さよなら、七年分の「片想い」第3話
この話は約1566字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
しばらくして、颯真が低い声で聞いた。
「どうして怒らないんだ?」
私がずっと傷ついていたことを、彼は知っていたのだ。
それでも気づかないふりをして、嫉妬深いだの、性格が悪いだのと責め続けてきた。
今日中にこの家を出ると伝えようとしたとき、颯真のスマホが鳴った。
電話に出ると、莉奈の泣き声が漏れてきた。どうやら、会社で誰かに嫌がらせをされたらしい。
颯真は電話を切るなり、私をにらみつけた。
「そういうことか。晴香、お前が仕組んだんだな」
事情もわからないまま手首を強くつかまれ、そのまま外へ引きずられ、車に押し込まれた。
車内には、莉奈がつけている香水の甘い匂いが残っていた。
ルームミラーには、莉奈のラインのプロフィール画像と同じ、うさぎのマスコットがぶら下がっていた。
私が颯真の会社で働き始めてから、彼は私を車に乗せなくなった。社内で噂になるからと、付き合っていることも伏せるよう言われた。
その車は、いつの間にか莉奈の気配で満ちていた。
不思議と、もう傷つかなかった。やっぱりそうだったんだ。そう思っただけだった。
会社に着くなり、腕をつかまれて車から引きずり降ろされた。足元がもつれ、その場に倒れ込んだ。
颯真は手を差し伸べるどころか、鼻で笑った。
「大げさなんだよ」
再び腕をつかまれ、立ち上がる間もないまま会社へ引きずられた。
連れていかれたのは、ついさっきまで私が働いていた部署だった。擦りむいた手首と膝から、血がにじんでいる。
颯真は莉奈を抱き寄せると、社員たちを見回した。
「誰にそそのかされたのかは知らないが、入ったばかりの莉奈を寄ってたかって責めるのはやめろ。この会社で、もう晴香の顔色をうかがう必要はない」
颯真は私を指さした。
「ここに残りたいなら、1人ずつ、晴香の頬を叩け。それでどちらにつくのか示せ」
美紀は青ざめたまま、立ち尽くしていた。
ここへ来る途中、同僚から事情を知らせるメッセージが届いていた。
私が退職したあと、莉奈の教育係は美紀が引き継いだらしい。
ところが莉奈は、簡単な手配すらまともにできなかった。
取引先との会議で出す弁当を任されたのに、先方の希望を確認せず、勝手にベジタリアン弁当を注文したのだ。
美紀が注意すると、莉奈はすぐ颯真に泣きついた。
莉奈は颯真の胸元に顔をうずめ、泣きながら訴えた。
「颯真先輩、私、何が悪かったのかわからないんです。先方の健康にもいいと思って、ベジタリアン弁当を選んだだけなのに、佐藤さんがいきなり怒鳴ってきて……」
颯真は莉奈の髪をなでながら、「心配するな。俺が守る」と言った。
それから社員たちに振り返り、言った。
「晴香と仲がよかったからって、莉奈に八つ当たりしてるんだろ。契約交渉が決裂したのは晴香の責任だ。莉奈は関係ない。
もう一度だけ言う。会社に残りたいなら、どちらにつくのか今ここではっきりさせろ。俺に従えないなら、全員辞めてもらう」
社内に相談窓口はあっても、実際には機能していなかった。
颯真に逆らえば、次に仕事を失うのは自分かもしれない。その恐怖が、全員を黙らせていた。
やがって、私が指導してきた後輩の小野由奈(おの ゆな)が、震えながら前へ出た。目を固く閉じ、か細い声で謝る。
「林さん、ごめんなさい……」
次の瞬間、由奈の手が私の頬を打った。
颯真は止めようともせず、ほかの社員へ目を向けた。
「ほかは?」
逆らえば、仕事を失う。社員たちはためらいながらも、1人ずつ前へ出て、私の頬を打った。
その中には、私が仕事を教えた人も、苦しいときに支えてくれた人もいた。
口の端が切れ、血がにじんだ。耳鳴りがして、周囲の声が遠のいていく。
莉奈が思わず吹き出した。
「颯真先輩、見てください。顔、すごく腫れてますよ」
颯真は冷えきった目で私を見下ろした。
「人を陥れることしか考えないようなやつに、この会社で働く資格はない」
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