二度目の人生、私はもう中隊長の夫に執着しない第1話
この話は約1580字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
人生をやり直せるなら、私は婚姻届に妹の名前を書くことにした。
今度こそ、陸野軒也(りくのけんや)の願いを叶えてあげよう。
この世界線では、彼より先に妹にウェディングドレスを着せ、婚約指輪を妹の薬指にはめてあげた。
二人が出会うきっかけとなる場面も、すべて私の手で整えていく。
彼が妹を連れて京市(けいし)へ行くと聞けば、私は何も言わずに南へ下り、深南大学(しんなんだいがく)に進学することを決めた。
なぜなら、前世で私は五十を過ぎてもなお、彼と息子は土下座までして私に離婚を求めてきたから。
全ては、彼と妹との最後の縁を成就させるためだった。
二度目の人生、私はもう恋愛に縛られたくない。自由に、空高く羽ばたきたいだけなのだ。
* * *
「名前、書き終わったら渡してくれ」
陸野軒也(りくのけんや)は苛立った様子で机をトントンと叩いた。
私は婚姻届をじっと見つめ、指先でざらつく紙の端をそっと撫でる。心はどこか遠くを漂っていた。
前世の私は、まるで聖なる命令書でも受け取るように、慎重に自分の名前を書き込んだ。それから嬉々として軒也を引っ張って、お祝いのお菓子を買いに行った。
でも、彼は私に怒鳴りつけた。理由は、生理中の相沢慧奈(あいざわ けいな)に黒糖生姜湯を作りに帰るのが急がしかったから。
私は適当に返事をする。「分かった、分かったよ」
ちらりと顔を上げると、彼は焦った顔で何度も腕時計を見ている。
今日の彼は白いシャツを着ていて、袖を肘までまくり上げ、すらりとした前腕が見えていた。
思い出す。慧奈はこの格好が一番好きだった。「こうしてると、清潔感があって素敵」と言っていたっけ。
「用事があるなら、先に行ってもいいよ」
私は胸の奥の苦さを必死に押し隠し、わざと軽い声を出す。「記入が終わったら、私が提出しておくから」
予想通り、彼はほっとした様子で、少しだけ口調も和らいだ。
「心配しなくていい。俺たちは結婚するんだから、責任は取る。
でも、もう二度と慧奈のことでヤキモチ焼いたりしないでくれ。周りに知られたら、慧奈の評判が悪くなる」
私は口をつぐんだ。前世では何度も説明したけれど、彼の目には私はただの嫉妬深くて心の狭い姉に映っていた。
優しくて弱い妹を許せない、そんな女。
彼はそれ以上何も言わず、足早に立ち去った。
私は大きく息を吸い込み、乱れた鼓動を必死で落ち着かせようとした。けれど、脳裏には前世の記憶が何度も何度も蘇る。
新婚初夜、彼は「病気の妹の世話をする」と言い残し、一晩中帰ってこなかった。軍隊への赴任も、慧奈だけ連れて行った。慧奈はまだ京市に行ったことがないからだと。
私たちの息子が生まれた日すら、彼は現れなかった。代わりに、離婚した慧奈の慰めに寄り添っていた。
そして死の間際、息子は枕元で何度も説得してきた。
「お母さん、もうお父さんと離婚して。おばさんには敵わないよ。
お父さんだって、ずっと我慢してお母さんと一緒にいたんだ。もう手放してあげてよ」
私は病床で、冷たい目をした夫を見つめた。彼は一言も発しなかった。
その静寂が、彼の答えだった。
私は唇を噛みしめ、血の味が広がるまで力を込めた。
もう、二度と同じ道は歩まない。
私はペンを取り、婚姻届の申請者欄に、ゆっくりとこう記入した。
相沢慧奈。
軒也、そんなに彼女が好きなら、思い通りにすればいい。
私は記入済みの婚姻届を窓口の人に渡し、結婚証明書を受け取ると、そのまま役所を後にした。
不思議と悲しくはなかった。むしろ、言い知れぬ爽快感が胸に広がっていった。
前世の私は、両親が公務中に亡くなった後、慧奈とともに陸野家に引き取られた。
慧奈は愛嬌も要領もよく、陸野家の両親に実の娘以上に可愛がられていた。
軒也の母は早くから、慧奈を軒也の嫁にと考えていた。
けれど、慧奈の「お姉さんと争いたくない」という一言で、軒也は私を選ぶことに、何の迷いもなかったのだ。
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