かつて秘めた恋心第1話
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「今回の政略結婚は、私が行きます」
沢城絵理奈(さわしろえりな)がそう告げると、会議室に息を呑む音が響いた。
「ふざけるな!」
父親が真っ先にテーブルを叩いた。
沢城家には四人姉妹がおり、絵理奈は末っ子で、家族全員から最も愛されて育った。
幼い頃から欲しいものは何でも手に入れ、役員会の頭の固い年寄りたちでさえ、彼女には甘かった。
「今回の縁談は地獄へ身を投げるようなことだ。お前をそんな場所に追いやるわけにはいかん!速水のところの若いのとさっさと、そうだな、数日中にでも婚約を……」
「お父様」
絵理奈は父の言葉を遮った。
「和己が今日ここに来なかった。それが答えよ。彼に私と結婚する気がないのなら、待つ必要はありません」
父親の顔色が変わった。
「絵理奈くん、我々も方策は考える。だが、相手の周防家は人を食い物にするような連中だ。周防家の当主は、前の婚約者二人がどちらも精神病院送りになっているんだぞ!」
* * *
「今回の政略結婚は、私が行きます」
沢城絵理奈(さわしろえりな)がそう告げると、会議室に息を呑む音が響いた。
「ふざけるな!」
父親が真っ先にテーブルを叩いた。
沢城家には四人姉妹がおり、絵理奈は末っ子で、家族全員から最も愛されて育った。
幼い頃から欲しいものは何でも手に入れ、役員会の頭の固い年寄りたちでさえ、彼女には甘かった。
「今回の縁談は地獄へ身を投げるようなことだ。お前をそんな場所に追いやるわけにはいかん!速水のところの若いのとさっさと、そうだな、数日中にでも婚約を……」
「お父様」
絵理奈は父の言葉を遮った。
「和己が今日ここに来なかった。それが答えよ。彼に私と結婚する気がないのなら、待つ必要はありません」
父親の顔色が変わった。
「絵理奈くん、我々も方策は考える。だが、相手の周防家は人を食い物にするような連中だ。周防家の当主は、前の婚約者二人がどちらも精神病院送りになっているんだぞ!」
役員の一人が前に出て、必死に説得を試みるが、絵理奈はただスマートフォンの画面を見つめ、無意識に指先でなぞっていた。
彼女がかけた電話は一件も繋がらず、二十数件のメッセージもすべて未読のままだった。
五日前、速水和己(はやみかずみ)は今日の役員会に出席し、彼女にはっきりとけじめをつけると約束した。
だが、会議が始まって二時間が経つというのに、彼の姿はおろか影さえも見えない。
絵理奈はそっと目を閉じ、自嘲気味に笑った。
「分かっています……でも、沢城グループは今、資金繰りが悪化し、周防グループから敵対的買収を仕掛けられています。もしこの縁談を受けなければ、沢城家が築き上げてきたもの全てが、水の泡と消えてしまう」
「あなたにはお姉さんたちがいるじゃない。末のあなたが出ていく番じゃないわ」
三番目の姉が目を赤くしながら立ち上がって言った。
「一番上のお姉様は離婚したばかりで心を痛めている。二番目のお姉様は先天性の喘息で体が弱い。そして三番目のお姉様は……」
絵理奈は赤くなった目で一同を見渡した。
「あなたの会社が上場を控えた大事な時期よ。私だけが、一番適任なの」
父親は深くため息をつき、まるで一瞬で十歳も老け込んだかのようだった。
「絵理奈、これは遊びじゃないんだぞ。一度契約書にサインしたら、もう後戻りはできないんだ……」
絵理奈は何も言わず、契約書を引き寄せると、真剣な面持ちで自分の名前をサインした。
会議室は水を打ったように静まり返った。
会社を出ると、彼女はようやく長い息を吐き出した。
その瞬間、彼女はどこか肩の荷が下りたような気分だった。
これでもう、和己の背中を見つめ、彼が振り返ってくれるのを待つ必要はなくなるのだと、彼女は思った。
絵理奈が当てもなく歩いていると、聞き覚えのある声が現実に引き戻した。
「絵理奈?」
声の主である和己が大股でこちらに歩いてくる。
絵理奈は黙ったまま、彼の持つ薬袋に視線を落とした。
和己はその視線に気づき、袋を少し持ち上げて見せた。
「今朝、麻美が足を捻ってしまってね。薬を買いに行っていたんだ」
あまりに自然な彼の様子に、絵理奈は一瞬黙り込み、ふと尋ねた。
「今日が何の日か、覚えてる?」
「ん?」
和己は不思議そうな顔でスマートフォンを取り出して日付を確認したが、そこで初めて、いつの間にか電源が切れていたことに気づいた。
電源を入れると、メッセージが洪水のように押し寄せ、彼の顔色がわずかに変わった。
「役員会が今日だったなんて、忘れてた……」
彼は悔しそうな表情を浮かべた。
「すまない、あまりに忙しくて……でも、分かってる。今回の縁談に行くのは三番目のお姉さんなんだろ?彼女が一番適任だから、君は心配しなくていい」
絵理奈は口を開きかけたが、結局、政略結婚に行くのが自分だとは告げなかった。
再び口を開いた絵理奈の声には、いくらか皮肉の色が滲んでいた。
「忙しい?何に?南条さんの看病にでも?」
和己の表情が変わった。
「絵理奈、僕は麻美を妹のようにしか思ってない。昔、学生時代に助けてもらった恩があるし、今は彼女の実家が大変なことになってて……」
「私に説明する必要はないわ」
たとえ心が千々に切り裂かれるような思いでも、絵理奈の表情は平静を保っていた。
和己は彼女がまた拗ねているだけだと思い込み、困ったように言った。
「分かってくれよ。麻美のことが落ち着いたら、すぐに婚約しよう。いいだろう?」
本来なら、二人はとっくの昔に婚約しているはずだった。
しかし、和己が麻美と再会してからというもの、彼の心はすっかり彼女の上にあって、決まっていたはずの日取りは延ばしになっていた。
そして今日、絵理奈はもう待つのをやめた。
だからこそ、あの政略結婚の契約書にサインしたのだ。
二人の間に、もう未来はない。
「絵理奈、分かってくれるよな?」
和己は彼女の手を取り、その瞳には誠実さが滲んでいた。
だが、絵理奈はその手を振り払った。
「ええ……理解してるわ。彼女のこと、しっかり面倒を見てあげて」
私たちのことは、これで終わり。
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