あなたのいないこれからは、幸せばかり第3話
この話は約1508字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
信じられない思いで、目の前の凌生を見つめた。
まるで、初めてこの人の本当の顔を見たような気がした。
「凌生。今の地位まで、どうやって来たのか忘れたの?」
凌生は舌打ちすると、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「そうやって、いつまでもその話を持ち出されるのが一番うんざりするんだよ。曲を書いたのがお前だからって、それが何なんだ?」
灰を軽く落としながら、どうでもよさそうに言う。
「結局、誰かに歌ってもらわなきゃ曲にはならないだろ。
俺の顔と声がなかったら、お前の作ったメロディーなんて、パソコンの中に眠ってるだけのデータだ。
俺がお前の曲を売れる曲にした。お互いに得したんだ。どっちも相手に借りなんかない」
まだ涙の残る目には、凌生の輪郭がぼやけて見えた。
強く瞬きをして、こぼれそうになった涙を押し戻す。
「分かった。そこまで言うなら、別れよう」
8年も尽くしてきた。
それでも、浮気をするような人と一緒にいるつもりはない。
自分で差し出したものを、今さら惜しむつもりはない。失う覚悟だってある。
凌生の眉間に深いしわが寄った。
「よく考えてから言えよ。今の俺なら、1分でお前の月給くらい稼ぐんだぞ」
思わず、歪んだ笑いがこぼれた。
「もう恋人でもない人のお金なんて、どうでもいい」
凌生は少しだけ声をやわらげた。
「詩乃。ひまりとは遊んでるだけだよ。お前が本命なのは変わらない」
その言葉を聞いた瞬間、とうとう我慢できなくなった。
振り向きざま、思いきり頬を叩く。
「凌生。お願いだから、もう少しまともに生きて。
ひまりがいいなら、ちゃんと向き合ってあげなよ。まだ18歳なんだから。これからってときに、あんたの遊びに付き合わせるなんて最低でしょ」
叩かれた勢いで顔をそむけた凌生は、舌で頬の内側を押した。
「自分がこんな目に遭ってるのに、まだあいつの心配する余裕があるんだな。
でも残念。ひまりは、お前がどうなろうと気にしてないよ」
その言い方に引っかかり、胸がざわついた。
「どういう意味?」
凌生が口元を歪める。
「昨日、ひまりとキスしてるところを撮られた。あいつはもうすぐデビューだ。今スキャンダルが出たらまずい。
それで、俺のスマホを勝手に使って、前に撮った俺たちの動画を流したんだよ。
詩乃、ここ2、3日は外を歩くとき気をつけたほうがいい。俺のファンに顔を覚えられても、知らないからな」
唇を強く噛みしめた。
震える指でSNSのトレンドを開く。
一番上に、私の名前が出ていた。
コメント欄には、目を疑うような言葉が並んでいる。
【同じ事務所ってことは、仕事をエサに迫ったってこと?】
【凌生本人が流したってマジ?何か暴露したいってこと?】
【無理。推しに近づかないでほしい】
最初に報じられた写真に写っていた女性まで、私だと思われていた。
2度の受賞歴と圧倒的な人気もあって、批判はほとんど凌生に向かなかった。
でも凌生は知っている。
私だって、いつか裏方を離れて表に出たいと思っていることを。
今、自分の1stアルバムを準備していることも。
私にだって、悪い噂は致命傷になる。
まして、こんな形の恋愛スキャンダルなんて。
7年も一緒に暮らしてきた凌生には、私が何を気にしているのかすぐに分かったらしい。
目の前まで来ると、両手で私の頬を包んだ。
「もう26だろ。今さらデビューなんて考えなくていいって。
これからも俺の曲を書いてればいい。俺もそのうち遊び飽きるから。そしたら結婚しよう」
吐き気がするほど嫌で、すぐにその手を払いのけた。
「凌生。もう私たちに先はないよ」
凌生は呆れたように笑った。
どうやら本気で、私が恵まれていると思っているらしい。
「詩乃。あとで泣きついてきても、知らないからな」
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