マフィアの彼が仕掛けた愛の試練第2話
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中絶手術は一週間後に決まっていた。それまでも私は変わらず、毎日タクシーを運転してお金を稼いでいた。
今夜も一人の男性客を乗せた。彼が乗り込むなり、車内にアルコールの匂いが溢れている。
思わず私は鼻を押さえた。
妊娠してからというもの、匂いにとても敏感になっていたのだ。
その様子を見た彼は、いきなり睨みつけてきた。
「なんだよ、俺のこと臭ぇってか?運転手のくせに偉そうにしやがって。見下してんのか?」
私は何も言わず、ただシートベルトを締めるように促した。
しばらく走っていると、彼が急に手を伸ばしてきた。「ねぇねぇ、お嬢ちゃん、こんな可愛い顔してなんで運転手なんかやってんの?
俺と付き合わね?美味いもんも、いい酒も、好きなだけ食わせてやるよ」
私はハンドルを握ったまま、必死にその手をかわした。顔は引きつっていた。
「お客様、やめてください。失礼ですよ」
「失礼?運転手の女のくせに、俺に口答えすんのかよ?こっちが相手してやってんだぞ!」
彼は私を乱暴に押し戻し、嘲笑するような目で私を見た。
「勘違いすんなよ、てめぇがお嬢様かなんかだとでも思ってんのか?触らせねぇとか、生意気なんだよ!」
私は唇を噛みしめ、ただ耐えた。
すると彼はさらに調子に乗ってきた。
「なんでそんなに清純ぶってんの?今日ここでやっちまうぞ、文句あるか?」
荒れた手が私の腰に触れた瞬間、私はブレーキを踏み、彼を思いきり突き飛ばし、車から飛び出した。
「なにしやがる!クソ女、よくも俺を押したな?」
怒り狂った彼は、近くにあった氷入りのコーラを手に取り、私の頭めがけてぶちまけた。
冷たい液体が額から伝い落ち、身体中に鳥肌が立った。
その時だった。ふと顔を上げた私の視界に、向かいのビルが映り込む。あれはオーガストの会社だ。
巨大なLEDスクリーンには、オーガストがアイヴィの誕生日を祝う映像が流れていた。
八桁のネックレスを彼女の首にかけ、まるで王子のように彼女をもてなしていた。
アイヴィはまるでお姫様のように笑っていた。彼はその笑みの口元についたケーキを、優しく拭ってやっていた。
私はその映像を見つめ、目が痛くなるほど瞬きもできず、涙がこぼれそうになった。
男の乗客は私を嘲るように見下しながら言った。「なに見てんの?あれ、マフィアの兄貴だぜ。隣にいるのは幼馴染のアイヴィだ。お前みたいな安っぽい女が敵うわけないだろ」
「アイヴィ、お誕生日おめでとう」
スクリーン上のオーガストが、微笑みながらそう言った。
その時、私はふと目を凝らした。
ビルの大きな窓の向こうに、見覚えのある人影があった。
こちらに向かおうとしたその人影は、次の瞬間、別の誰かに引き留められた。
私の心臓が、大きく跳ねた。
「見間違いだよ」と自分に言い聞かせて、目をそらす。
だけど脳裏には、オーガストがかつて言った言葉が浮かんできた。
「カナ、俺がずっと君を守るから」
あれが、どれほど滑稽な嘘だったか。
涙が頬を伝って流れた。私は頭を低くして、その場を逃げるように走り去った。
夜、家に戻ると、服が濡れたままで、身体は震えていた。
扉を開けた瞬間、そこにはオーガストがいた。アイヴィのための誕生日パーティーを飾り付けていたところだった。
私を見るなり、驚いた顔で言った。
「カナ、ずいぶん早かったね?」
「私……」
何も言えずにいると、思わずくしゃみが出た。
「風邪ひいた?」彼は私の額に手を伸ばそうとした。
私は無意識にその手を避けた。
「大丈夫」うつむいたまま、淡々とした声で答える。「今、なにしてるの?」
「今日はアイヴィの誕生日なんだ。サプライズパーティーを準備してるんだよ」
彼は嬉しそうに語った。
私は黙ったまま唇を引き結ぶ。
彼は私の違和感に気づかず、さらに言った。
「カナ、君も参加してよ。みんなでお祝いしよう?」
「体調悪いから、ちょっと休むね」
そう言った直後、部屋からアイヴィが現れた。
「カナも来てよ!みんなで盛り上がった方が楽しいじゃない!」
その後ろからは、彼女の友人たちがぞろぞろとついてきた。彼らは私を見るなり、明らかに見下した視線を向けてきた。
今なら、その意味がよくわかる。私がオーガストと付き合えていたのは「身分違い」だったのだ。
彼らのような裕福な家庭の子どもたちにとって、私はいつも「見下される側」だったのだ。
「カナ、その格好でパーティー来るの?」
「自分の立場、わかってる?」
オーガストは私と彼らを見比べ、一度彼らを目で制したあと、言った。
「カナ、君ってケーキ作るの得意だったよね?材料買っておいたんだ。アイヴィのためにひとつ作ってくれないかな?」
「オーガスト、体調悪いから……」
私がそう言いかけた瞬間、彼は話を切った。
「お願いだから、俺の顔を立ててよ?」
優しい声だった。だが、その中には断らせない圧力があった。
私は何も答えなかった。
すると、アイヴィがさも申し訳なさそうに割って入った。
「やめようよオーガスト、カナ、今日は機嫌が悪いみたいだし、無理に誘わないで。
ずっと思ってたけど、カナ、私のこと本当の友達だなんて思ってないよね……」
彼女の声が震えたように聞こえ、目には涙が滲んでいた。
私は黙って部屋に戻ろうとした。
その時、視線の端にある物が映った。
部屋の隅に、雑巾のように積まれた、赤ちゃんの服。
あれは私が、第一子のために縫った、たった数着の服だった。
私の赤ちゃんはオーガストのせいで命を落とした。そして今では、その子のために用意したわずかな衣服さえも、安らかに残しておくことすら許されない。
「これ、なに?」
オーガストもそれに気づき、困惑したように言った。
「雑巾だけど……どうかした?」
「雑巾?」私は歯を食いしばり、声が震えた。
「どうしてそんなことができるの……これは、私が赤ちゃんのために作った服なのに……」
慌てたようにオーガストが服を手に取り、辺りを見渡す。
「誰がこんなことを……」
アイヴィがしおらしい声で言った。「オーガスト、カナ、ごめんなさい……そんなに大事なものだって知らなかったの……たまたま雑巾が見つからなくて……適当に使っちゃって……
後で新しいの買って返すから、もう怒らないで……ね?」
オーガストは彼女を睨んだが、すぐ私の方を向き、優しい声で言った。
「カナ、気にしないで。アイヴィも悪気はなかったんだよ。
今度新しい服、買いに行こう。これから、きっとたくさん必要になるから」
その時、アイヴィはオーガストの背中で、口角を吊り上げて私を見た。そして、赤ちゃんの服を破って見せた。挑発的な笑みとともに。
「お前!」私は彼女を睨みつけ、赤ちゃんの服を握りしめた手が震えていた。
あれは、私の最初の子の形見だった。この世に生まれることすら叶わなかった、たった一人の命の痕跡だった。
私は、その服を抱きながら、何度も夜を越えてきた。
それを、彼女は、汚れた雑巾として、踏みにじったのだ。
私の涙を見て、オーガストはすぐに近寄ってきて、涙を拭おうとした。
「大丈夫、大丈夫だよ。アイヴィ、ちゃんと謝って!」
アイヴィはすぐに涙を浮かべて言った。
「カナ、ごめんなさい……私が悪かった。怒りが収まらないなら、ビンタでもしていいよ」
その様子を見て、アイヴィの友人のジェームズが笑いながら言った。
「アイヴィは謝ってんだし、これくらいの金で服なんていくらでも買えるだろ?そんなことで怒るなんて、小っせえな」
そう言って、彼は財布から札束を取り出し、私に投げつけた。
「足りない?もっと欲しいの?」
私は震える手で、その金を弾き飛ばした。
「出てって!」叫びながら彼らを睨みつけた。「出ていけ!」
オーガストの表情が一気に曇る。「カナ、お客さんにそんな言い方はないだろ?」
「外で嫌なことがあったからって、家で八つ当たりするのはやめてくれよ」
私はその言葉に、凍りついた。
「どうして、外で何かあったって知ってるの?」
あのビルの窓の影は、やっぱり彼だった。
彼は私が男に襲われかけていたのを見ていた。それでも、助けることもせず、今ここで私を責めている。
絶望と怒りと哀しみが一気に押し寄せて、目の前がぐらりと揺れた。
そして、私はそのまま意識を失って倒れた。
最後に見たのは、オーガストの慌てた顔だった。
「カナ!」
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