偽りのプラトニック、幻の花に散る執着第3話
この話は約2503字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
真白が運ばれてきたときには、もう全身血まみれだった。
豪は血に染まった自分の手を見つめ、その目には彼自身も気づかぬほどの恐怖が浮かんでいた。
「早く!手当をしてくれ!」
ところが真白は、私の顔を見ると、急に怖がって金切り声を上げた。
「石井先生、本当にごめんなさい!もう二度と豪さんには付きまといませんから、どうか助けてください!」
それと同時に、直也が事故を起こした運転手を連れて入ってきた。
運転手は部屋に入るなり、ドサリと床にひざまずき、私の白衣の裾にすがりついて泣き叫んだ。
「石井先生、言われた通りにやりましたよ!殺しはできなかったけど、あなたの指示で動いたんです。捕まりたくないから、助けてください!」
運転手の叫び声に、病院にいた人たちがみんな集まってきた。
私はその場で固まってしまった。あまりにもバカバカしかったからだ。
運転手を振り払おうとした瞬間、豪の怒鳴り声が響いた。
「睦月、お前は狂ったのか?真白が血の止まりにくい病気だってこと、知らないわけないだろう!」
怒鳴りつけられて、私はびくっと体を震わせた。
顔を上げて、信じられないという思いで豪を見つめた。「私のこと、信じてくれないの?あなたまで、私がこんなことをする人間だと思うの?」
「石井社長、小川さんの血液型はRhマイナスです。病院の在庫では足りません、今すぐ輸血しないと命が……」
「あれ、確か石井先生もRhマイナス血液型じゃなかったんですか?でしたら話は早い、石井先生から輸血すればいいんじゃない?」
野次馬の中から、誰かがそう叫んだ。
その声に同調する声が、波のようにどんどん大きくなっていった。
「睦月を中へ連れていけ!」
豪は冷たい表情で命令し、私は輸血室へと引きずられていった。
私には重い遺伝性の貧血があって、毎月輸血をしないと生きていけない体だった。
真白の出血量を考えると、私の体の血を全て抜き取られてしまうかもしれない。
注射針が血管に入った瞬間、私はパニックになって暴れた。
「豪、あなた狂ってる!私の貧血のことを忘れたの?」
「人の命がかかっているんだ、睦月。わがままを言うな」
豪はそう言い放つと、冷たく背を向けて去っていった。
採血が終わる頃には、私はもう自力では立つことさえできなくなっていた。
「奥様。社長がこうおっしゃっています。『これからも大人しく石井家の妻であり続けるなら、輸血をしてやる』とのことです」
直也の言葉で、私はようやく理解した。豪は私の病気のことを忘れていたわけではなかったのだ。
私は力なく、フンと鼻で笑った。
「死んだとしても、この離婚は絶対に成立させてみせるから」
そう言い終えると、もう体を支えきれず、バタリと床に倒れ込んだ。
次に目を開けたとき、目の前には怒りに燃える豪がいて、私の手首を強く掴んできた。
「睦月、まだ現実が分かっていないようだな。
石井家の後ろ盾がなければ、お前は生きていくことさえできないんだぞ!」
豪の腕にある注射の跡に目をやる。
私はきっぱりとした態度で笑った。「だったら、私を死なせてくれればいい」
豪は息を呑み、目を真っ赤にしながら私の手を振り払った。
「上等だ。
いつまで強がっていられるか、見ものだな」
その夜。
【天才外科医・石井睦月、殺し屋を雇い殺害図るか】といったニュースが、ネット上で瞬く間に拡散された。
騒ぎはどんどん大きくなり、院長自らが記者会見を開いたものの、燃え盛る批判の声を鎮めることはできなかった。
私のスマホは、一晩中鳴りやまなかった。
これほどのことを短時間で仕組める人間は、豪をおいて他にいない。
私が助けを求めるのを待っていたのだろうか、豪はさらに追い打ちをかけてきた。
世間の騒ぎが少し落ち着いたかと思った矢先、新たなニュースがネットを駆け巡った。
何者かが、私の何年も前の診断書をネット上に公開したのだ。
PTSD、重度のうつ病、そして気分障害。
これで世論の火に油が注がれ、医学界の新鋭ともてはやされた私の評判は、一夜にして地に落ちた。
夜が明けてから、私は病院に向かった。
院長が、豪に対してぺこぺこと頭を下げているのが見えた。
私の姿を見つけると、豪は「ほら来た」と言わんばかりの皮肉な笑みを浮かべた。
「睦月、言ったはずだ。石井家の後ろ盾がなければ、お前など何の価値もないと。フッ、もう我慢できなくなって助けを求めに来たか?」
私は黙って退職願を差し出した。
これまで苦労して積んできたキャリアをふと考えていると、胸が苦しくなるのを抑えられなかった。
医者になるという道がどれほど険しいものか、豪は私以上に分かっているはずだ。
私が生涯をかけて人の命を救う医者になりたいと願っていたことも、豪はずっと知っていた。
それなのに今、豪は私に現実を突きつけている。私の何年にもわたる努力が、彼のたった一言の前では何の意味もなさないのだと。
その退職願を見て、豪は一瞬きょとんとした後、怒りのあまりか、ふっと笑った。
彼は立ち上がると、私の腕を無理やり掴んで真白の病室へと引きずっていった。
「辞めるだけで済むと思うなよ。そんな汚いことをしておいて、その全てを償うべきだろう!」
真白は私の顔を見るなり、また動転し始めた。
「この人殺し、なんでここにいるのよ!豪さん、この人の顔なんて見たくない!追い出して!」
真白は事故で車に手を轢かれ、後遺症が残ってしまった。
豪は彼女を抱きしめてなだめながら、ボディーガードに目配せして私の右手を机に押さえつけさせた。
豪が何をしようとしているのか悟った瞬間、私の心はとてつもない恐怖に襲われた。
「豪、やめて、そんなこと……きゃあっ!」
ボディーガードが振り下ろしたナイフが、私の手のひらを貫いた。
突き刺すような激痛に、私はその場で気を失いそうになった。
血まみれになった自分の手を見て、私は絶望の叫び声をあげた。
豪は表情ひとつ変えずに、私から目をそらした。
「ちょうどこの病室に世話役が足りなかったところだ。お前のせいで真白はこうなった。彼女が入院している間は、責任をもって世話をしろ」
私は床に倒れ込み、痛みで声も出なかった。
真白は豪の腕に抱かれながら、私に向かって勝ち誇ったように微笑んだ。
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