さよなら、帰り道を忘れた人第3話
この話は約1793字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
翌日、私は光希の実家へ足を運んだ。しかし、あろうことか彼は翠衣を連れて帰ってきた。
家族の皆は、複雑な表情を浮かべていたが、誰も彼を責め立てることはなかった。
結婚して十年間、私は仕事に没頭し、ようやく子供を授かろうと決めた矢先の出来事だった。それなのに命を守りきれなかった。
家族はそれを私の身勝手さのせいだと決めつけ、すべての責任を私に押し付けた。
「子供一人守れないなんて、ぬか喜びさせられたわ。さっさと次の子を作りなさいよ」
あの時トイレの床がなぜ濡れていたのか、その理由を問う者は誰もいない。
流産した後の私の体がどれほど弱っているか、お腹の妊娠線がまだ消えていないことなど、誰一人として関心を持たなかった……
重苦しい非難の言葉に息が詰まりそうになり、私は静かに箸を置いた。
「もう、産みません」
光希の祖母、高橋幸子(たかはし さちこ)の顔から笑みが消え、その場が凍りついた。光希が慌てて取り繕うように、幸子をなだめる。
「穂香はまだ心の準備ができてないだけだよ。おばあちゃん、俺たち、しばらくしたらまた作るから」
食後、彼は私を呼び止めた。
「お前、なんであんなこと言ったんだよ。おばあちゃんがどれだけ孫を欲しがってるか知ってるだろ」
私は用意しておいた離婚協議書をめくりながら、心の中で冷笑した。
この家族は、私を一体なんだと思っているのだろう。
私の子供は、たっぷりの愛に包まれて生まれてくるべきだ。ただ「産まれるためだけ」に産まされる道具じゃない。
私は協議書を突き出した。
「サインして。孫が欲しいなら、他の女に産ませればいいわ」
光希は言葉に詰まり、協議書の中身を確かめようとした。しかし、そこへ突然翠衣が現れた。
光希が何をそんなに焦っていたのかは分からない。だが、彼は中身をろくに見もせず、あっさりとサインをした。おかげで随分手間が省けた。
むしろその様子は、私と光希がコソコソと密会でもしているかのように見えた。
光希は無意識のうちに得意げな口角を上げた。
「今回のプロジェクトはかなり上手くいったし、実家の件もあってお前には苦労をかけたからな。欲しいプレゼントがあったら何でも言ってくれ。俺が全部買ってやるよ」
私がその場を立ち去ろうとした時、翠衣が潤んだ瞳で私を見つめてきた。
「私、穂香さんのつけているあのネックレスが欲しいな。いいかな?」
私は無意識に指をきつく握りしめた。そのネックレスは、家族三人のためのお揃いの特注品だ。光希が膨大な時間を費やし、自らデザイン画を引き、制作を監修した……
なのに、あろうことか光希はそれに気づかなかった。
「穂香、それ翠衣に譲ってやってくれないか。お前はたくさんジュエリーを持ってるんだから、一つくらいなくても困らないだろ」
翠衣は途端にパッと顔を輝かせた。
突然、喉に鋭い棘が刺さったかのように息が詰まり、口を開くことすら痛みを伴った。
「……本当にそれでいいの?」
光希は顔を近づけ、まじまじと見てようやく思い当たったようだ。
「ああ、これか……」
彼はしばらく躊躇した後、眉をひそめて私を見た。
「穂香、もう約束しちまったんだ。社長として一度口にしたことを取り消すのも格好がつかないからな……こうしよう、俺が後でお前に、もっといい新しいのを買ってやるよ」
爪が肉に食い込むほど手を握りしめたが、手元の離婚協議書を見て、ようやく心を落ち着かせることができた。
そうだ。もう、執着する理由なんてどこにもないのだ。
「いいわよ!」
私のあまりに潔い返答に、光希は一瞬呆気にとられていた。
「……やっぱり、いい」
彼がそう言いかけ、慌てて前言を撤回しようとした時には、私はすでにネックレスを首から外していた。
それどころか、さらにポケットからもう一つのネックレスを取り出していた。
全部、彼らにくれてやればいい。
ネックレスを手放した瞬間、憑き物が落ちたように心が軽くなった。
一刻も早くこの場を立ち去ろうと身を翻したその時、あろうことか光希が私の後を追って外まで飛び出してきた。
「穂香、怒ってるのか?俺が新しいのを買ってやるから、どれがいいか見てみろよ」
見せられたのは、既製品ばかりだった。
光希の言う通りだ。確かに私はジュエリーには困っていない。私に欠けていたのは、彼の真心だったのだ。
彼に真心がないのなら、私にももう未練はない。
私は適当に一つを指差し、荷物をまとめるために私たちの家へと戻った。
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