結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて第2話
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その言葉を聞いた瞬間、智哉の表情は冷え切り、鋭い視線で佳奈をじっと見つめた。
「俺は結婚しないって前に言っただろう。遊びが続けられないなら、最初から承諾するな」
佳奈の目尻は薄紅に染まりながらも、静かに言葉を返した。
「最初は二人の感情だったのに、今は三人になった」
「彼女は君にとって何の脅威にもならない」
佳奈は自嘲気味に微笑んだ。
「彼女の電話一本で、あなたは私を放り出し、私が死にかけていることすら気にしない。智哉、どうすれば『脅威』になるのか教えてよ」
智哉の瞳には怒りがはっきりと浮かんでいた。
「佳奈、生理痛くらいでここまで大げさに騒ぐ必要があるのか?」
佳奈は彼の言葉を聞き、静かに息を吸い込むと言った。
「じゃあ、もし私が妊娠していたら?」
「子供を理由にするのはやめろ。俺は毎回きっちり避妊している」
その冷たく迷いのない口調に、佳奈の心に残っていたわずかな幻想が音を立てて崩れた。
もし本当に子供がいたとしても、彼はそれすらも排除しようとするだろう。
佳奈は拳を固く握り、爪が皮膚に食い込んでも痛みを感じなかった。
彼女は顎を上げ、苦々しい笑みを浮かべて言った。
「あなたはこう言ったわね。『二人の関係は感情だけ。結婚はしないし、どちらかが飽きたらすぐに別れよう』。智哉、私、もう飽きたの。別れよう!」
その言葉は簡潔で、迷いも未練も感じさせなかった。
だが、誰も彼女の胸の中から血が流れていることに気づくことはなかった。
智哉の手は拳を握りしめ、青筋が浮かび上がっていた。彼の目は鋭く、冷たく佳奈を射抜いた。
「その言葉がどういう結果を招くか分かってるのか?」
「この言葉があなたの機嫌を損ねるのは分かってる。でも智哉、私は疲れたの。三人で築く愛なんていらない」
彼女はかつて、愛さえあれば結婚など必要ないと信じていた。
しかし、それが間違いだったと気づいた。智哉の心は、最初から彼女には向いていなかったのだ。
智哉は彼女の顎を乱暴に掴み、その瞳に冷笑を浮かべた。
「こんな手で俺に結婚を迫るつもりか?佳奈、お前は俺を甘く見てるのか、それとも自分を買いかぶってるのか」
佳奈は絶望に満ちた目で彼を見つめた。
「どう思われても構わない。今日ここを出ていくわ」
彼女がベッドから降りて荷物をまとめようとした瞬間、智哉は彼女の腕を強く引き寄せ、抱きしめた。
熱く湿った唇が、彼女の唇を正確に捉えた。
その低く響く声は冷たく、嘲笑を含んでいた。
「俺を離れて、また藤崎家が以前の状態に戻るのが怖くないのか?これはお前が三年かけて捧げた青春の代償なんだぞ」
その言葉に佳奈の頭は真っ白になった。目を見開き、信じられない様子で彼を見た。
「それってどういう意味?三年の青春って何のこと?」
智哉は彼女の唇の咬み痕を冷たい指先で弄び、口元には嘲笑を浮かべていた。
「俺に助けを求める計画を立てて、結婚しない条件でも俺についてきた。それが父親を助けて藤崎家を救うためじゃないと、他に理由があるのか?」
確かに三年前、藤崎家は前例のない経済危機に直面していた。
智哉と付き合い始めてから、彼は藤崎家に多くの仕事を与え、その危機を脱させた。
それを智哉が自分のことが好きだからだと、彼女は信じていたのだ。
佳奈は震える唇で問いかけた。
「じゃあ、この三年間、あなたの優しさはすべて演技で、そこには一切の感情がなかったってこと?」
智哉はその問いに怒りが爆発し、額の血管が浮き上がった。
歯を食いしばりながら冷たく言い放った。
「ただの体だけの遊びだ。本気になると思ったのか?」
その短い一言は、鋭い刃となって佳奈の心を深く切り裂いた。
佳奈は三年間、深い愛情を注いできたが、智哉にとってそれはただの金と肉体の取引に過ぎなかった。
彼女だけが愚かにも、彼が自分を愛していると信じていたのだ。
その事実に気付いた瞬間、佳奈は体中の全ての神経が獣に引き裂かれるような痛みを感じた。
目に宿る悲しみも徐々に冷たく硬いものに変わっていく。
「三年間の青春で、もう十分に高橋社長への恩を返したと思います。これでお互い清算しましょう。これからは二度と関わらず、お互い幸せに生きましょう」
佳奈の倔強な表情に、智哉はますます怒りを募らせた。
「佳奈、一晩だけ考える時間をやる。その後でよく考えてから俺に答えろ」
冷酷な雰囲気をまといながら、智哉は背を向けて部屋を出て行った。
残された佳奈は、ひとりベッドの上で体を丸めたまま動けなかった。
ずっと抑えていた涙が、気づけば頬を伝って流れ落ちていた。
彼女の七年間の片思いと、三年間の献身的な尽くしは、智哉にとってただの恥ずべき取引でしかなかった。
恋愛において、先に心を動かした方が負けだと言われる。
ましてや佳奈は智哉に出会ってから四年も前に恋をしていた。
彼女は完敗し、惨めな姿をさらすしかなかった。
泣き疲れた佳奈は、静かに立ち上がり、最低限の荷物をまとめると、振り返ることなく部屋を後にした。
——
一方で、夜の静けさを切り裂くように、黒いロールスロイスが街道を駆け抜けていた。
智哉の頭の中には、佳奈が「私たち、別れよう」と言った時の毅然とした表情が浮かんでいた。
ただ誕生日を一緒に過ごさなかっただけ、ただ嫉妬しただけ。
そんなことで別れを切り出すなんて、彼女の小さなわがままをちゃんと直さなきゃいけないと考えていた。
智哉はイライラしてネクタイを引き剥がし、助手席に投げ捨てた。
携帯の着信音が何度も鳴り響き、しばらくしてようやく応答ボタンを押した。
「なんだ?」
電話の向こうから、飄々とした声が聞こえた。
「何してんだよ?全然電話に出ねえじゃん」
「運転中だ」
石井誠健(いしい のりたけ)は不敵な笑みを浮かべながら言った。
「何が運転中だよ?藤崎秘書といちゃいちゃしてんじゃないの?お邪魔しちゃった?」
「暇そうだな」
「いやいや、ちょっと聞きたかっただけだ。月影バー、来るか?辰也が奢るらしいぞ」
10分後――
月影バー。
誠健は智哉に酒を差し出し、悪戯っぽく笑いながら言った。
「顔が地面に落ちそうなくらい暗いぞ。どうした?佳奈と喧嘩でもしたのか?」
智哉は冷たい視線を彼に向けながら言った。
「カップルが感情をぶつけ合うことで仲を深めるのを知らないのか?」
「おやおや!これは“夜”を重ねるうちに情が湧いちゃったってやつか?まさか本気になった?」
誠健は“夜”という言葉をわざと強調しながら、痞悪な笑みを浮かべた。
智哉はためらいなく彼を蹴り飛ばした。
「黙れ」
「分かったよ、黙るよ。でも忠告しとく。もし佳奈が本当に好きなら、美桜との関係はきっちり整理しろ。毎回彼女から電話が来るたびに駆けつけるようじゃ、そのうち“奥さん“が出て行っても文句言えないぜ」
智哉は眉間にシワを寄せた。
「彼女には脅威にならないと説明した。でも信じない」
「いや、普通の女なら信じないだろうな。美桜はお前の幼馴染で、子供の頃から婚約者みたいなもんだろ?どの女が、自分の男がそんな相手に頻繁に会いに行くのを我慢できると思うんだ?」
智哉は煙草ケースから一本取り出して火をつけ、深く吸い込んだ。
その黒い瞳はますます暗さを増していく。
「俺と彼女は......」
言葉を言い終える前に、貸し切りルームのドアが開いた。
遠山辰也(とおやま たつや)が美桜を伴って部屋に入ってきた。
「悪いな。美桜がちょっと情緒不安定で、一緒に来させてもらった。迷惑じゃなければいいが」
誠健は智哉の険しい表情を横目で見て、気まずそうに笑った。
「いやいや、迷惑なわけないだろう。美桜、こっち来て誠健兄さんの隣に座れよ」
美桜は優しげで無邪気な笑みを浮かべながら答えた。
「そっちはエアコンの風が直接当たるから寒いわ。ここに座らせてもらう」
そう言うと、彼女は智哉の隣に腰を下ろし、小さな箱を鞄から取り出して智哉の前に置いた。
「智哉さん、この前私を助けるために彼女の誕生日を逃したけど、怒られなかった?」
智哉は淡々と答えた。
「怒ってない」
「それなら良かった。これ、彼女へのお詫びとして私が選んだ口紅よ。もし彼女が誤解してるなら、私から直接説明してもいいわ」
智哉は目もくれずに拒絶した。
「いらない」
その言葉を聞いた途端、美桜の目には涙が浮かんだ。
「智哉さん、私があなたを煩わせすぎているの?でも、病気の発作が出ると、ついあなたに頼ってしまうの」
言葉と共に、大粒の涙が頬を伝って落ちていく。
智哉は彼女を一瞥し、眉を寄せた。
ポケットに口紅をしまい込み、低く言った。
「俺が彼女に渡しておく」
美桜は瞬時に表情を明るくし、智哉に一杯酒を注いだ。
「智哉さん、これ飲んでみて。兄が海外のオークションで落札した82年もののワインよ」
彼女が酒杯を渡すとき、指先が意図せず彼の手首に触れた。
智哉はすぐに手を引き、煙草を灰皿に押しつけて消した。
「そこに置いとけ」
美桜は彼が自分を拒む様子を見て、一瞬冷たい表情を見せたが、すぐに従順な笑顔に戻った。
辰也は酒杯を持ち上げ、智哉と乾杯しながら言った。
「お前の彼女にはまだ会ったことないな。今度一緒に連れてこいよ」
誠健がからかうように笑った。
「最近は無理だろうな。今、絶賛喧嘩中らしい」
辰也は智哉の険しい表情を見ながら笑った。
「喧嘩なんてすぐに仲直りできるさ。まあ、俺が助けたあの女の旦那みたいにはなるなよ。彼女が流産して大出血で死にかけてるのに、電話を無視して他の女と一緒にいたって話だ」
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