彼女は地獄のような場所で、一輪の希望を咲かせた第1話
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妊娠中、情緒が不安定な私・朝比奈静葉(あさひな しずは)を心配して、夫が気を利かせ、親友の九条夏帆(くじょう かほ)と一緒に美味しいものでも食べて気分転換でもしてほしい、という計らいで、プライベートジェットを手配し、帰国させてくれた。
帰国後私は、その足で夏帆が予約してくれた行きつけのレストランへ向かった。
だが、個室のドアを開けた瞬間、室内にいた全員が一斉に顔を上げ、きょとんとした。
私はすぐに、部屋を間違えたことに気づいた。
「静葉さん?」誰かが私の名を呼び、鼻で笑ったようだった。「さっきグループチャットで言ったでしょ?今日の同窓会は、大学入試で高得点を取った人限定だって。あなたみたいな偏差値すら平均に届かないのが来てどうするの?」
その言葉が終わるのと同時に、個室内にくすくすと笑い声が広がり、続いて別の声が聞こえてきた。
「どうせ拓野さんが来るのを知ってて、よりを戻しに来たんだろう」
* * *
妊娠中、情緒が不安定な私・朝比奈静葉(あさひな しずは)を心配して、夫が気を利かせ、親友の九条夏帆(くじょう かほ)と一緒に美味しいものでも食べて気分転換でもしてほしい、という計らいで、プライベートジェットを手配し、帰国させてくれた。
帰国後私は、その足で夏帆が予約してくれた行きつけのレストランへ向かった。
だが、個室のドアを開けた瞬間、室内にいた全員が一斉に顔を上げ、きょとんとした。
私はすぐに、部屋を間違えたことに気づいた。
「静葉さん?」誰かが私の名を呼び、鼻で笑ったようだった。「さっきグループチャットで言ったでしょ?今日の同窓会は、大学入試で高得点を取った人限定だって。あなたみたいな偏差値すら平均に届かないのが来てどうするの?」
その言葉が終わるのと同時に、個室内にくすくすと笑い声が広がり、続いて別の声が聞こえてきた。
「どうせ拓野さんが来るのを知ってて、よりを戻しに来たんだろう」
「残念だねえ、もう無理だよ。拓野さんは今、市立病院の院長で、まもなく市長の娘さんと結婚するんだから。二人は正真正銘のハイスペックカップル。三流大学卒のお前がしゃしゃり出る幕はないんじゃないのか?」
「そうそう、当時、拓野さんは誰もが羨むほど、あれだけ尽くしたのにね。結果どう?拓野さんとの子供は障害児で、おまけに死んだらしいじゃない。それも自分が監督ミスだったんだろ?」
それを聞いて、私が説明しようとした瞬間、視界の隅に一人の男が見えた。あれは私がかつて6年間もの結婚生活を共にしてきた元夫の神谷拓野(かみや たくや)だ。そして彼は今も変わらず、無表情にお酒を飲んでいるだけで、私と目を合わせようともしないのだ。
高校時代の拓野は、周りから羨ましがられる彼氏で、私にとことん尽くしてくれてた。
私が物理の先生に叱られて泣いている時は、拓野は休み時間にわざわざ先生を呼び出し、私のために弁解をしてくれた時もあった。
私が他校のヤンキーに絡まれた時も、拓野が駆けつけて一人で全員をボコボコにしてくれた。さらに、私に「怖い思いをしてないか?」と一番に声をかけてくれた。
私の成績が伸びずに悩んでいた夜は、寮に忍び込んで、一晩中、私に数学の解き方を優しく教えてくれた。
極めつけは卒業式の当日、校門で人混みの中、みんなが見ている前で私にキスをしてくれたことだ。その写真が噂となり、いいね数は300万を超えた。
当時、コメント欄には、これこそが理想のカップルという言葉が溢れていた。
当然の流れで私たちは結婚した。8年間ずっと愛し合っていて、卒業から結婚まで、一生このまま添い遂げるものだと信じていた。
でも、すべてが崩れたのは、息子の神谷安人(かみや やすと)が生まれた瞬間のことだ。
息子が自閉症だと診断された日、拓野は私を抱きしめて慰めることなく、バルコニーで朝までタバコを吸い続けていた。
そこから口喧嘩が絶えなくなった。安人の治療方針、教育施設、病院の予約、どちらが仕事を休んで付き添うか……
私は拓野が無関心だと不満を持ち、拓野は私が取り乱していると責め続けた。
結局、拓野も嫌気がさしたようで、私と話すことすら避けるようになった。彼は家から逃げるように病院に泊まり込み、「忙しいから」と言って、私を突き放した。
「もし子供がまともじゃないなんてわかっていたら、俺は君となんて結婚しなかった」
そして、安人が急死した日、私たちは喧嘩をすることもなく、淡々と納骨を済ませて、離婚届を出しに行った。
……
「静葉?」
そう思い返していると、いつの間にか夏帆が扉の外に立っていた。どうやら私が別の部屋に入ったことに気づいて探しに来たようだ。
夏帆が私の手を引き、焦った様子で言う。「ちょっと、やっと見つけたわよ!
旦那さんから私に連絡がなかったら、もう来てたなんて気が付かなかったよ!さっきから旦那さんの電話がひっきりなしに掛かって来ているんだけど、あなたがこれ以上現れなかったら、警察に連絡をしていたかもよ!」
夏帆はそう言って私を引きずりながら部屋を出ようとした瞬間、後ろでクスクス笑う声が聞こえた。
「うわ、これは役者でも雇ってきてるってこと?」
「拓野さんが今さらお前に未練なんてあるわけないだろ?結婚したフリなんて誰に見せつけるんだよ」
「ほんと、そんな見苦しい茶番で私たちをバカにするのも大概にしてよね」
嘲笑が激しくなる中、主席にいた拓野がようやく口を開いた。
「いいから」
拓野がグラスを置き、冷たい眼差しで私を見た。
「静葉。そういう卑怯な手段はいい加減にしろ。一度別れた女とよりを戻すほど、俺は未練たらしくないんだ。
しかも、もう腐れ切った縁だ。よりを戻すなんてもってのほかだからな」
その言葉に、部屋の空気が一瞬固まり、気まずい沈黙が続いたあとクスクス笑いが聞こえてきた。
夏帆がブチ切れそうになったが、私は彼女を止めて勢いよく個室を出た。
だから去り際、後ろから向けられた鋭い視線には気が付かなかったのだ。
一方、夏帆はまだ腹を立てていた。「何なのよ、あの男。学生時代はあなたにへばりついていたそうじゃない、今になって気取るようになったわけ!」
それを聞いて、私は苦笑いしながら、彼女をなだめた。
それから帰宅後、私は夫の朝比奈陽翔(あさひな はると)に電話した。そして帰国後に起きた他愛のない話で笑い合った。拓野はというと、二度と会うこともないだろうし、どうでもいい存在だから、敢えて口にしなかったのだ。
まして陽翔は独占欲が強すぎて、勘ぐられるのも面倒だしね。
しかし、まさか次の日に病院の廊下で、白衣姿の拓野に遭遇するなんて、私も予想外だった。
彼に気づいて少し歩みを緩めたが、それでも私は見て見ぬふりをして産婦人科へと急いだ。
「静葉」
拓野は私を呼び止めようとした。だが、私は振り返らなかった。すると、背後から追いかけてきた彼が私の腕を強く掴んだ。
そのひんやりとした長い指に力はそれほど込めていなかったが、離そうともしなかった。
それを見た通りかかった看護師も不思議そうに私たちに視線を向けた。
私は渋々歩みを止めて振り返るしかなかった。
一方、拓野は苛立ちを隠さずに私を見下ろした。
「何をするつもりだ?
昨日は同窓会、今日は病院か?俺と会うために病気の振りまでするなんて、どんだけ俺に未練があるんだ?わざわざ気を惹こうとするなんて見苦しいと思わないか?」
私はおかしくて吹き出しそうになった。
「拓野さん!」
その時、可愛らしい声に、拓野はすかさず手を離して目を向けた。
そこに、ポニーテールをした女性が拓野を慕うような瞳で笑いかけているのだった。
「3番の患者さん、ついに協力してくれることになったわ!3日間通い詰めて、私の手作りの差し入れをしたら、今日、ついに笑顔を見せてくれたの!」
それを聞いて、拓野はふいに口角をあげ、冷たいその表情が嘘のように和らいでいった。
そして、彼女が話し終えると、ようやく私に気づいたようだった。
「あ、そちらの方は……」
拓野は答えなかったから、彼女は少し考えるような表情を浮かべてから、ニコッと笑った。
「診察でしょうか?あいにく拓野さんは忙しいのよ、診察も予約待ちでいっぱいなんです。だって、拓野さんを頼ってくる方は山ほどいますからね」
この女性は市長令嬢で、当時拓野のもとで研修をしていた、江藤莉香(えとう りか)だ。
そして、私たちの結婚生活に深く刺さった「トゲ」でもあった。
当初、何度か莉香について拓野と言い合ったけれど、いつも彼は私に「大人げない」、「研修医相手に嫉妬するなんてどうかしてる」と言い返してきた。
だけど、本当に彼が言うように私はどうかしているのだろうか?
実際、莉香が医療ミスをした時は、拓野が全部責任を被って始末書を書いた。
莉香がカルテを書けずトラブルになった時も、彼は自分のサインで彼女のミスを隠蔽しようとした。
莉香が患者に食ってかかった時も、拓野が盾となって罵倒を受け止めた。
息子の安人が障害児として周囲に責め立てられて私が途方に暮れていた時、拓野はいつも莉香の傍に付き添ってあげていた。
だが、今となってはもはやどうでもいいことだ。私は莉香の皮肉には構わず、そのまま産婦人科へと向かった。
産婦人科の診療室で、私は席につくなりすぐに言った。
「木下先生、私、転院したいんですが……」
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