事故の日、彼の心は別の女へ第1話
この話は約3734字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
三年前、私は首都K市の大物、仲田純也(なかだ じゅんや)に薬を盛った。
あの夜、狂乱の果てに――彼は私を罰したのではなかった。
むしろ、彼は私の腰を強く抱きしめ、私の足が立たなくなるまで激しく突き、何度も何度も耳元で「姫」と呼んでくれた。
私が彼に告白しようとしたその瞬間、彼の憧れの人である倉下舞子(くらした まいこ)が戻ってきた。
彼は舞子のために、私が交通事故に遭うのを、母の遺品が野良犬に投げ与えられるのを黙って見過ごした。さらに、私が留置場に送られることさえ許した……
しかし、私が完全に心を閉ざし、H市へ飛び、別の誰かと結婚しようとしたとき――純也はK市の街中を探し回り、私を見つけるために必死に奔走していたのだった。
* * *
世間の認識では、私は見城家の華やかで奔放なお嬢様であり、仲田純也(なかだ じゅんや)は首都K市の政財界で名を馳せる大物で、冷淡かつマナーを厳格に守るストイックな人。
けれど夜になると、彼は私の腰を強く抱きしめ、私の足が立たなくなるまで激しく突き、何度も何度も耳元で「姫」と呼んでくれる。
でも彼は知らない。あと二週間で、私は別の人と結婚することを。
シーツにはまだ湿った温もりが残っていた。私はベッドに横たわり、呼吸を整えた。純也はすでに身支度を整えていた。
私は横向きに寝そべり、彼の長い指がシャツのボタンを留めていく様子を見つめる。
「今夜は泊まらないの?」
「会社で会議がある」と彼は振り返りもせずに言った。「おとなしくしてろ」
またその言葉。
私は体を起こすと、シーツが肩から滑り落ちた。
純也は一瞬動きを止め、すぐにネクタイを締め直した。
「……純也」
「ん?」
「……なんでもない」
彼は振り返り、身をかがめて私の額にそっと口づけた。「行くぞ」
扉が閉まった瞬間、私はスマホを手に取り、慣れ親しんだ番号に電話をかけた。
「お父さん、縁談に同意するわ。二週間後、私はH市の兼藤家の、死にかけている跡取りと結婚する。でも条件が一つある」
受話器の向こうで、見城幹夫(けんじょう みきお)の声が弾んだ。
「よし!言ってみろ!どんな条件でもすぐに飲もう!」
「会って話すわ」
通話を切ると、私はナイトテーブルに目を向けた。そこには純也が置いていった予備のタブレットがある。
画面が明るくなり、新しいメッセージが表示された。
送信者の名前は舞子。
【純也、今日は病院に付き添ってくれてありがとう。先生が、私の回復が早いのはあなたがしっかり看病してくれたおかげだって。明日、一緒に映画を観に行きたいな。昔みたいに】
その下にはキスのスタンプ。
私はそのメッセージを見つめ、指先がかすかに震えた。
純也は一度も私の病院への付き添いをしたことがない。たとえ、私がこの前の乗馬訓練で肋骨を折ったときでさえも。
私は服を身にまとい、そっと彼の車の後をつけた。
高級ミシュランレストランの前で、彼は車を降りた。
その先に現れたのは、白いワンピースを着た少女、倉下舞子(くらした まいこ)。
彼女は写真よりもさらに痩せている。純也は風に乱れた彼女の髪を直す。その仕草は、まるで壊れやすい陶器に触れるかのように優しい。
ベッドの中を除けば、私は彼があんなに優しい表情を見せるのを一度も見たことがなかった。
三年前、父が私を純也のもとへ送り出したとき、彼の冷ややかで端正な顔を見た瞬間、私は情けなくも足が震えた。
「見城茜(けんじょう あかね)を躾けてやってくれ」父は純也にそう言った。「あの子は奔放すぎる。お前しか手綱を握れない」
当時十九歳で、ボーディングスクールから戻ったばかりの私は反抗的で、誰にも従わなかった。
私を手懐けようとする男は多かったし、純也もその一人だと思っていた。
だから、むしろ私が先に彼を手懐けてやろうと考えた。
初めて会った日、私はわざと超ミニのスカートを履いて彼のオフィスへ向かった。
純也は机の向こうに座り、目も上げずに言った。
「脚を閉じろ、茜」
「どうして?」
「その座り方では、見城家には家風がないと思われる」
私はスカートの裾をさらにたくし上げて見せた。「じゃあ、今はどう?」
純也は顔を上げ、金縁メガネの奥から冷ややかな眼差しを向けた。「出ていけ」
それから数か月の間、私はあらゆる手で彼を挑発した。
彼の資料にメモを忍ばせたり、彼が仕組んだビジネスを台無しにしたり、さらにはウイスキーに下剤を混ぜたりもした。
けれど純也はいつも冷静に後始末をし、まるで子どもに説教するかのような口調で話すのだった。
「茜、お前は賢い。しかし、その賢さは正しい方向に使うべきだ」
そして、あの夜。
私は彼の酒に薬を盛り、彼が理性を失う様子を見てみようと思った。
けれど薬が効き始めた時、私自身もその部屋にいた。
純也は私の手首を押さえ、荒い息を吐きながら低い声で問いかけた。「酒に何か入れた?」
「もうわかってるでしょ?」私は彼の目をじっと見つめて言った。「私と試してみる?」
その夜が、すべてを変えた。
翌朝、目を覚ました時、純也はすでに服を着ていた。
私はてっきり彼が怒り狂って私を父のもとに突き返すと思い、慌てて口を開いた。「純也、私――」
「姫」彼は私の頬を撫でた。「これは俺たちだけの秘密だ」
姫。
その呼び名に、私は完全に心を奪われた。
その後の二年間、私たちは奇妙な関係を続けた。
昼間は冷徹な仲田社長が、夜になると私の耳元で「姫」と囁き、足が立たなくなるまで抱いてくれる男。
私は彼が私を愛していると信じていた。
だが、私の誕生日の日――
一日かけて準備を整え、最も美しいドレスを身にまとい、私たちが初めて出会ったレストランを予約した。
その場で「愛している」と告げるつもりだった。どんな代償を払ってでも、一緒になろうと。
しかし、彼は現れなかった。
私は三時間も一人で待ち続け、店員から哀れむような視線を向けられた。
翌日、純也が空港で別の女を華やかに出迎える写真がネット上に拡散された。
その女は――舞子。彼女は純也の腕に寄り添い、本物の恋人のように親密だった。
私の誕生日をすっかり忘れたのは、彼女を迎えに行くためだったのだ。
私は苦笑いを浮かべ、酔いつぶれるまで酒をあおった。本当は彼に問いかけたかった――私は一体何なの?ただの都合のいい女?それともセフレ?
しかし、口に出す勇気はなかった。
私はあまりにも孤独で、彼がくれる温もりにすがりつきすぎていた。
もし真実を突きつけたら、彼は私を切り捨ててしまうだろう――それが怖かった。
純也の書斎で舞子の写真を見つけた夜、私はそれをすべて叩き割った。
けれど純也が帰宅し、家の中が荒れているのを見ても眉一つ動かさず、使用人に家の片付けと私の世話を命じただけで、私のそばを素通りした。
その瞬間、私は悟った。
純也は仲田家の跡取りであり、雲の上の存在で、冷静でストイックな人だ。
彼が私を許してきたのは、単に取るに足らない存在であり、相手にする価値もないからだ。
それでも彼は夜になると「姫」と呼び、以前と変わらず振る舞った。
けれど、私の心はすでに絶望に沈んでいた。
レストランの外で、純也が舞子のために車のドアを開け、楽しそうに言葉を交わす様子を見届けると、私は視線を逸らし、車を走らせて見城家の屋敷へ戻った。
リビングで、幹夫と継母の高橋美穂(たかはし みほ)がテレビを見ている。
私が入ると、幹夫はリモコンを手に取り、テレビの電源を消した。
「言え。政略結婚の条件は何だ」
私はソファに腰を下ろし、告げた。「あなたと親子の縁を切る」
父の顔がこわばった。「……なんだと?」
横にいた美穂は、私の言葉に目を輝かせた。
「兼藤家の死にかけている跡取りと結婚するのは構わない。でもその代わり、私たちは親子の関係を断つ。私はもう見城家の娘じゃない。あなたは愛人と愛人の娘を堂々と迎え入れればいい。交通事故を仕組んで母を殺したあの日以来、私はもうあなたを父とは思っていない!」
父の顔色は一瞬で真っ青になった。「何度も言っているだろう!あの事故はただの偶然だ!」
私は冷ややかに彼の目を見つめ返し、嗤った。「偶然だろうと何だろうと、母はあんたと美穂が密会している現場を見に行く途中で亡くなったのよ。父娘の情なんて演じなくていいわ。五か月も私を兼藤家に売り飛ばそうとしてきたのは、結局その女を正妻にするためでしょ?その女の娘に見城の苗字を与えるためでしょ?」
幹夫は立ち上がり、怒鳴った。「茜!お前は縁を切りたいんだな!?いいだろう!明日からお前はもう俺の娘じゃない!」
「取引成立ね」私は階段を上りかけて、ふと振り返った。「ああ、それから忘れないで。兼藤家に知らせておいて。縁談相手はもう見城家の令嬢じゃない。父も母もいない孤児よ。それでも同じ条件で買ってくれるかどうか、確かめなさい」
部屋に戻り、扉を閉めた瞬間、私はようやく仮面を外した。
涙が溢れ、ベッドの上で小さく丸まる。まるで傷ついた小動物のようだ。
――純也、あなたは知ってる?
あなたから完全に逃れるために、私は最後の拠り所さえも捨てたのよ。
翌朝早く、階下から家具を運ぶ音が響いてきた。
私は起きて階段を降り、踊り場に立った。
そして、階段の下に立っていたのは――
舞子。
一瞬で、私は血の気が引いた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)