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余生、さようなら第1話

この話は約1650字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

「宿主、この世界からの離脱を――本当に確認しますか?」

五年間も沈黙していた機械的な声が、藤原瑠衣(ふじわら るい)の脳裏に低く響いた。

突然の声に、彼女はわずかに眉をひそめたが、その返事は揺るぎない確かさだった。

「ええ、そうしてください!」

「この異世界は、あなたのすべての痕跡を消去します。離脱まであと三日。準備を整えてください」

* * *

「宿主、この世界からの離脱を――本当に確認しますか?」

五年間も沈黙していた機械的な声が、藤原瑠衣(ふじわら るい)の脳裏に低く響いた。

突然の声に、彼女はわずかに眉をひそめたが、その返事は揺るぎない確かさだった。

「ええ、そうしてください!」

「この異世界は、あなたのすべての痕跡を消去します。離脱まであと三日。準備を整えてください」

その声が消えると同時に、長く忘れられていた世界の雑音が、ゆっくりと瑠衣の耳に流れ込んできた。

――いったい、どれほどの間、音を聞いていなかったのだろう。

聴覚を代償に自らシステムを沈黙させてから、この異世界で、瑠衣は五年を過ごした。

その五年間、白鳥逸斗(はくちょう はやと)は彼女を溺愛し続けた。

一片の曇りもない、変わらぬ愛で。

愛しい子供がいて、誰もが羨む「幸せ」が、そこにはあった。

逸斗は、まるで自身の命を慈しむように、彼女を愛した。

――あのメールを目にしなければ、の話だけど。

AIアシスタントの「あいちゃん」が通話を接続し、スマホの画面が明るく光った。瑠衣の思考は遮られる。

投影画面には、助手が素早く手話で話す姿が映っている。

「藤原社長、白鳥社長よりお伝えします。今夜の宴会のご準備を。まもなくお迎えに上がります」

今夜は白鳥家の晚餐会で、彼女はずいぶん前から用意を重ねてきた――ドレスは二階の試着室に掛けてある。

「……行かなくていいと、伝えて。今日はちょっと、気分が優れなくて。行きたくないの」

助手は硬直した。いつも進んで家族宴会に参加してきた瑠衣が、冷たく拒むなんて、彼には理解できなかった。

通話が切れて間もなく、逸斗が駆けつけてきた。

ソファに座る瑠衣の姿は、静かで、どこか寂寥を帯びた絵のようだった。逸斗は胸の奥がざわつくのを抑えきれない。

「瑠衣、どうしたの……?どうして、行きたくないんだ?」

彼は手話で問いかけ、続いて入ってきた助手が、さまざまな箱をローテーブルの上に積み上げていく。

毎日顔を合わせていても、逸斗は彼女への「特別感」を欠かしたことがない。五年間も、変わることなく優しくし続けてくれた。

けど、彼女はもう、少し疲れを覚えていた。

「……別に。ただ、疲れただけ」

「この前、誕生日に一緒にいられなかったから?本当にごめん。怒らないで瑠衣。約束する、二度と――たとえ一分たりとも、君の誕生日をないがしろにしたりしないから」

逸斗の手話は慌ただしく、瞳は深い憂いに満ちている。

後ろにいる白鳥陽太(はくちょう ようた)も、小さな手を懸命に動かした。

「そうだよ、ママ。パパを許してあげて。次にママの誕生日に帰ってこなかったら、僕がパパをやっつけるから!」

陽太は小さな拳を握り、愛らしく二度、空中へ振った。

しかし、瑠衣の耳には、はっきりと聞こえてしまった。

――「ママってわがままだなあ。朝海お姉さんだったら、こんな風にしないのに」

「そんなこと言うな。ママが本当に怒ったら、朝海お姉さんに会わせてもらえなくなるぞ」

逸斗が陽太の頭を軽くたたくと、陽太はぺろりと舌を出し、小声で呟く。「朝海お姉さんが僕のママだったらよかったのにな」

瑠衣は、動けないままその場に硬直した。

聞こえなかった頃は、父子の手話を見て、ただ微笑ましく、温もりに満ちた光景だと思っていた。

自分がこの世界で一番幸せな女性なんだ、って。

まさか――すべてが虚構だなんて。

父子ともに、心にもない言葉を平然と手話で彼女に伝える姿が、あまりにも似通っていて。

彼女は思った。

自分が聞こえないことをいいことに、この二人はいったいどれほど前から、彼女の眼前で勝手気ままに囁き合ってきたのだろう、と。

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