愛人のために、娘を見捨てたあなたをもう許さない第3話
この話は約2048字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「本当に京介と離婚するつもりなの?」
京介の母・一ノ瀬洋子(いちのせ ようこ)は、陽菜が突然本邸を訪ねてきたことにあからさまな不快感を示した。だが、その用件を聞いた途端、隠しきれない喜びが顔に広がった。
そのあからさまな喜びように、陽菜の胸の奥がちくりと痛んだ。
かつて京介は、家族の猛反対を押し切り陽菜と結婚したが、一ノ瀬家の人間は誰一人として陽菜を本当の家族として受け入れることはなかった。
特に洋子は、結婚前に「万が一のため」と言って、京介にあらかじめ離婚届へ署名させていたほどだ。
当時、京介は気にも留めず、署名を終えると、その書類を陽菜に渡した。
「書いたところで無駄だ。俺と陽菜が別れることなんてあり得ない」
あの時は、本気でそう信じていた。
だが今は、この離婚届が彼女の唯一の救いになっていた。
「離婚してもいいわ。ただし、指を一本置いていきなさい」洋子の声色が一変した。
陽菜は呆然と立ち尽くした。
洋子は嫌悪を向けて、「私たち一ノ瀬家の跡取りに傷を残したままでは済まされないわよ」と冷たく言い放った。
「京介はあなたと結婚するために、自ら小指を落とした。今さら去るというなら、その借りを返してもらうわ」
かつては愛の証だと思っていたものが、今では胸を抉る刃になっていた。
陽菜は瞳を赤く潤ませ、喉の奥に込み上げる痛みを押し込み、静かに答えた。
「分かりました」
あまりにもあっさりと受け入れたことに、洋子のほうが一瞬言葉を失った。だがすぐに使用人にナイフを持って来させる。
陽菜はそのナイフを見つめ、ためらうことなく左手を上げ、ナイフを振り下ろすと、全身に激痛が走った。
小指が切り落とされ、血が床へ飛び散る。痛みで視界が滲み、背中が冷や汗で濡れた。それでも陽菜は唇を噛み締め、悲鳴ひとつ上げなかった。
京介、これで貸し借りなしよ。
「陽菜さん。手続きが終わったら、もう二度と京介の前に現れないでちょうだい」
洋子は肩の荷が下りたように言い放った。
陽菜は力なく笑い、ハンカチで傷口を強く押さえながら、その場を後にした。
だが、出口に差し掛かった時、黒い車が、猛スピードで彼女に突っ込んできた。
ドンッ!
凄まじい衝撃で弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
意識が途切れる中、視界を無理やり開くと、車内の光景が目に入った。
パニックになっている美羽が、京介の胸にすがりついて泣きわめいていた。
「京介さん……だから運転できないって言ったのに!人を轢いちゃった、刑務所行き?どうしよう……」
京介は彼女の頭を撫でて、「大丈夫だ、そんな顔するな。こんなことで刑務所行きになるわけないだろ。車で待ってろ、俺が見てくる」と宥めた。
全身を襲う激痛の中、陽菜は近づいてくる彼を見つめていた。
京介は地面に倒れているのが陽菜だと気づくと、途端に眉間に皺を寄せ、冷ややかな目で睨みつけた。
「陽菜、いつからわざとこんなトラブルを起こすような奴になったんだ?」
あまりのバカバカしさに、陽菜は思わず笑い、口の中いっぱいに血の味が広がる。
「京介、私が自分の命をかけてまで自作自演なんてすると思う?彼女がわざと撥ねたのよ」
「美羽は虫も殺せないほど優しい子だぞ。そんなことするわけないだろ?」
京介はそう言いながら冷たく見下ろす。「大した怪我じゃないならはやく帰れ。これ以上、美羽の前に現れるな。あいつはお前のことを見ただけで、自分が人の家庭を壊したんじゃないかって苦しむんだ」
陽菜は耳を疑った。
血に染まった拳を握りしめ、嘲笑うように言う。「違う?」
「何だと?」京介が眉をひそめる。
「彼女が人の家庭を壊した恥知らずって言ってるの」陽菜の声は掠れ、目は血走っていた。
その時、背後で車のドアが閉まる音が響く。
京介が振り返ると、車から降りた美羽が涙をこぼし、震えながら立ち尽くしていた。
彼の胸がぎゅっと締めつけられた。「美羽!」
美羽が泣き声をあげる。「京介さん、もう私と会わないでください!」
そう言い捨てて、彼女は顔を覆い、泣きながら走り去った。
「陽菜!」
京介の表情が一瞬で冷え切り、こう言い放つ。「お前、なんてことを。
彼女は骨髄提供のあと体調がまだ完全に戻っていないんだ。もし何かあったら、絶対に許さない!」
その矢先、京介のスマホが激しく鳴り響き、嫌な予感がした。
「もしもし、篠原様のご家族の方でしょうか?彼女が交通事故に遭われまして……」
ガーンッという音が頭の中で響き、彼はその場にいる陽菜を一瞥もせず、そのまま車へと戻った。
去り際、彼は急に振り返り、氷のような視線で陽菜を見て、駆けつけてきたボディーガードに命じた。
「彼女を警察に突き出して故意に人身傷害を加えたとでも伝えておけ。それで5日間留置して、きっちり『面倒』を見てもらうんだ」
陽菜は威勢よく顔を上げた。
まさか、美羽のために、ボロボロになった自分を投獄しようとは思わなかった。
京介が口にした「きっちり『面倒』を見てもらうんだ」という一言で、留置場で過ごした5日間は、陽菜にとって一生触れたくもない悪夢となった。
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