プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~第2話
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この冷淡で強引な義理の息子を前に、真奈美は一度も優位に立ったことがなかった。
潤に真正面から楯突く勇気はなく、いつも裏でこそこそと画策していた。だから真奈美は今、潤の言葉を聞くとすぐに、先ほどの明里についての自分の発言を彼に聞かれたことで、わざと意地悪をされているのだとすぐに察した。
とはいえ、別に二人の夫婦仲が良いというわけではなく、潤はただ自分の権威を誰かに逆らわれるのを許せないからだろう。
潤はかつて、和夫の圧力で明里と結婚させられた。二人の関係は形式的なものに過ぎず、潤の心には別の女性がいると噂されていた。だから真奈美は、ずっとこの夫婦がこじれるのを笑いものにしたかった。
だが、現に今の真奈美は反論する勇気もなく、気まずそうに笑いながら言った。「明里と冗談を言っていただけよ。明里は科学者だから、私も彼女が社会的に活躍して、二宮家の名を高めてくれるのを楽しみにしているのよ。台所仕事なんてさせるわけないじゃない」
その言葉には、皮肉と棘がたっぷりと含まれていた。
一言、社会的に活躍する科学者と言っても、それを成し遂げられる人はそうそういないのだから。
潤はスーツを脱ぎ、そばに放り投げると言った。「だったら聞きたいね。あなたは社会のためにどれだけ貢献して、この家にどれだけの名誉をもたらしたんだ?」
それを言われ、真奈美の顔から笑みが消えかかった。
そこへちょうど、陽菜が家に入ってきた。彼女は潤の後ろから、優しい声で呼びかけた。「潤さん、どうしたの?」
すると潤の顔から、いら立ちと険しさがすっと消え、陽菜を振り返って、「何でもない」と答えた。
そう言って彼はカフスボタンを外しながら部屋の奥へ歩いていき、明里のそばを通り過ぎる際に、「まだ突っ立っているのか?部屋に戻るぞ」と声をかけた。
そして、先に階段を上がっていった。
一方で、明里が陽菜に視線を向けると、陽菜は挑発的な笑みを返した。
先ほど潤が自分のために言葉を発してくれたのも、彼がこの継母を嫌っているからこそのことだ。
潤が一度機嫌を損ねると、誰も手がつけられない。
しかし、陽菜の「潤さん」という一言で、彼の全身から放たれていた刺々しいオーラは跡形もなく消え去った。
明里は自虐的に、陽菜と視線を交わした後、すぐに目をそらし、踵を返して階段を上がった。
彼らが去った後、真奈美は完璧な笑みを浮かべ、二、三歩前に出て陽菜を迎えた。「陽菜、早く入って。玄関は冷えるわ」
陽菜は素直に言った。「ありがとう、おばさん」
「まだ『おばさん』なんて」真奈美は彼女の髪を優しく撫でながら言った。「もうしばらくしたら、呼び方も変えないとね」
角を曲がると、階下の話し声はもう聞こえなくなった。明里は息を深く吸い込んで、自分と潤の部屋へと戻った。
すると、バスルームからシャワーの音が聞こえた。潤が入浴しているのだろう。
明里は窓際の椅子に腰掛け、眼下に広がる街の灯りを見つめていた。
そこで、スマホが鳴り、彼女は電話に出た。「凪」
凪は「ああ」と頷き、口を開いた。「午後のデータ、計算は終わったか?」
明里は人差し指でこめかみを揉みながら答えた。「終わった」
「他のデータはメールで送っておいた。これで明日は少し楽になるだろ」
「もうやってくれたの?」明里は驚いた。「そっちは忙しくないの?」
凪は言った。「まあな。あなたはこの分野のデータに慣れてないし、得意でもないだろ。計算するのも一苦労だろうから、ついでにやっておいた」
データの処理には、時に二時間もかかることがある。
データ処理が不得手な新しいパートナーのことを思い、明里は感謝の気持ちでいっぱいになった。「ありがとう。あなたも何かあったらいつでも声をかけて」
「ああ、じゃあまたな」
すると、バスルームから出てきた潤は、ちょうどその言葉を耳にした。
物音に気づいた明里が、彼の方を見上げた。
男は片手で髪を拭いていた。シャワーの湯気も彼の冷たい顔立ちを和らげることはなく、濡れたまつげでさえ、見る人にどこか鋭い印象を与えていた。
彼は腰にバスタオルを緩く巻いただけの姿で、見事に割れた腹筋が露わになり、目を引いた。
彼女が立ち上がって部屋を出ようとし、潤とすれ違う瞬間、手首を掴まれた。
「何よ」明里の声は冷たかった。「もう食事の時間よ」
陽菜に会ってからいうもの、彼女の感情も心も張り詰めたままだった。
そう言って彼女は彼の手を振り払おうとしたが、潤は明里をぐいと胸に引き寄せ、キスをしようと顔を近づけた。
明里は、彼が陽菜に向けた笑顔や、彼女にプレゼントを渡したことを思い出し、こみ上げてくるような胸やけを感じた。
明里は両手で潤の胸を支え、力いっぱい突き放した。
潤は眉間にしわを寄せ、どこか苛立った様子だった。
数秒後、彼は尋ねた。「どうした?どこか具合でも悪いのか?」
明里は知っていた。二人の間のスキンシップにおいて、潤が絶対的な主導権を握っていることを。
彼が求めれば、自分に拒否権はなかった。
その事実を思うと、明里はさらに胸が痛んだ。
潤は……自分を単なる性欲のはけ口としか見ていないだろうか?
明里は決然と彼の手を振り払った。「これから、私の許可なく、私に触れないで」
勇気を振り絞ってそう言い放つと、彼女は潤の反応を確かめずに階下へと向かった。
階下に降りると、二宮湊(にのみや みなと)の姿が目に入った。
湊は……とても幸運な男である。
若い頃は、彼の父である和夫が家業を支えていた。
そして、和夫が亡くなった後も、いや、まだ健在だった頃から、息子の潤がすでに大胆かつ迅速な手腕で後継者としての地位を固めていた。
湊には偉大な父親と優れた息子がいて、何もしなくても莫大な資産を享受できるのだ。
だからだろうか、五十代の彼は四十代前半にしか見えず、大人の優雅さと慈愛に満ちた眼差しを持っていた。
湊は明里に気づくと、手招きした。「明里、早く降りてきて食事にしよう。潤は一緒じゃないのか?」
この結婚は和夫が決めたもので、湊は昔から親孝行だった。そのため、父親が亡くなった今でも、彼は明里に対して何の不満も抱いていなかった。
明里は答えた。「彼もすぐに降りてくるから」
そこに陽菜が親しげに近づき、彼女の腕に絡みついた。「明里さん、こちらに座って」
明里は首を振り、自分の腕を引き抜いた。「この家でなら、私の方があなたを案内すべきよ」
すると、陽菜は途端に涙ぐみ、わざとらしく戸惑いの表情を浮かべた。「私、別にそんなつもりじゃ……」
傍らでそれを聞いていた真奈美は眉をひそめて口を挟んだ。「陽菜は親切で言ってるのに、あなたのその態度はなによ。この家の女主人にでもなったつもり?私をないがしろにして、礼儀知らずにもほどがあるわ」
そう言うと、彼女は湊に視線を移した。「これじゃ、これから陽菜がいじめられてしまうわ」
陽菜は、タイミングよく二度ほどすすり泣いた。
湊は頭を抱えた。「どうしていじめになるんだ?まあ、みんな座ってくれ。陽菜、泣かないでくれ……ああ、明里、早く彼女に謝ってくれ。潤と隼人を誤解させたくないだろ」
明里は陽菜に目を向けた。
陽菜は体を横に向け、他の人には見えないようにしながら、明里だけに見えるように、してやったりの傲慢な視線を送った。
二宮家に来た初日に明里を叱責させることができ、陽菜は満足気だった。
唯一の心残りは、潤がこの場面を見ていなかったことだ。
しかい明里が謝るなどするはずもなかった。
だけど、真奈美は執拗に言った。「湊さんが謝れと言っているのよ、聞こえなかったの?」
そのとき足音が聞こえ、全員が階段の上を見上げた。
潤が袖をまくりながら降りてきた。
チャコールグレーの部屋着を身につけていても、彼の気品と冷徹さは隠しきれていなかった。
潤の視線は、冷淡さと威厳をたたえながら、まっすぐに明里に注がれていた。
明里は、彼の眼差しに怒りと不満の色が浮かんでいるのを見て取った。
そうだろう、初対面から自分は潤の初恋の人を泣かせてしまったのだから。
ただ、先ほど自分にキスをしようとしたとき、彼は誰を思っていたのだろうか。
そう考えた途端、明里の胸を誰かに鷲掴みにされたように、激しく痛んだ。
同時に、吐きそうなほどの嫌気さえ覚えた。
潤の深く暗い瞳は沈んでいて、明里を擁護する言葉は一言も発しなかった。
湊は元々弱気な性格だから、息子である潤の言うことには何でも従っていたのだ。
最初は仲裁しようと思っていたが、潤の顔色を見て、彼も何も言えなくなってしまった。
真奈美は潤を好ましく思っていなかったが、それ以上に明里が嫌いだった。
同じ女なのに、自分はあれだけ苦労してやっと湊と結婚し、二宮家の一員になれたというのに、未だに潤の顔色を伺わなければならない。理不尽だ。
一方、明里はごく普通の家柄でありながら、やすやすと潤と結婚し、高い地位を手に入れた。
それに、潤と明里の関係が悪ければ悪いほど、真奈美にとっては好都合だった。
明里はというと、他のことに関しては何ひとつ恐れていなかった。
しかし、唯一、潤の疑いの眼差しだけが、彼女の心を徐々に冷えさせていった。
明里の指先が震え、唇の端に自嘲の笑みが浮かんだ。
潤が自分を愛していないことなど、とっくに分かっていた。もう慣れるべきなのだ。
それでも……やはり彼女の心は痛み、悲しみが込み上げてくる……
心はとっくに冷え切っているのに、わずかな痛みがかすかに響いていた。
彼女が湊に目をやると、彼の顔にはどこか気まずそうな笑みが浮かんでいた。
あまりにも気まずさに、湊はタイミングを見計らって口を開いた。「まあまあ、家族なんだから、早く座って食事にしよう」
明里は背筋を伸ばし、その後の食事中、一言も発しなかった。
謝る?自分は何も悪くないのに、どうして謝らなければならないのか?
陽菜は甲斐甲斐しく取り箸を使い、明里を含めた全員に料理を取り分けた。
最後に潤に取り分けようとすると、彼は言った。「そんなことしなくていいから」
陽菜は優しい声で答えた。「潤さん、すぐ食べるから安心して。ちゃんとたくさん食べるわ」
それを聞いて、明里のまぶたが微かに震えた。
隼人はまだ来ないのだろうか?
自分の婚約者が兄といちゃついているのを、何とも思わないのか?
食事が終わる頃、ようやく隼人が遅れてやって来た。
彼は自分の先生とあるプロジェクトを進めており、ここ数日多忙だった。
隼人の顔立ちは母親の真奈美に似ており、身長も潤には及ばない。全体的に軽薄な雰囲気を漂わせ、その眼差しには野心と計算高さが満ち溢れていた。
彼はが小学生の頃から、真奈美に、潤をライバルとみなし、いずれは二宮家の事業をその手に握るようにと、耳にタコができるほど言い聞かせてきた。
だけど隼人も自分の力がまだ及ばないことを自覚しているため、今まで潤に対してはいつも恭しく「お兄さん」と呼んでいた。
彼は陽菜の隣に座ると、彼女の椅子の背もたれに腕をかけ、今回のプロジェクトで得た利益と将来性について得意げに語り始めた。
真奈美はそれを聞いて、満面の笑みを浮かべた。「うちの息子は本当にすごいのよ。まだ大学も卒業していないのに、もう初仕事で大成功を収めるなんて!」
それを聞いて、明里は鼻で笑った。
これで「すごい」だって?
自分と隼人は同い年だが、こちらはすでに修士課程を終えて、社会人として働いている。
それなのに、隼人はまだ学士課程すら終えていない。
そのプロジェクトとやらも、二宮家が資金を提供したもので、誰がやっても利益が出るに決まっていた。
「初仕事で大成功」と言うなら、潤こそが本物の成功を収めてきていたのだ……
明里がふと顔を上げると、偶然にも潤の漆黒な瞳と視線がぶつかった。
今日のこの食事会は、元々、隼人が陽菜を家に連れて帰り、婚約について話し合うためのものだった。
湊がちょうど、両家の顔合わせについて話し始めたその時、カタン、と音がした。
潤が箸を置いた音だった。
明里が目を向けると、彼の表情は険しく、その瞳は墨のように黒く、まるで嵐の前の静けさのようだった。
初恋の人が実の弟と婚約しようとしている。潤は……もう我慢の限界なのだろう。
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