あなたとの結婚、やめました第3話
この話は約2335字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
翌朝、玄関の鍵が回る音がした。
最後の段ボール箱に封をしたところで、昌也が入ってきた。その後ろには友加里もいた。
リビングにきちんと並べられた4つの箱を見て、二人は足を止めた。
昌也は冷ややかな顔をしていた。昨夜、私が一度も電話をしなかったせいだろう。けれど箱を目にした途端、その表情が目に見えて和らいだ。
私が、あの新居へ引っ越すのを心待ちにしていると思ったのだ。
「もういいだろ」
昌也は近づいてきて、箱を見下ろした。
「昨日のことは終わりだ。友加里のことで、いちいち突っかかるのはもうやめろ。指紋は今日、登録する。結婚式も予定どおりだ」
彼の後ろに立っていた友加里が、柔らかな声で言った。
「柏原さん、昨日のことで長塚さんを責めないでください。皆さん、冗談でおっしゃっていただけですから」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「あそこが柏原さんのおうちなのは、わかっています。私は少し、準備をお手伝いしていただけですから」
そう話しながら、彼女の手がごく自然に昌也の腕へ添えられた。
数か月前の私なら、その手をにらみつけて、なぜ私の婚約者に触れるのかと問い詰めていただろう。
今はただ、微笑んだ。
「大丈夫よ。もう気にしてないから」
昌也は数秒、私の顔を見つめた。私の答えに満足したのが、はっきりとわかった。
彼が私の髪に触れようと手を伸ばしてきたので、私は顔をそらした。
それでも、昌也は気に留めなかった。
「それでいい」
時間を確認し、彼は言った。
「友加里と会社に戻って、資料を取ってくる。今夜は新居で引っ越し祝いだ。流佳たちも来るんだ。荷物を運び終わったら来いよ」
そして、念を押すようにつけ加えた。
「遅れるな」
「わかった」
私はすぐに答えた。
昌也の口元がわずかに上がった。
昨夜、私が結婚をやめると言ったのも、まだ機嫌が直りきらずに口走っただけだと、本気で信じているのだろう。
数分後、二人は出ていった。
ドアが閉まった瞬間、私の顔から笑みが消えた。
スマホを取り出し、あらかじめ予約しておいた引っ越し業者に電話をかけた。
「もしもし。もう上がってきていただいて大丈夫です。箱は4つで、すべて福代(ふくしろ)へお願いします」
30分後、作業員が到着した。
持っていくものは、それほど多くなかった。
ノートパソコン、外付けハードディスク、デザインのスケッチ、それから長年かけて集めた仕事の資料。
昌也にもらった服やジュエリーも、二人の思い出が詰まったものも、すべて置いていくことにした。
箱が運び出されたあと、私は机に戻った。
そこには、印刷したメールが2通、まだ置かれていた。
一通はウェディングプランナーから、もう一通は予約していた結婚式場からのものだった。
昨夜、帰宅してから、私は正式に結婚式のキャンセルを申し込んでいた。
ほどなくして、スマホに確認の通知が届いた。
【キャンセルのお手続きが完了しました】
私は数秒、その文字を見つめてから、画面を閉じた。
5年も一緒にいたのに、最後に片づけなければならなかったのは、わずかな箱と、いくつかのキャンセル手続きだけだった。
その日の午後には、部屋はがらんとしていた。
私はブレーカーを落とし、最後に一部屋ずつ確認して、黒いスーツケース一つを持って出た。
昌也は今も、私が新居へ荷物を運ぶのに忙しくしていると思っている。
今夜はあの最上階の部屋で、流佳たちと一緒に、私が来るのを待つのかもしれない。
5年間暮らした部屋の鍵をかけ、管理人に鍵を預けてから、タクシーを呼んだ。
運転手がバックミラー越しに私を見た。
「どちらまでですか?」
スマホに表示された搭乗券に目を落とした。
「空港までお願いします」
車は都心の車の流れに合流した。
背後のマンションが、少しずつ小さくなっていく。
それでも昌也は、私がようやく従順になったと信じているのだろう。
......
新居では、すでに2本目のシャンパンが開けられていた。
流佳はソファにもたれ、グラスの酒をこぼしそうなほど笑っていた。
「昌也、お前には感心するよ。半年前の珠理なら、友加里が自分より先に出入りできると知ったら、あのドアを壊す勢いで怒ってただろうな」
別の友人がグラスを持ち上げた。
「それが今夜は、騒ぎもしなかった」
「ようやくわかったかもしれないな」
もう一人も笑った。
昌也はバーカウンターのそばに立ち、グラスの中のウイスキーをゆっくり揺らしていた。表情こそ平静だったが、その奥にある満足感は隠しきれていなかった。
「前は何でも大げさに騒いでたからな」
流佳がにやりと笑う。
「つまり、指紋のおかげでおとなしくなったってことか?」
昌也は、当然の結果だと言わんばかりに、わずかに顎を上げた。
「俺の隣に立つのがどういうことか、ようやくわかってきたんだろ。長塚家の嫁にふさわしい振る舞いを身につけたなら、結婚式は予定どおり挙げるさ」
流佳は笑ってグラスを掲げた。
「そういえば、そのうち折れるって言ってたな。あの子は何年も、お前と結婚することしか頭になかったんだ。きっと本気で別れるわけないさ」
ほかの友人たちも一緒になって笑った。
友加里まで微笑んでいた。
その場にいる誰も、疑っていないようだった。
そのとき、カウンターに置かれた昌也のスマホが震えた。
流佳がまた笑う。
「噂をすれば、だな」
昌也はかすかに笑みを浮かべ、画面に目を落とした。まだ怒っているのか、何時に行けばいいのか、私からそんなメッセージが届いたと思ったのだろう。
けれど、文面を読んだ瞬間、彼の手からグラスが滑り落ち、床で砕け散った。
【昌也、私たちはもう終わりよ。
あなたが誰と一緒にいようと気にするなって、ずっと言っていたでしょう。もう気にならなくなったわ。
結婚式もキャンセルした。これからは、好きな人と一緒にいればいい】
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
U56482- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。