3年介護したのに妹扱い?私は海外へ消える第3話
この話は約2106字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
その夜、帰ってきた弘樹の顔は真っ青で、見ていられないほどだった。
キッチンでお茶を淹れていた楓は、物音に気づいて振り向いた。弘樹のあまりの顔色の悪さに、手から湯呑みを落としそうになった。
「薬、飲まなかったの?」楓は、引きつった声で尋ねた。
「あまりにもひどかったから、病院で胃洗浄を受けてきた」弘樹が、力なくソファに倒れ込む。冷や汗で前髪が濡れ、ひたいに張り付いていた。
楓の手は震え、湯呑みの中の熱いお茶が手の甲にはねてしまい、瞬時に赤くなった。
それほどまでに結衣が大切なのだろうか?胃洗浄をする羽目になっても、彼女が持ってきたものなら食べたいというのか?
楓は湯呑みにお茶を淹れて弘樹に渡すと、彼の隣に座り込んで胃を優しくさすってあげた。
お茶を飲み干し、柔らかな手に癒されたのか、弘樹は顰めていた眉をゆるめ、そのまま楓の肩に寄りかかって眠りについた。
今まで何度も見てきた、いつもの光景。
しかし今回、楓はその寝顔を見つめても、心が動かされることはなかった。
弘樹をゆっくりソファに寝かせ、ブランケットをかけてから、迷いなく階段を上る。
……
翌朝、目を覚ますと、弘樹はすでに着替えを終えてリビングに立っていた。
「ずいぶん家の中のものが減った気がするんだが?」彼は怪訝そうに辺りを見回している。
楓が説明しようと口を開きかけたが、弘樹は聞かずに話をかえた。「結衣が今日個展を開いてるらしいから、俺たちも行くぞ」
「えっと……」
「結衣は帰国したばかりで友達がいないんだ」弘樹は楓の言葉を遮り言った。「少しでも人がいた方が喜ぶだろ?」
楓は唇を噛みしめ、ただ黙ってうなずくしかなかった。
個展の会場に着くと、弘樹を見つけた結衣が駆け寄ってきて、親しげに彼の腕を組んだ。
「弘樹!この絵を一番見てもらいたかったの……」と言いながら、結衣は雪山の絵を指さす。「海外にいた時に描いたものなんだけど、あの頃は、毎日毎日、弘樹のことばかり考えて……」
弘樹は黙って結衣の話を聞きながら、その絵を見つめていた。その瞳は深く、何を考えているのか分からない。
結局、弘樹はそこに並んでいた全ての絵を買った。
周囲からはひそひそと聞こえてくる――
「昔から斉藤社長は松本さんを特別扱いしてるって聞いてたけど、やっぱり噂通り……」
「一度捨てられたのに、ここまで大切にするなんて、本当に愛してるんだね……」
結衣は勝ち誇ったように楓をちらりと見た。弘樹が支払いをしている隙に、楓の耳元で囁く。「聞こえた?長いことそばにいなくたって、弘樹の心には私しかいないの」
さらに声をひそめ、紅い唇をゆっくりと動かした。「まだあきらめられないのなら、もっとはっきりと思い知らせてあげようか?」
そう言うや否や、突然会場内に非常ベルが鳴り響いた。
「火事だ!逃げろ!」
人混みの中で揉みくちゃにされた楓は、転倒した拍子に足を強くひねった。激痛で目の前が真っ暗になる。
這い上がろうともがいたその時、人波を逆流して走ってくる姿が見えた。
「結衣!どこだ!」
弘樹の声には、楓がこれまで聞いたことのないほど取り乱した焦燥感が滲んでいる。
次の瞬間、弘樹は怯える結衣を見つけると、しっかりと抱きかかえ、彼女を守りながら真っ直ぐ出口へ駆けていった。
床に座り込んだまま、楓はその背中が濃い煙の中に消えていくのをただ見つめていた。
なんとか立ち上がったその瞬間、「ガンッ!」と大きな音が響く。
燃えた梁が、楓の頭に直撃したのだった!
……
目が覚めた時、目に映ったのは刺すような白い天井だった。
「楓!よかった。目を覚まして……」赤く腫らした目で、親友の二宮洋子(にのみや ようこ)が駆け寄ってきて、泣きじゃくる。「もう!死ぬほど心配したんだよ?あと一歩間違えてたら、命を落とすところだったんだからね!」
楓は首を動かそうとした。すると、その瞬間体中の骨が粉々になったような痛みが走る。
「ひ……弘樹は?」と、枯れた声で尋ねた。
洋子の表情が険しくなった。「あの男?今は松本さんに付きっきりだよ!肋骨を折った楓のことは放っておいて、かすり傷だけの松本さんを心配してるなんて、ありえなくない?」
楓はそっと目を閉じた。呼吸をするだけで胸が握りつぶされるように痛む。
「あの男、いくらなんでも最低すぎるよ!半身不随だった頃、誰が付きっきりで介護したと思ってんだろうね?寝る間も惜しんで、死なないように見守ってたのは誰だよって話!こんな重傷の楓がいるっていうのに……」
洋子は楓の手を握りしめ、声を詰まらせた。「楓、あの男はもう回復したっていうのに、いまだにあなたとの今後について何も話し合おうとしない。なのに、一体、いつまでそんなふうに自分を押し殺して耐え続けるつもりなの?」
病室には、モニターの音だけが虚しく響く。
長い沈黙の後、楓は静かに口を開いた。「海外に行く準備をしているの。
ビザが下りたら……」
彼女は天井を見つめたまま、今にも消えそうなほどか細い声で続ける。「すぐにでも行こうって思ってる」
言葉が終わるのとほぼ同時に、勢いよくドアが開けられた。
「行くって?」ドアの前で仁王立ちした弘樹の表情は冷え切っていた。「誰がどこに行くんだ?」
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