まれるはずがない!
結婚して七年、枝織は初めて成景の尾行をした。
成景が別の女と陽向を一緒に抱きしめているのを見た時、枝織の胸は張り裂けそうだった。
彼女が心を込めて育ててきた息子がその女の頬にキスを落とした。「ママ、大好き!
パパはいつ枝織さんと離婚するの?あの人、僕に口うるさいんだ。もういらない!」
女が屈んで陽向の服を直した時、枝織はその顔をはっきりと見た。
途端に息が止まった。
その目元はぞっとするほど自分と似通っていた。
枝織は全身の血の気が引くのを感じた。胸に無数の棘が突き刺さるような痛みが走り、不吉な予感がこみ上げてきた。
じゃあ、自分の子は?
十月十日お腹で育て、死の淵をさまよって産んだあの子はどこに?
枝織は丸三日三晩かけて調べ、あの病院で当時、同時刻に生まれた二人の赤ん坊の記録を見つけた。
もう一人は娘だった。
そして、とうに夭折していた……
携帯の着信音が枝織の思考を中断させた。電話につながると、部長の声が聞こえた。
「和泉先生、成景さんはALSで確定診断が出たようです。時間がある時にでも、ご確認ください」
枝織は低い声で「わかりました」と応じた。
「俺の健康診断の結果かい?」
成景の声が不意に聞こえ、枝織は電話を握ったまま硬直した。
成景の手には一本の百合の花。
枝織が最も好きな花は百合で、それを知ってから毎日、成景は彼女に一本の百合の花を贈っていた。
知り合って一年、恋愛して二年、結婚して七年。
3千日以上、欠かしたことはなかった。
そのことを思い、枝織の目頭が赤くなった。まるで地獄に落ちたかのようだった。
成景は顔色を変えて慌てた。「枝織、どこか具合でも悪いのか?」
枝織は成景の青白い顔を見つめ、ゆっくりと疑問が湧き上がった。
これほど自分を愛し、心配してくれる人が別の女と体の関係を持つ?
何かの見間違いで、ただ夢を見ているだけじゃないの?
大丈夫、成景は今も変わらず自分を愛してくれている。陽向だって、変わらず自分の息子なんだから……
枝織はALSの診断書を握りしめ、成景に差し出した。「成景、まず私の話を……」
言い終わらないうちに、成景の携帯がブブッと震えた。
枝織は、画面の表示名が「陽菜」であることを見逃さなかった。
あの女だ!
成景は立ち上がり、枝織から離れて電話に出た。
向こう側と口論になっているようだった。すぐに、枝織の航空券予約アプリが通知音を鳴らした。
七日後の家族旅行。彼女の分の航空券だけがキャンセルされていた。
成景と陽向の分はそのまま残っていた。
成景が電話を切って戻ってきた時、その表情は不機嫌だった。
「枝織、七日後の旅行だがキャンセルになりそうだ……会社で急に重要な会議が入ってしまって」
だが枝織はそっと笑った。「平気よ。日程を変えればいいだけだから」
成景は自分の診断書を受け取ろうとした。「検査結果はどうだった?」
枝織は平静を装い、その診断書をベッドサイドの引き出しに戻し、何でもないように言った。
「とても健康よ、問題ないわ」
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