事故の日、彼の心は別の女へ第3話
この話は約2078字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
純也の車は、K市の北部にある彼の別荘へ私を連れて行った。
私は助手席に座ったまま、窓の外を流れるネオンライトをぼんやりと眺めている。心は虚ろだ。
「着いた」純也は車を停め、わざわざ回り込んで私のドアを開けてくれる。
――どうしていつもこうなんだろう。愛してくれないのに、抱くだけは抱いて、しかもこんなに優しくするなんて。
鼻の奥がつんと熱くなる。
私は車を降り、キャリーケースを引きながら彼の後ろに続いた。
この家はもう見慣れすぎている。隅々に、私たちが絡み合った記憶が刻まれている。
純也は私の荷物を受け取り、私の寝室へ運ぼうとした。
「いいわ」私はまっすぐゲストルームへ歩いた。「十二日だけ泊まるんだから、ゲストルームで十分よ」
純也の足が一瞬止まった。「好きなだけいればいい。帰る時を決めるのはお前だ」
私はキャリーケースをゲストルームに運び入れ、ドアを閉めた。
ベッドに腰を下ろし、スマホの画面を見つめた。
――あと十二日。生まれ育ったこの街を、永遠に離れるのだ。
翌朝、階下に降りると、純也はすでにダイニングルームで朝食をとっている。
彼は私に気づくと、正面の席を指さした。
私が座ると、使用人が牛乳とトーストを持ってきた。
「純也」私は切り出した。
彼は顔を上げ、金縁メガネ越しに落ち着いた眼差しを向けた。
「舞子が高橋美穂の娘だって知ってる?」
「昨日知った」純也の表情は変わらず、私に対しての罪悪感のかけらも見せなかった。
私は苦笑した。「舞子って、あなたにとって何なの?」
純也はコーヒーカップを置き、答えた。「高校の同級生だ。俺のために刃を受けて命を救ってくれた。その後はヨーロッパでずっと療養していた」
「ただの同級生で、命の恩人――それだけ?」
純也は眉をわずかにひそめ、私を見つめた。「茜、彼女が今見城家に戻ったからといって、わざわざ彼女を疎ましく思うのはやめてくれ」
私は笑い、声に苦みを滲ませる。「つまり、警告ね?」
「忠告だ」純也の声は冷たかった。「舞子は体が弱く、刺激に耐えられない」
私は小さく頷き、それ以上の言葉を飲み込んだ。
――純也の舞子への庇い方は、思っていた以上に露骨だった。
もう何を聞いても、答えはわかっている。
「了解」私は席を立つ。「部屋に戻るわ」
その日は一日中、私はゲストルームに籠もっていた。昼も夜も食事は使用人が運んできて、私はまったく階下に降りなかった。
深夜、私はベッドに横たわっても、目は冴えたまま。
以前なら、この時間になると純也が部屋の扉を押し開け、何も言わずに私を押し倒し、「姫」と呼びながら腰を掴んできた。
けれど今夜の廊下は静まり返っている。
――そうよね。憧れの人が戻ってきたのだから、私のことを思い出すはずもない。
翌日は週末。純也は会社に行かず、午前10時頃に私の部屋のドアをノックした。
「茜、今夜は会食がある。一緒に来てくれ」
ドアを開けると、彼はすでに黒いスーツに着替えていた。
「どんな会食?」
「いつもの顔ぶれだ」
私はこの思い出が詰まった家に一人でいるのが嫌で、頷いて了承した。
夜七時、純也の車は会員制クラブの前に停車した。
中に入ると、室内は花とリボンで彩られ、温かみのある雰囲気に包まれている。
これまで参加してきたビジネス会食とはまったく異なっていた。
理由を問う間もなく、聞き慣れた声が弾んだ。
「純也!やっと来てくれた!」白いドレスをまとった舞子が、蝶のように舞いながら駆け寄ってきた。
私に気づくと、彼の顔は一瞬だけ硬くなった。しかしすぐに、甘い笑みを浮かべた。
「茜も来てくれてよかった!」
視線を巡らせると、壁に大きく掲げられたポスターが目に入った。
――「倉下舞子・帰国歓迎会」。
つまり、これは舞子のための歓迎会。
純也は私を彼女の歓迎会に連れて行った。
私は踵を返して出ようとしたが、舞子が行く手を遮った。
「茜、どうしたの?具合でも悪いの?」彼女は心配そうな眼差しで私を見つめた。「聞いた。お家を出られたって。本当にごめん、私のせいだよね?知らなかったの、幹夫さんが私をあなたの部屋に入れるなんて……」
彼女の声は小さくか細かったが、周囲の人々にしっかり届く調子だった。
客たちの視線が、探るように私に注がれる。
「気にしないで」私は答えた。「部屋のことなんて、大したことじゃないわ」
「でも……幹夫さんが言ってたの。『茜はもう父娘の縁を切った』って。それも全部、私が戻ったせいで……」舞子の目に涙がにじんだ。
「舞子」私は彼女の言葉を遮った。「私が見城幹夫と縁を切ったのは、よそ者のあなたには関係ない」
舞子の涙がぽろりとこぼれ落ちた。可哀想に、純也を見上げた。
純也は舞子に歩み寄り、まず私に警告の視線を送った。それから舞子に優しく言った。「泣くな。目が腫れる」
彼はハンカチを取り出し、そっと舞子の涙を拭った。
舞子はすぐに笑顔を取り戻し、潤んだ瞳で囁いた。「純也って、やっぱり優しい……」
私はその幸せそうな光景をそばで見ていた。胸の奥が、まるで氷の湖に沈められたかのように冷たく痛んだ。
私は振り返り、カウンターへ歩み寄り、シャンパンを一気にあおった。
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