偽りのプラトニック、幻の花に散る執着第1話
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夫の石井豪(いしい ごう)は、常に誰かと肌を重ねずにはいられないような、異常な欲求の持ち主だ。
それなのに、結婚して7年、彼は一度だって私に触れたことがなかった。
欲望を抑えこもうと、豪はほとんど毎日のように冷水に浸かり、腕は薬の注射痕でいっぱいだった。
豪のことが心配で、何度か私から誘ってみた。でも、彼はいつも自分を抑えるように、私の額にキスをするだけだった。
「睦月(むつき)、そんなことしなくていい。俺は、下半身にだらしない男たちとは違うんだ。
お前を傷つけるなんてできない。お前のためなら、一生プラトニックな関係だってかまわない」
豪のその異常なまでのこだわりは、7年間も続いた。
欲望を我慢しすぎて、何度も病院に運ばれるほどだったのに、決して一線を越えようとはしなかった。
だが、よりにもよって私たちの結婚記念日の当日、九度目となる処女膜再生手術の予約を取りにひとりの若い女性がやって来たのだ。
麻酔が効いてくると、その女性は顔を赤らめ、意識が朦朧としたまま力の抜けた声で啜り泣いた。
彼女の体中にあるキスマークを見て、私は首を振った。また道を踏み外してしまった子なんだろう、と。
だが、そんな私の思い込みは、直後に彼女が絞り出した声によって無惨にも打ち砕かれる。
「豪さんのバカ……」
その言葉を聞いて、私の手は震え、メスを落としそうになった。
だって、夫の名前も、豪だから。
* * *
夫の石井豪(いしい ごう)は、常に誰かと肌を重ねずにはいられないような、異常な欲求の持ち主だ。
それなのに、結婚して7年、彼は一度だって私に触れたことがなかった。
欲望を抑えこもうと、豪はほとんど毎日のように冷水に浸かり、腕は薬の注射痕でいっぱいだった。
豪のことが心配で、何度か私から誘ってみた。でも、彼はいつも自分を抑えるように、私の額にキスをするだけだった。
「睦月(むつき)、そんなことしなくていい。俺は、下半身にだらしない男たちとは違うんだ。
お前を傷つけるなんてできない。お前のためなら、一生プラトニックな関係だってかまわない」
豪のその異常なまでのこだわりは、7年間も続いた。
欲望を我慢しすぎて、何度も病院に運ばれるほどだったのに、決して一線を越えようとはしなかった。
だが、よりにもよって私たちの結婚記念日の当日、九度目となる処女膜再生手術の予約を取りにひとりの若い女性がやって来たのだ。
麻酔が効いてくると、その女性は顔を赤らめ、意識が朦朧としたまま力の抜けた声で啜り泣いた。
彼女の体中にあるキスマークを見て、私は首を振った。また道を踏み外してしまった子なんだろう、と。
だが、そんな私の思い込みは、直後に彼女が絞り出した声によって無惨にも打ち砕かれる。
「豪さんのバカ……」
その言葉を聞いて、私の手は震え、メスを落としそうになった。
だって、夫の名前も、豪だから。
……
手術が終わると、私は自分の腕時計を、こっそりその女性・小川真白(おがわ ましろ)のカバンに忍ばせた。
その夜、私はダイニングテーブルの前で、ずらりと並んだご馳走をぼんやりと眺めていた。
さっき豪の秘書、野口直也(のぐち なおや)が届けに来た高級な宝飾品が、いくつも部屋の片隅で無造作に積み上げられている。
「奥様、社長から伝言です。今夜は大事な商談で記念日を一緒に過ごせなくなった、と。こちらは社長が奥様のために自らお選びになった品々です」
すっかり冷めてしまった料理を前にして、私はタブレットを開いた。腕時計のGPSは、とある高級住宅街を指していた。
このダイヤモンドの腕時計は、豪からのプレゼントだ。
中には最新のGPSと盗聴器が仕込まれている。
以前、私が何者かに拉致されたことがある。命拾いしたようなその出来事が、豪を半年もの間、不眠にさせた。
だからそれ以来、彼は私の身の安全を何よりも大切に考えてくれている。
「豪、今日は奥さんとの結婚7周年記念日だろ?本当に帰らなくていいのかよ?」
向こうからは、クスクスとからかう声が聞こえてくる。
しばらくして、豪は深みのある声でふっと鼻で笑った。
「あの真顔を見に帰れって?」
だるそうで、馬鹿にしたような口ぶりだった。
スピーカー越しでも目に浮かぶようだった。豪が上座でタバコをふかしている姿が。
向こうで、何人かが笑った。
そして、カチンカチン、とグラスを合わせる音がした。
「7年間も、奥さんに指一本触れてないって聞いたぜ?あんな美人を前にして、よく我慢できるね」
「ばかかお前。この界隈で豪が処女しか抱かないの、知らないやついねえだろ。奥さんがいくら綺麗でも、一度ケチがついた中古品じゃねえか。真白ちゃんの純粋さには敵わねえよ」
真白は恥ずかしそうに、甘い声を出した。
それを聞いて、私は急に寒気が全身を走り、手まで震えだした。
まるで、一番思い出したくない、あの暗闇の時間に引き戻されたようだった。
豪と結婚する前の晩、私は彼の宿敵に拉致された。
石井家への見せしめのために、私は72時間もの間、辱めを受けた。
私が見つかった時、豪は狂ったように取り乱していた。
それ以来、私は心に深い傷を負い、人に触られると反射的に吐いてしまうようになった。
豪はいつも、声を詰まらせながら何度も私にこう言った。
「睦月、お前は汚れてなんかない。この世界で誰よりも純粋で美しいんだ」
またスピーカーの向こうで笑い声が上がり、誰かが尋ねた。
「じゃあ、なんで結婚したんだ?7年だぞ?少しは情が湧くだろ」
場の空気が、しんとなる。
誰もが、豪の答えを待っているようだった。
部屋の中では、私の心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。
豪はぐいっと酒を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。
「もういいだろ、子供じゃあるまいし。
抱かないのは、他人に散々汚された体なんて生理的に無理だからだ。でも、あのまま見捨てて万が一自殺でもされたら、誰が責任被ると思ってんだ?」
「ははは、そうだったな、忘れてた。豪がいないと、奥さんはマジで死んでたかもな」
「どうせみなしごなんだ。石井家に嫁げただけでも、ありがたいと思わなきゃ。あんな女、高いもんでも買い与えて機嫌とって、ペットみたいに飼っとけばいいんだよ」
パーティーがお開きになり、みんなが帰った後、真白が口を開いた。
「豪さん、サプライズを用意したの。なんだと思う?」
豪は最後の一口を飲み干すと、鼻で笑いながら真白を抱き上げた。
「試せばわかるだろ」
聞いているだけで顔が熱くなるような声が、次々と聞こえてきた。
手の甲に冷たいものが落ちて、はっとした。いつの間にか、私の顔は涙でびしょ濡れだった。
涙は指の間を伝い、薬指にはめられた結婚指輪を濡らした。
こわばった体を少し動かし、ふと笑った。
そして、テーブルの上の心を込めて作った料理をすべて床に叩き落とし、激しく嘔吐した。
向こう側の物音は、空がほのかに明るみ始めた頃に、ようやく静かになった。
真白の声は、泣きじゃくってかすれていた。
「豪さんのバカ……」
私は指から結婚指輪を抜きながら、結婚式の日の誓いの言葉を思い出していた。
「豪、もしあなたがひどいことをしたら、私は永遠にあなたの世界から姿を消すから」
22歳の豪は、真剣な目で私を見つめていた。
「残念だな。お前には一生、そんな機会は訪れないよ」
窓ガラスに映る、自分の惨めな姿を見つめ、私は涙を拭うとスマホを手に取り、豪の母親の石井莉子(いしい りこ)に電話をかけた。
「お母さん、もう決めました。お母さんの条件、お受けしましょう」
……
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