離婚成立、その直後に私は死ぬ第1話
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私と尾崎千明(おざき ちあき)の前には、二通の離婚協議書が置かれている。
一通は彼の分。
もう一通は私の分。
私に割り当てられたのは、財産の二割と別荘が一軒だ。双子とそのほかの本家の邸宅はすべて彼のものになる。
私はざっと目を通し、何の感情も見せず、そのまま署名する。
少し前のような取り乱しは、もう欠片もない。
千明のペン先が止まり、動きが鈍る。熱を帯びた視線で私を見つめてくる。
「異議はないのか。面会権についても聞かないのか?
一度サインしたら、もう後戻りはできないぞ」
私は書類を彼に差し返し、わずかに口元を緩める。
「必要ないわ」
千明は目を細め、何か言いたげな色がその奥に浮かぶ。
けれど、もう関係ない。
数時間後、私は尾崎家の嫁でも、二人の子の母親でもなくなる。
ただの、見る影もない死体になっているはずなのだから。
* * *
私と尾崎千明(おざき ちあき)の前には、二通の離婚協議書が置かれている。
一通は彼の分。
もう一通は私の分。
私に割り当てられたのは、財産の二割と別荘が一軒だ。双子とそのほかの本家の邸宅はすべて彼のものになる。
私はざっと目を通し、何の感情も見せず、そのまま署名する。
少し前のような取り乱しは、もう欠片もない。
千明のペン先が止まり、動きが鈍る。熱を帯びた視線で私を見つめてくる。
「異議はないのか。面会権についても聞かないのか?
一度サインしたら、もう後戻りはできないぞ」
私は書類を彼に差し返し、わずかに口元を緩める。
「必要ないわ」
千明は目を細め、何か言いたげな色がその奥に浮かぶ。
けれど、もう関係ない。
数時間後、私は尾崎家の嫁でも、二人の子の母親でもなくなる。
ただの、見る影もない死体になっているはずなのだから。
離婚協議書にサインを終えたあと、千明は初めて私を玄関まで見送った。
口調は丁寧でよそよそしい。「送ろうか」
私はきっぱりと首を振る。
彼はわずかに戸惑ったようで、今の私の冷たさにまだ慣れていない様子だった。
一瞬だけ私の頭上に視線を落とし、それからデスク脇のメモを手に取り、数字を書いて差し出してくる。
「俺のプライベート番号」
口元には、どこか確信めいた笑みが浮かんでいる。
つまり、私はきっと彼を頼って戻ってくるとでも思っているのだろう。
私はほんの一瞬だけ固まったが、そのメモを受け取り、軽くうなずいて礼を言った。
けれど車に乗り込んだ瞬間、ライターで火をつけ、メモが少しずつ灰になっていくのをじっと見つめる。
昔、どれだけ駄々をこねても手に入らなかった番号が、今離婚したことであっさり渡される。
なんて皮肉だろう。
エンジンをかけた直後、電話が鳴り響く。
大会アシスタントの文香(ふみか)の声はひどく焦っている。
「梨央さん、千明さんがここ数日練習対局があって、その食事プランなんですけど……」
「私のマンションに来て。渡すから」
数時間後、文香は人の背丈の半分ほどもある食事プランの束を前にして、気まずそうに笑う。
「梨央さん、ちょっと怒ってるだけかと思ってたのに、本当に離婚するんですか」
私が離婚を切り出してから、千明も、千明の母である尾崎悦子(おざき えつこ)も、囲碁チームの仲間たちも、私のことを駆け引きだと思っている。
この最年少六連覇の棋士に頭を下げさせるための手段だと。
でも私はただ、千明に幻想を抱かなくなっただけ。
「彼は魚とパクチーにアレルギーがある。冬は鼻炎が出やすい。下着はコットンしか着ない。お風呂は38度でミントを入れるのが好き」
一気に注意点を言い終えると、文香の笑顔はいつの間にか痛ましげなものに変わっていた。
彼女は言いにくそうに口ごもる。「梨央さん、本当に離婚するんですね」
私は答えなかった。
ただ枕の下から、尾崎千明が七年前に書いたラブレターを取り出し、彼女の目の前で一気に引き裂く。
紙が細かく舞い散るのを見つめながら、低くつぶやいた。
「父が亡くなって、私と彼も終わり」
久しぶりの涙が、言葉と同時にこぼれ落ちる。
文香は一瞬呆然とし、すぐに謝りながら赤くなった目で私の涙を拭ってくれた。声は少しかすれている。
「梨央さん、ずっと幼なじみだったのに……どうしてこんなことに?」
そう。
あの頃、最年少で最も才能ある囲碁チャンピオンは、盛大な結婚式で幼なじみを妻に迎え、瀕死だった恩師を高額の医療ポッドに入れて延命させた。
翌年には双子の子どもにも恵まれた。
千明は私に何一つ不自由をさせまいと、贈り物を絶え間なく届けてきた。普段使いのティッシュでさえ、彼が自らデザインしたものだった。
酔えば一晩中「梨央」と呼び続け、その後には手のひらに私の名前まで刻んだ。
世間の注目も評判も、すべて手に入れた。
それなのに、たった七年。
幼なじみだった私は、どうでもいい存在になり、名も肩書きもないまま彼のそばにいた高野恵理(たかの えり)というマネージャーが、心の中心になっている。
幼なじみなんて。
心が離れれば、命の恩がある恩師の娘でさえ、あっさり捨てられた。
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