降りしきる雨に、君の心を問わず第1話
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椎名司(しいな つかさ)がこの世を去ってから三年、瀬戸汐梨(せと しおり)はまだ彼を心から消し去ることができずにいる。
再び、彼女は別荘の暗室に身を潜めた。ここは二人が初めて出会った場所であり、ここにいるときだけ、少しだけ息をつけるのだ。
「司くん、いつ帰ってくるの?来月には結婚式なのに……」
扉の隙間から嬌声が忍び込んできた。その声は、まるで毒を仕込んだ針のように、予期せぬ瞬間に耳を刺した。
汐梨は全身が硬直し、血の気が一瞬で凍りついたかのような感覚に襲われた。
彼女は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。暗室の細い隙間から、外の様子を覗き込む。
家政婦の娘、青木美雪(あおき みゆき)がソファにもたれかかりながら電話をしている。指先で電話のコードをくるくると巻き取り、笑顔を隠そうとしても、楽しげな表情が自然と浮かんでしまう。
「結婚式、本当にCホテルでやるの?もし汐梨に知られたら、怒鳴り込まれたらどうしよう……」
電話の向こうが一瞬静まり返ったかと思うと、次の瞬間、十三年もの間、骨の髄まで刻み込まれたあの声が響いた。
「大丈夫、『記憶喪失になった』って言うから」
* * *
椎名司(しいな つかさ)がこの世を去ってから三年、瀬戸汐梨(せと しおり)はまだ彼を心から消し去ることができずにいる。
再び、彼女は別荘の暗室に身を潜めた。ここは二人が初めて出会った場所。
ここにいるときだけ、三年間ずっと続いていた胸の締め付けるような痛みを、和らげることができる。
汐梨が手のひらのプロポーズ指輪をこすって輝かせ、涙が情けなくもまたあふれてきた。
「司くん、いつ帰ってくるの?来月には結婚式なのに……」
扉の隙間から嬌声が忍び込んできた。その声は、まるで毒を仕込んだ針のように、予期せぬ瞬間に耳を刺した。
汐梨は全身が硬直し、血の気が一瞬で凍りついたかのような感覚に襲われた。
彼女は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。暗室の細い隙間から、外の様子を覗き込む。
家政婦の娘、青木美雪(あおき みゆき)がソファにもたれかかりながら電話をしている。指先で電話のコードをくるくると巻き取り、笑顔を隠そうとしても、楽しげな表情が自然と浮かんでしまう。
「結婚式、本当にCホテルでやるの?もし汐梨に知られたら、怒鳴り込まれたらどうしよう……」
電話の向こうが一瞬静まり返ったかと思うと、次の瞬間、その声が響き始めた。
低くかすれた、少し無頓着な優しさを帯びた声は、汐梨が十三年間も聞き続け、骨の髄まで刻み込んだものだった。
「大丈夫、『記憶喪失になった』って言うから」
――バタッ。
汐梨の視界が一気に暗転し、背中が壁に強くぶつかった。
胸の奥は痛くて、見えない手が心臓を掴んで激しく捻り潰すようで、彼女は口を大きく開けても、空気を一口も吸い込むことができない。
壁について長い時間をかけて呼吸を整えたが、指先は震え、扉を掴むことすらままならない。
再び隙間から覗くと、美雪が受話器に向かって甘え声を洩らしている。
「でも私、堂々とあなたのお嫁さんになりたいの……」
「なるさ」男の声は甘やかで絡みつき、細かな針のように耳を刺した。彼女の瞳が潤み始める。「お前は俺が一番愛する女だから、当然最高のものを与える」
一番愛する女?
汐梨はふっと笑った。けれど、涙の方が先に頬を伝った。
十歳のあの日の光景が、唐突に脳裏に押し寄せる。
彼女がこの暗室に飛び込んだとき、司は背を向けて荒い息をつき、手にしたナイフからはまだ血が滴っていた。
汐梨は刃についた血を見ず、ただ彼の腕の傷口に目を奪われ、ポケットからピンクの絆創膏を取り出して、そこに貼りつけた。
「おじさん、これならもう痛くないよ」
――その後、殺しをためらわぬこの男は、彼女のボディーガードとなった。
十八歳の誕生日パーティーの夜、汐梨はわざと他の男の腕を取って歩いた。司の拳がきつく握られ、血管が浮き出たのが見えた。
司はその男を叩きのめして地面に倒し、自分の額から血を流しながらも、汐梨の顔を両手で大切そうに包み込み、荒々しく、必死に唇を重ねた。
「汐梨、俺を追い詰めるな」
その夜、彼は彼女を抱きしめ、顎を彼女の頭に押し当てて震えながら囁いた。
「汐梨……もしお前を裏切ったら、俺に天罰が下ってもいい」
――彼女は信じていた。
だからこそ、彼がプロポーズした翌日、仇敵に殺され、海に投げ捨てられたと聞いた瞬間、彼女はリビングで気を失ったのだ。
K町の人々は口々に言った。彼女は薄幸で、愛する人の墓さえも空っぽだと。
その通りだ。彼女は確かに不幸だった。
彼の「死」を知らされてから最初の一年間で、彼女は六回も海に飛び込み命を絶とうとした。救い上げられたときには、半ば息も絶えかけていた。
やがて、神仏を信じていなかった彼女が、町中の神社を巡り歩き、ただ夢の中で一度でも彼に会えるよう祈り続けた。
けれど今――
彼女が日々思い焦がれた人は、「記憶喪失」を言い訳に、別の女と結婚しようとしているのだ。
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