さようならボス、その遅すぎた愛に興味はないの第3話
この話は約2140字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
7日間、ジュリアンは一度も屋敷に戻ってこなかった。
私も彼の行方を追おうとはしなかった。
ただ淡々と必要なことだけをこなし、離婚届を弁護士に渡し、自分の荷物を少しずつまとめ始めた。
ところが弁護士から、手続きを早めるには、何年も前にサウスサイドの小さな教会で交わしたある書類の原本を提出する必要があると言われた。
その書類は、かつて私たちが暮らしていた古いアパートに保管していた。
そこはもう何年も誰も住んでいない。
私は自分で取りに行くことにし、そのついでにアパートの売却手続きも進めることにした。
私は管理人を連れて部屋まで上がった。
けれど、玄関の前まで来たところで、ドアが少しだけ開いていることに気づいた。
中から、女のくぐもった声と、男の荒い息遣いが漏れてくる。
薄暗い室内に目を凝らすと、安っぽいレースのスリップが埃っぽい床に無造作に脱ぎ捨てられていた。
ジュリアンは剥がれかけた壁にミアを押しつけ、スラックスを膝まで下ろして彼女を抱いていた。
腰に回した手には、私たちの結婚指輪がまだ嵌まったままだった。
私は声が漏れそうになるのを必死に手で口を覆って押し殺し、そのまま踵を返して逃げるようにその場を離れた。
管理人を振り返り、私は平静を装って言った。
「今日はやめておきましょう。別の日にまた来ます」
管理人は若い女性だった。
中から聞こえてきた声も、当然耳にしていたのだろう。
彼女は言葉にできないほど痛ましそうな目で私を見た。
「マルケッティ夫人......この件について、記録を残しておきましょうか?」
私は小さく首を横に振った。
「気にしないでください。これは私たちの問題です」
あのドアを開けたところで、何が変わるというのだろう。
下品な女のように大騒ぎして喚き散らすのか。
それとも、路地裏で二人きりだった苦しい日々を持ち出して、必死に夫にすがりつく惨めな妻を演じるのか。
もう、そんなことに意味はなかった。
男の心が離れてしまったあとで、どれだけ必死に繋ぎ止めようとしても、手元に残るのは空っぽの抜け殻だけだ。
私は足早に階段を下りた。
すると、後を追ってきたジュリアンに腕を掴まれた。
まだ息が上がっている。
シャツの襟元ははだけ、鎖骨には鮮やかな赤い痕が残っていた。
「どうしてここにいる?さっきの......見たのか?」
私は彼の手を振りほどき、落ち着いた声で答えた。
「昔の荷物を取りに来ただけよ。でも鍵を持ってくるのを忘れたことに気づいたから、帰ろうとしてたの」
ジュリアンは、あからさまに安堵の息を吐いた。
私は本当に何も見なかったのだと思ったのだろう。
「今週は港の監視が厳しくて、どうにか抜け出してきたんだ。で、ミアの住んでる辺りに敵対勢力が張り込んでるっていうから、しばらく身を隠させるためにここへ連れてきただけだ。やましいことは何もない」
あまりにも見え透いた嘘だった。
けれど、それを問いただす気力すら、私には残っていなかった。
私は何も言わず、そのまま歩き続けた。
そのときだった。
アパートのほうから、耳をつんざくようなガラスの割れる音が響き渡った。
次の瞬間、窓枠から真っ赤な炎が噴き出した。
ジュリアンの顔から血の気が引いた。
彼は勢いよく振り返ると、私の顎を乱暴に掴んだ。
その目には、剥き出しの怒りが燃え上がっていた。
「お前が火をつけたのか!?ただ駄々をこねてるだけだと思ってたが......まさか敵対勢力と手を組んで、こんな殺しにも等しい真似をするとは思わなかったぞ!
いいか、ミアをここに置いたのは俺だ!あいつに何かあったら、お前には責任を取ってもらうからな!」
ジュリアンは私を激しく突き飛ばすと、振り返って炎の中へ駆け込んでいった。
私はそのまま立ち去ろうとした。
けれど、ふと我に返る。
離婚手続きに必要な書類の原本。
それに、両親の遺品。
そのすべてを寝室の金庫にしまっていたことを思い出した。
私は踵を返し、焼けつくような熱風に逆らって再び部屋の中へ駆け込んだ。
室内には濃い煙が立ち込めていた。
その中からジュリアンが、意識を失いかけたミアを抱えて駆け出してくる。
私を見ると、彼の目が一瞬で冷たくなった。
「何しに戻ってきた!?早く逃げろ!」
私は彼を無視し、そのまま寝室へ向かって走った。
炎はすでにカーテンへ燃え移っていた。
金庫は、今にも燃え落ちそうなクローゼットのすぐ足元にあった。
「セラフィーナ!頭がおかしくなったのか!?早く出てこい!」
入口からジュリアンの怒鳴り声が飛んでくる。
私は焼けるように熱い床へ身を伏せ、金庫のダイヤルを素早く回した。
そして重い金属製の扉を開けた、その瞬間。
天井に吊られていた古いシャンデリアが、轟音を立てて落下してきた。
ジュリアンは反射的にミアを自分の下へ庇い、転がるように後ろへ退いて落下を避けた。
私は凄まじい衝撃波に弾き飛ばされた。
鋭い木片と砕けたガラスが一瞬で背中に突き刺さり、コートがたちまち血に染まっていく。
私は歯を食いしばり、両親の遺品と書類の原本が入ったファイルを胸に強く抱きしめた。
濃い煙が肺へ流れ込み、視界が少しずつ暗くなっていく。
意識を失う直前、最後に耳にしたのは、ジュリアンがミアを抱えて安全な場所へ運んでいく足音と、遠くから近づいてくるサイレンの音だった。
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