エリート夫の遅すぎる後悔第3話
この話は約2179字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
二日後、娘は新しく届いた抗生剤を使い、ようやく退院することができた。
私は朝早くから起きて荷物をまとめた。とはいえ、大したものはない。私と娘の着替えが数着と、佐藤医師が処方してくれた薬が入った古いトラベルバッグが一つあるだけだった。
病室を出る時、娘は私の服の裾を引っ張り、少し期待を込めた声で尋ねた。
「お母さん、お父さんは迎えに来てくれるの?」
私は彼女の頭を撫でただけで、何も答えなかった。
娘が退院することを蒼介には伝えていない。彼が迎えに来るはずなどなかった。
しかし、病院のエントランスまで歩いていくと、娘は突然興奮したように私の手を引いた。
「お母さん、お父さんよ!私を迎えに来てくれたのよ!」
彼女が指差す方向を見ると、確かに少し離れた黒塗りのセダンのそばに、モデルのように背筋を伸ばした蒼介が立っていた。
彼も私たちに気づいたようで、目を輝かせてこちらへ歩き出した。
娘は無意識に私の手をぎゅっと握りしめ、近づいてくる蒼介を期待の眼差しで見つめ、「お父さん」と声をかけようと口を開いた。
だが次の瞬間、蒼介は私と娘を素通りし、私たちの背後へ早足で向かうと、玲奈の体を支えたのだった。
彼は少し責めるような口調で言った。
「セットの下敷きになったんだ。病院のVIPルームでもう数日様子を見ればいいものを、どうして無理に退院しようとするんだ」
玲奈は笑って答えた。
「蒼介さんったら、心配しすぎよ。自分の体のことは自分が一番よく分かってるわ。絶対に大丈夫だから。
それに、最近劇団では秋の新作ミュージカルの稽古真っ最中なの。私が休んだらみんなのフォーメーションも一からやり直しになっちゃうし、足手まといになりたくないのよ」
蒼介はそれを聞いて眉をひそめたが、それ以上は説得しようとせず、ただ彼女を支えて車の方へ歩き出した。
これで分からないはずがなかった。蒼介は玲奈を迎えに来たのだ。
私と娘の期待は、ただの思い上がりでしかなかった。
玲奈が車に乗り込むまで、蒼介は私と娘の存在に全く気づいていないようだった。ようやく私の手にある古いバッグに目を留めると、怪訝そうに眉を寄せた。
「君たち、入院もしないでどこへ行くつもりだ」
「寧々の病気は良くなったわ。先生も半月後に再検査に来るようにって」
私の声はひどく乾いていた。
「とりあえずホテルを探して泊まるつもりよ」
蒼介はそれを聞いてさらに眉を深くひそめた。
「家には部屋があるのに、ホテルになんて泊まる必要はない」
彼のこの言葉が出た途端、玲奈が私と娘を見る目が露骨に変わったのが分かった。
彼女は私と娘を上から下まで値踏みするように見つめ、不意に口を開いた。
「蒼介さん、この方たちが田舎から来たご親戚?役員用のタワーマンションに行くのなら、彼女たちも一緒に車に乗せてあげたら?」
「いや、いい」
蒼介はためらいなく首を振り、優しい眼差しで玲奈を見つめた。
「君は知らない人と同じ車に乗るのが苦手だろう?無理することはないさ。後で運転手を向かわせて、彼女たちを迎えに行かせればいい」
その言葉を口にする時、彼は私や娘に視線を向けることすらなく、まるで私たちが本当にどうでもいい見知らぬ他人のようだった。
そう言い残すと、彼は自ら車を出して去っていった。
遠ざかる車を見つめる娘の顔に一瞬だけ落胆の色が走ったが、高級マンションに入って蒼介と一緒に暮らせるのだという喜びに、すぐにまた目を輝かせた。
彼女は私の手を引き、キラキラとした瞳で言った。
「お母さん、私すごく嬉しい。これからやっと、お父さんにたくさん会えるようになるんだね」
その言葉を聞いて、私の心は痛んだ。
六歳になるまで、娘が父親に会えた時間は、全部合わせても六日にも満たないのだから。
私はしゃがみ込み、娘を抱きしめた。
「そうね、もう少ししたらお父さんがマンションへ連れて行ってくれる車を寄越すから、そうしたら寧々はお父さんにたくさん会えるわよ」
しかし、まさかその「もう少し」が、六時間にも及ぶとは思ってもみなかった。
頭上の太陽は西へと傾き、私たちの影を長く伸ばしていた。
娘は疲れと空腹で私の胸に寄りかかって眠ってしまい、少しだけ血の気が戻っていた小さな顔が再び青白くなっていた。
私はこれ以上待てなくなり、役員用タワーマンションへの道をスマホのマップで調べ、娘を抱きかかえて歩いていった。
マンションの壮麗なエントランスに着くと、コンシェルジュが私たちを呼び止め、誰に会いに来たのかと尋ねた。
私は疲れ切った声で答えた。
「最上階の桐生蒼介さんを訪ねてきました。私たちは彼の……親戚です」
一瞬ためらったものの、結局、妻と娘だという言葉はどうしても口に出せなかった。
コンシェルジュは私たちの身なりをジロジロと見てから、眉をひそめて首を振った。
「桐生様からご親戚が来訪されるというお話は伺っておりません。セキュリティの都合上、中にお通しするわけにはいきませんね」
私が困り果てた表情を浮かべたその時、オートロックの奥から急ぎ足の足音が聞こえてきた。
振り返ると、蒼介がロビーの方へ向かってきているところだった。
私たちを見ると、彼は酷く不機嫌そうな顔になり、非難の声を上げた。
「彩音、どういうつもりだ。寧々を連れて勝手にうろつき回るなんて!仕事を終えて帰宅しても誰もいないから、わざわざ探しに出る羽目になったじゃないか!」
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