ヤンデレ彼氏を捨て、機密機関へ逃亡します第2話
この話は約2427字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
翌朝、美夕が階下へ降りると、テーブルいっぱいに、まだ湯気を立てる朝食が所狭しと並べられていた。
キッチンから姿を現した凛は、無意識のうちに口元をほころばせる。
昨日、美夕があれほど激しく嫉妬してくれたことが、彼には嬉しくてたまらなかったのだ。
朝食を終えてもなお、美夕が一言も口を利こうとしないのを見て、凛は慌てて、あの眩い輝きを放つ宝石のネックレスを取り出した。彼女の髪をそっとかき上げ、優しく首元へとかける。
「美夕、お前が一番気に入ってたネックレスだ。買い戻してきたんだ。だから、もう怒らないでくれないか?確かに玲奈とはキスをした。でもあの時だって、俺の心にはお前しかいなかった。
ただ、お前に嫉妬してほしくて玲奈を利用しただけなんだ。分かってるだろう?俺が愛してるのは、お前一人だけだって。
これからは、もう他の男と必要以上に関わらないでくれ。ほかの男を見るのもやめてほしい。な?」
その言葉を聞いても、美夕はただ黙り込んだままだった。
以前の彼女なら、それは凛が自分を愛し、大切に思ってくれているからこその言葉なのだと信じていただろう。
けれど今の彼女には、そのあまりにも重すぎる愛を受け止めることなど、もうできなかった。
今、彼女が望むことはただ一つ。
十日後、誰にも気づかれることなく、彼の世界から静かに姿を消すこと――それだけだった。
国家研究所の機密保持体制は極めて厳重だ。美夕に関する経歴や個人情報はすべて秘匿され、たとえ凛がどれほど絶大な権力を持っていようと、二度と彼女を見つけ出すことはできない。
美夕がいつまでも黙り続けているのを見て、凛はまだ機嫌を直してくれていないのだと思い込み、アシスタントの中村和彦(なかむら かずひこ)へ電話をかけた。
「パーティーの準備をしてくれ。内装は全部、美夕の好みに合わせてくれ」
美夕は、自分が行かなければまた何か騒ぎになると分かっていたため、あえて止めようとはしなかった。
パーティーは最高級のラグジュアリーホテルで開かれた。
会場には数え切れないほどの瑞々しい薔薇が咲き誇り、芳醇な香りが漂っている。挨拶に訪れる招待客たちは、仲睦まじい二人の姿を見て、羨望の眼差しを向けていた。
「黒川社長は本当に彼女さんを溺愛してるな。七年も付き合ってるのに、片時も離れたくないって感じだ。美夕さんをポケットに入れて持ち歩きたいくらいなんじゃないか」
「本当よね。彼女の機嫌を取るためだけに、こんな大金を惜しみなく使うなんて。私もいつになったら、あんなふうに大切にしてくれる素敵な人に出会えるのかしら」
人々は口々にそう囁き合っていた。
凛と親交の深い招待客の一人が、グラスを片手に歩み寄る。
「黒川社長と美夕さんは、もう長いお付き合いですよね。そろそろご結婚のご予定でしょうか?」
凛は穏やかに目を細め、愛おしそうな眼差しで美夕を見つめた。
「ええ、もうすぐですよ」
その横顔を見つめながら、美夕は自嘲するように小さく唇の端を上げた。
――もうすぐ?
いいえ。
私たちには、この先の未来なんて、もう存在しないのに。
パーティーの間中、凛は片時も美夕のそばを離れなかった。
彼女が視線を向けるだけで、すぐに飲み物を差し出し、彼女が腕をさすれば、何も言われる前にジャケットを脱いで肩へとかけてやる。
これ以上ないほど献身的に世話を焼いてくれるというのに、美夕が感じるのは、息が詰まるような窮屈さだけだった。
「ケーキが食べたいわ。取ってきてくれる?」
ようやく凛をその場から遠ざけることができ、美夕はそっと安堵の息をつく。
そのままパーティー会場の裏手にある庭園へ足を運び、気分転換に散策を始めた。
咲き乱れる花々をぼんやり眺めていると、不意に、仕立ての良いスーツを着こなした一人の男性が視界に入る。
「……美夕ちゃん?」
男は思いがけない再会に、驚きと喜びを隠せない様子だった。
「子どもの頃、君の家の隣に住んでいた朝比奈悠真(あさひな ゆうま)です。僕のこと、覚えていますか?」
美夕は記憶の糸をたぐり寄せ、おぼろげな面影を思い出すと、小さく頷いた。
「覚えています」
悠真は目元を柔らかく緩め、低く穏やかな声で笑う。
「長い間海外にいましたが、帰国してまた君に会えるなんて思ってもいませんでした。今、お付き合いしている方はいらっしゃいますか?
覚えていますか?子どもの頃、おままごとをした時、君は僕のお嫁さんになるって言ってくれたんですよ」
そう言いながら、彼はそっと距離を縮め、美夕の髪に落ちていた一枚の葉を摘み取った。
爽やかな香りがふわりと近づき、美夕は少し戸惑って、無意識に一歩後ろへ下がる。
しかし、その次の瞬間。
大きな両手が彼女の腰を強くつかみ、そのまま強引に胸の中へ引き寄せた。
凛の顔は青ざめるほど険しく、その深淵を思わせる瞳には、じわじわと危うい光が宿っていた。
「俺の彼女に、何をするつもりだ」
まるで宝を守る獰猛な竜のように、彼は美夕へ近づこうとする者すべてを激しく拒んでいた。
悠真はハッとしたように目を見開く。
「すみません。ただ葉っぱを取ってあげただけなんです。彼女に恋人がいるなんて知りませんでした」
だが、その何気ない一言が、不意に凛の胸にくすぶっていた怒りへ火をつけた。
彼は挑発するように鼻で笑うと、腕の中の美夕をぐっと引き寄せ、そのまま顔を寄せて深く唇を重ねる。
彼女の唇を食むように、容赦なく口づけを重ね、まるで自分の縄張りを刻みつけるかのように、その存在を奪い尽くそうとした。
「これで分かったか」
まさか凛が、人前でこんなことをするとは思ってもいなかった。
美夕は一瞬息を呑み、必死に彼の胸を叩きながら、わずかな呼吸の隙を縫って、かすれた声を絞り出す。
「やめて……凛……」
その抵抗を感じ取った瞬間、凛の表情はいっそう険しくなった。
苦しげに息をつく彼女を見つめながら、彼は鋭い瞳をゆっくりと細める。
「どうしてキスを拒む?あいつのせいか?あいつに見られたくなかったからか」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)