和紙文愛の終止符、それぞれの明日へ · 第1話設定≡

愛の終止符、それぞれの明日へ第1話

この話は約2198字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

「中絶手術を受けろ」

つい先ほどまで妊娠の喜びに浸っていた森美陽(もり みはる)が、夫のその言葉を聞いた瞬間、心は底知れぬ絶望の淵へと沈んだ。

「……今、なんて言ったの?あなた、この子は私たちの子供なのよ……」

「幸人がお前の妊娠を知って、さっき飛び降りようとしたんだ。あの子はまだ新しい母親としてお前を受け入れていない。それなのに、その腹の子を認められるわけがないだろう」

幸人。また、葛西幸人(かさい ゆきと)のこと……

葛西圭(かさい けい)と結婚して以来、美陽は彼の息子――幸人に精一杯の愛情を注いできた。だが、幸人は執拗に美陽を嫌い続けた。

そして今、その悪意は美陽の子供にまで及ぼうとしている。

「圭、幸人があなたの子供なら、この子だってそうじゃないの?」

美陽の目から涙が溢れ出し、喉の奥にこみ上げる酸っぱい苦みとともに、声は途切れ途切れになった。

圭は沈黙した。

長い沈黙の後、ただ一言だけ告げた。

「子供ならまた作ればいい。聞き分けよくしてくれ。今は幸人を最優先にすべきなんだ」

* * *

「中絶手術を受けろ」

つい先ほどまで妊娠の喜びに浸っていた森美陽(もり みはる)が、夫のその言葉を聞いた瞬間、心は底知れぬ絶望の淵へと沈んだ。

「……今、なんて言ったの?あなた、この子は私たちの子供なのよ……」

「幸人がお前の妊娠を知って、さっき飛び降りようとしたんだ。あの子はまだ新しい母親としてお前を受け入れていない。それなのに、その腹の子を認められるわけがないだろう」

幸人。また、葛西幸人(かさい ゆきと)のこと……

葛西圭(かさい けい)と結婚して以来、美陽は彼の息子――幸人に精一杯の愛情を注いできた。だが、幸人は執拗に美陽を嫌い続けた。

そして今、その悪意は美陽の子供にまで及ぼうとしている。

「圭、幸人があなたの子供なら、この子だってそうじゃないの?」

美陽の目から涙が溢れ出し、喉の奥にこみ上げる酸っぱい苦みとともに、声は途切れ途切れになった。

圭は沈黙した。

長い沈黙の後、ただ一言だけ告げた。

「子供ならまた作ればいい。聞き分けよくしてくれ。今は幸人を最優先にすべきなんだ」

その言葉が美陽の導火線に火をつけた。抑え込んでいた感情が、激流のように溢れ出す。

「聞き分けがない?ええ、そうね。

聞き分けがなかったから、あなたと結婚なんてしたのよ。

聞き分けがなかったから、守られもしない約束を信じて待ち続けた。

聞き分けがなかったから、この子を産めるなんて幻想を抱いたのよ!」

ガシャン――!

美陽はナイトテーブルのランプを床に叩きつけ、続いてドレッサーや机の上にあるものを次々となぎ倒した。

圭はベッドの端に座り、ヒステリックに荒れ狂い、崩れ落ちて号泣する美陽を、ただ重苦しい視線で見つめていた。

泣いて、泣き続けて……美陽の心は死んだ。

……

美陽と圭の出会いは、あるビジネスカンファレンスだった。

当時の美陽は社会人になったばかりの新人。一方圭は、大勢の人に囲まれて現れた注目の的だった。

十二歳年上の圭が纏う、歳月を重ねた落ち着きと余裕のある物腰に、美陽は強く惹きつけられた。

資料にコーヒーをこぼして慌てふためく彼女に、彼は清潔なハンカチを差し出し、穏やかな声で言った。

「焦らなくていい。ゆっくりやりなさい」

その目元に宿る優しい微笑みを見た時から、美陽は引き返せないほど圭にのめり込んでいった。

離婚歴があり、息子がいることも知っていた。彼の周りにはもっと成熟した美しい女性がいくらでもいた。それでも美陽は、飛んで火に入る夏の虫のように圭を求めた。

圭は当初、良き先輩としての距離を保っていた。だがある雨の夜、深夜まで残業した彼女を家まで送ってくれた時のことだ。

薄暗い車内で、美陽は勇気を振り絞って尋ねた。

「葛西社長……私のような、身の程知らずな想いは……迷惑ですか?」

長い沈黙の後、圭の手がそっと彼女の頭に置かれた。

「美陽、お前はまだ若すぎる」

「私、後悔はしません」

それから二人は結ばれた。

圭は美陽の好みをすべて把握し、彼女が残業で夜更かしすれば胃に優しい食べ物を密かに注文してくれた。幼い悩み事にも辛抱強く耳を傾け、豊かな人生経験から適切な助言をくれた。

美陽は、圭の成熟した大人の包容力に心酔した。彼さえいれば、世の荒波もすべて防いでくれるような気がしていた。

交際して一年後、二人は正式に結婚した。

だが、結婚後の現実は一変した。

圭は出張で多忙を極め、美陽の誕生日を祝う余裕もなく、病気の時でさえ看病してはくれなかった。

息子の幸人は美陽を敵と見なし、泣き喚いては嫌がらせを繰り返した。そのたびに、美陽が折れることで場を収めてきた。

そして今……自分の子を殺すことまで、譲歩しろというのか。

――なんて滑稽なのだろう。

床にうずくまる彼女を見て、圭の瞳にある静寂が、ようやく微かに揺れた。

彼は彼女のそばに歩み寄り、その肩を抱き寄せた。

だが、美陽は力任せに圭を突き放した。

「触らないで!」

圭はなおも彼女を強く抱きしめた。

「約束する、譲歩するのはこれが最後だ。幸人がもう少し……」

なだめるような言葉を最後まで言わせず、美陽は冷たい声で遮った。

「圭、子供はおろすわ。決めたの。自分の子を、幸人みたいな人間にはしたくないもの」

赤く腫らした目で圭の視線を真っ向から見据えた。この瞬間、かつて彼に抱いたときめきは、もう欠片も感じられなかった。

「圭……離婚ましょう」

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)