余生、さようなら第3話
この話は約1560字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
添付動画に映った男の肌を伝う水滴が、今にも零れ落ちそうだった。
引き締まった腰には、乱暴に巻かれたタオル一枚だけ。
顔が写っていなくても、瑠衣には一目でわかった――これは、逸斗の背中だ。
何千回となく触れてきた、あまりにも馴染み深い輪郭。
彼はシャワーを浴びている。
そして、その次に起こるべきことなら、大人であれば、知らないはずがない。
瑠衣は機械のように動画を繰り返し再生した。
胸が痛み続け、やがて感覚が麻痺した頃、ようやく指先がスクロールを続けた。
【つんぼさん、空気を読まさいよ。席を譲るのが筋でしょう】
差出人は匿名、そしてウィンドウを閉じた瞬間、メールは自動的に取り消された。
これは誰かが意図的に送りつけてきたもの。
しかも否定しようもない事実として、これは合成ではなかった。
瑠衣は呆然と座り、返信のないメッセージ画面を見つめながら、頭の中で、いくつもの可能性が渦巻く。
これが競合会社の策略であれば――そう願わずにはいられなかった。
だが現実は残酷だった。送り主は逸斗の助手の一人、松井朝海(まつい あさみ)だ。
スマホの画面がふいに明るくなり、瑠衣の思考は現実に引き戻された。
通話ボタンを押すと、画面には逸斗と陽太の二人が並び、「愛してる」の手話を揃えて見せてくる。
「瑠衣、もう着いたよ。行けなくて心配してるって伝えたら、父さんも母さんも、君の体調をとても気遣ってくれた」
「ママ、僕、おじいちゃんにちゃんと伝えたよ!おじいちゃん、ママに体を大事にしてって。おばあちゃんもおばさんもそう言ってた。それでね、僕プレゼントももらったんだ!」
陽太は嬉しそうに、一つひとつのプレゼントを画面に向けて披露した。
「うん、楽しんでね。そうだ、松井さんは一緒?お酒を飲むなら、運転はやめてね」
瑠衣は優しく微笑みながら、しかしどこか探るように画面を見つめた。
逸斗の顔色が、たちまち冷たくなり、手話が慌ただしく動き、焦りを込めて説明した。
「瑠衣、今日は家族宴会だよ。部外者は連れてこられない。陽太には世話係がついている。終わったらすぐ帰るから」
――逸斗、いつからそんなに平然と嘘をつけるようになったの?
瑠衣の喉に、甘酸っぱい飴玉がつかえているようだった。
飲み込めず、吐き出すこともできない。
画面の向こうでは、かすかな雑音の中、朝海が白鳥家の年長者たちに挨拶をしている。
とりわけ逸斗の母――白鳥真千子(はくちょう まちこ)の大きな声が耳を刺す。
「まあまあ、朝海ちゃんも大変ねぇ。うちの逸斗と一緒にいるのに、ちゃんとした立場もないなんて。食べたいものあったら言いなさい、家に帰ったら母さんが作るから!
聞こえないだけの女に、うちの若奥様の席に居座るなんて。でも安心して、母さんがそのうち離婚させてあげる。逸斗は不器用なだけで、本当はあんたのことを……」
瑠衣は画面を見つめた。
家族が自分を侮辱しているのに、一切反応せず、ただ必死に「愛してる」の手話だけを送り続ける逸斗に、彼女の胸の奥が、じわじわと冷たくなっていく。
――これのどこが、「家族宴会だから部外者は連れてこられない」なの?
「ねえ逸斗、朝海ちゃんがいい?それとも、あのつんぼがいい?」
侮辱に飽き足らないのか、真千子はわざと画面の前に出てきて問いかけた。
高慢に顎を上げ、まるで瑠衣に施しでも与えるかのように。
「母さんは、君の体調を心配してるのよ」逸斗の手話は、そう伝えている。
けど彼の唇は、はっきりとこう動いていた。「母さんの思うとおりでいい」
――そうか。彼の母が朝海を「良い」と言う。そして彼も、それに従うつもりか。
瑠衣の目の縁が熱くなった。
もう、とっくに彼への未練は終わっていたはずなのに。
しかし、積み重ねた年月は、そう簡単に消えるものではなかった。
彼の言葉を聞くだけで、胸の奥がまだ疼いてしまう。
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