愛を尽くした、その果てに第3話
この話は約2063字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
午前九時、景斗から電話がかかってきた。
「マンションの地下駐車場で待ってる。降りておいで」
あらかじめ用意しておいた供物を抱え、私は彼の車に乗り込んだ。
祖母が亡くなったのは、私が大学二年のときだった。
本当は、故郷の山の上に眠らせてあげるつもりだった。
でも景斗は、「おばあさんをひとり田舎に置いていけない」と言って、南城の霊園に祖母を埋葬した。
でも、今になって思う。
私はこの街を去るつもりだし、どのみち祖母はひとりこの街に取り残される。
あのとき、彼の約束なんて信じるべきじゃなかった。
祖母のことを思うと、涙が止まらなかった。
車の中で肩を震わせる私を見て、景斗は慌てて車を脇に寄せ、私を抱きしめた。
「みのり、泣かないで……おばあさんが天国で心配しちゃうだろ」
私の涙の理由なんて知らずに、彼は偽善的な態度を取り繕っている。
この男は、最後まで私を騙し通すつもりなのだ。
「……そうね。心配させちゃいけないわね。もう行きましょう」
景斗は、私の顔を覗き込みながら言った。
「みのり……何かあったのか?おばあさんが亡くなってもう随分経つのに、今日の君の様子はおかしいよ」
私は首を振った。
「ううん。ただ、急に恋しくなっただけ」
彼に何度か問いかけられたけど、私は何も答えなかった。
「……もう泣かないで。さもないと、おばあさんに『みのりは弱虫だ』って言いつけるよ?」
私は黙ったまま、視線を落とした。
墓地に着くと、供物を手に車を降りた。
景斗が手伝おうとするも、私は避けた。
「自分で、おばあちゃんに渡したいの」
二人で並んで墓地の階段を登った。
祖母の名前が刻まれた墓碑が目に入り、胸が張り裂けそうになった。
私はゆっくりと膝をつき、墓碑に手を添えた。
景斗も隣で膝をつき、手を合わせた。
「おばあさん、安心してください。俺が、みのりを一生守ります」
どうしてこの男は、祖母の前で平気でそんな嘘がつけるのだろう。
私は袋の中から、赤い組紐を取り出した。
祖母の墓前に置こうとしたそのとき、景斗が私の手首を掴んだ。
「みのり……それって、俺たち二人のために編んだ組紐だろ?」
私は小さく頷いた。
「結婚式で交換するって約束したものだよな?」
景斗は眉をひそめた。
「式の日まで大事に取っておくって、言ってたじゃないか?」
「また、新しいのを用意するから」
私がそう言うと、彼はしぶしぶ手を離した。
組紐を墓前に置いたとき、彼の目にかすかな不安が浮かんだ。
「みのり……君は――」
その言葉を遮って、澄んだ声が墓地の静寂を破った。
「……景斗さん!」
振り返ると、白いワンピースを着た沢木詩織が立っていた。
黒髪が風に揺れ、儚げに見える。
景斗は顔を強張らせ、詩織へ歩み寄る。
「……どうしてここに?」
私は聞こえなかったふりをして、袋の中から故郷の小屋をかたどった石彫を取り出した。
「おばあちゃん、もうすぐ私はここを出て行くの。今日はこれを置いていくね」
そう心の中で呟きながら、墓前に置こうとしたとき、横から伸びた手が石彫を奪い去った。
驚いて顔を上げると、沢木詩織が石彫を胸に抱き、涙をこぼしていた。
「橘さん……この石彫、私の祖父母の家にそっくりなの。譲ってもらえないかしら?」
私は即座に首を振った。
「……ごめんなさい。それは私が祖母のために彫ったものです。返してください」
詩織は返さず、泣きながら景斗に助けを求めるような目で見つめた。
「景斗……知ってるでしょ。私の祖父母は生前、ずっと故郷を恋しがっていたの。これにそっくりなのよ……お願いだから、私に譲ってくれない?」
景斗は私に視線を向けた。
「みのり……詩織に譲ってくれないか?おばあさんには、また新しいのを作ればいいだろ?」
その瞬間、血の気が引いた。
彫刻を習い始めた頃、血だらけになった私の指を見て、彼は泣きそうな顔で、「君の手は、患者を救うための手だ」と言っていた。
それでも彫り続ける私に、「完成したら、もう二度と彫刻はしないでくれ」と、彼は念を押していた。
それなのに今、彼女に譲れと言う。
私はうつむき、小声で告げた。
「……それは、おばあちゃんのために作ったものよ」
景斗は腰をかがめ、耳元で囁いた。
「詩織は……もう長くないんだ。頼むよ、みのり」
「もし、私が嫌だと言ったら?」
その言葉に、景斗は口をつぐんだ。
墓地の空気が一気に張り詰めた。
詩織が胸を押さえ、泣き声をあげる。
「景斗さん……」
景斗は振り返り、「……持ってっていいよ、詩織」と言った。
その瞬間、詩織は笑顔を見せると、私の石彫を抱えたまま彼女の祖父母の墓前へと駆け去った。
私は祖母の墓碑を見つめ、口元をひきつらせながら目尻を赤くした。
景斗が隣で何か言っていたけど、耳に入ってこなかった。
ただただ思った。
あの石彫は、私が手を血まみれにして、何度も失敗を重ね彫り上げた祖母への形見だったのに、彼は一瞬で差し出したのだ。
この人は、私のものを、私の想いを、いつだって簡単に他人に譲れてしまう。
――おばあちゃん、ごめんね。私には、人を見る目がなかった。
でも、まだ間に合う。
私は、この男を捨てる覚悟を決めた。
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