かつて、彼のために命をかけた第1話
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恋人の薄井悠真(うすい ゆうま)が乗っていた車が爆発し、炎に包まれて命を落とす瞬間を目の当たりにした栗藤双葉(くりとう ふたば)は、彼のあとを追うようにそのまま火の中へと飛び込んだ。
彼女はそうすれば悠真のあとを追い、別の世界で早く彼に会えると思っていた。
しかし、救出された後、彼女の意識は身体よりも早く目覚めた。
なぜ自分が死ねなかったのか、なぜ悠真のそばに行けなかったのかと恨んでいるその時、耳元に悠真の声が聞こえた。
「治療はもういらない。生きてさえいれば、それでいいんだ」
* * *
恋人の薄井悠真(うすい ゆうま)が乗っていた車が爆発し、炎に包まれて命を落とす瞬間を目の当たりにした栗藤双葉(くりとう ふたば)は、彼のあとを追うようにそのまま火の中へと飛び込んだ。
救出されたものの、彼と共に逝けなかったことを悔いていたそのとき……
耳元で、医師の探るような声が聞こえてきた。
「薄井社長、栗藤さんは全身の70%に火傷を負っています。本当に皮膚移植手術をやめるのですか?」
その言葉を遮るように、悠真は冷たく言い放った。
「やめろ」
双葉がその意味を理解する間もなく、彼の背後にいた取り巻きたちの声が耳を刺した。
「ははは、バカな女だな。本気で殉じるつもりだったのかよ」
「彼女はまだ知らないだろう。あの時、倉庫での『救出劇』ですら、悠真さんが自ら仕組んだことだ。そもそも、あいつは愛人の娘だし、希子さんをいじめるなんて、よくもまぁ」
「でも悠真さん、そろそろ希子さんも戻ってくるし、遊びもこの辺で切り上げないとね」
悠真の声は相変わらず冷酷で、一言一句が双葉の鼓膜に容赦なく打ちつけられた。
「まだ足りない。希子の母親は、あいつのせいで死んだ。もっと償わせなきゃならない」
……
胸が潰れるような痛みに襲われながらも、双葉の体は動かなかった。
懸命に目を開けようとしても、ほんのわずかな隙間しか開かなかった。
視界に映ったのは、埃一つついていない完璧なスーツを纏った悠真の姿だった。
炎に巻かれた形跡は、彼の身体にはどこにも見当たらなかった。
彼だけが特別だったと、双葉はそう信じていた。今の言葉を耳にしなければ、決して疑わなかっただろう。
心も体も、地獄の底へ突き落とされたようだった。
裏切り、疑念、落胆、そして無力感……それらが渦巻き、彼女を完全に打ちのめした。
涙が次第に視界を滲ませていき、思い出は「あの夜」へとさかのぼる……
あの夜、十数人の不良に囲まれ、雑物室に閉じ込められ、母の葬儀にも出られなかった。
そのとき、扉を蹴破って助けに来てくれたのが、悠真だった。
彼は光のように、彼女の人生に差し込んできた。
彼女の閉ざされた心を開き、温かな約束をくれた。
更に、「俺が君の支えになる」と誓ってくれた。
双葉は母と二人きりで生きてきた。父と再会しても万野という苗字はもらえず、母と一緒に狭いメイド部屋で暮らしていた。
母以外の人間から初めて感じた愛情だから、悠真を心から愛してしまった。
彼が炎に包まれたと聞いた瞬間、何のためらいもなく火の中へ足を踏み入れた。
ただ一つの願い……それは、彼と共に死ぬこと。
だが、彼女が信じていた「救い」は、実はもっと深い奈落だった。
すべては、万野希子(まんの きこ)のための復讐劇だった。
すべてが、偽りだったのだ。
しかも……希子の母親は、死んでなどいなかった。
母娘そろって父親と共に、海外で平穏に暮らしていた。
死んだのは、双葉の母だけだった。
希子の「ちょっとした嘘」によって、悠真は双葉に近づき、今日まで復讐を続けていたのだ。
双葉は、愛の果てに命すら投げ出し、全身の70%の皮膚を焼かれた。
鎮痛剤は投与されているはずなのに、焼けつくような痛みはまるで引かなかった。
けれど、身体の痛みよりも……心の痛みのほうが、遥かに辛かった。
涙が頬を伝って止まらない。
そのとき、悠真が病室のベッド脇に座り、優しく彼女をあやすように語りかけてきた。
「どうして泣いてる?きっと痛いよな。でも大丈夫、俺がついてるから」
彼は彼女の髪をそっと撫で、あたかも深い愛情を注いでいるかのように見せた。
「ありがとう……俺のせいだよ。車にいなかったって、ちゃんと伝えてれば……」
彼の瞳が一瞬、揺れた。
双葉が自分を深く愛していたことは知っていたが、まさか本当に命を捨てようとするとは思っていなかった。
今、火傷でボロボロになった彼女を前にして、喉が締めつけられるような思いを感じていた。
だが双葉は、その芝居がかった態度に、胸が悪くなるような思いだった。
植皮を拒否したのは、他でもない悠真自身だった……今さら心配するふりなど、滑稽でしかなかった。
彼女は苦笑を浮かべながら、問いかけた。
「悠真……私、これからもずっと、この火傷の姿で生きていくの?」
悠真は悲しげな表情を浮かべつつも、その奥底には複雑な色を宿していた。
「双葉……俺が悪かった。医者も……もう手の施しようがないって」
そう言うと、そっと医者に目配せした。
医者もそれに気づき、しぶしぶと口を開いた。
「栗藤さん……私たちは本当に、最善を尽くしました」
その嘘を聞いた瞬間、双葉の心は再びかき乱れた。
喉の奥で嗚咽を押し殺しながら、震えるように息をしながら、世界が崩れ、絶望と虚無にすべてが飲み込まれていくような感覚に陥った。
彼女はそっと目を閉じ、涙が静かに頬を伝った。
激痛が体を震わせ、ほんの少し動くだけでも全身が焼けるようだった。
悠真が彼女の手を取ろうとしたそのとき、突然、携帯の着信音が鳴った。
……数分後。
電話を終えた悠真は、抑えきれない喜びを浮かべた。
「双葉、会社に戻ってちょっと用事を済ませてくる」
それだけを言い残し、彼女を病室に一人残して去っていった。
双葉は虚ろな目で彼の背中を見つめ、そのまま心まで空っぽになった。
彼女は涙を拭い、一つの番号に電話をかけた。
双葉は本来、文化財修復の専門家として将来を嘱望された逸材だった。
ただ、悠真のために、その道を捨てたのだ。
「先生、戻りたいです」
電話の向こうからは、年配の男性の興奮した声が返ってきた。
「双葉、やっと目が覚めたか!君が戻ってくれるなら、わしの技術も引き継がれる!
でも……あの男のために辞めたんだろ?本当に戻る覚悟はあるのか?
戻るなら、修復プロジェクトに入ってもらうことになる。しばらく外部との連絡も絶たれるぞ?」
その優しい声に、乾いていたはずの涙がまた頬を伝った。
双葉は顔を上げ、涙が落ちぬよう空を見つめた。
もう……悠真のもとからも、すべてからも、逃げ出したかった。
かすれた声で、それでも確かな意志を込めて答えた。
「……はい、もう決めました」
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