幾千の想いが春風に散る時第3話
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電話を切った未幸は、迷いなく車のドアをノックした。
少しして車窓が下がり、健之の鋭い視線が覗いた。
未幸は無言でドアを開け、そのまま車内へ乗り込む。甘ったるい香水の匂いが鼻をつき、顔をしかめながら口を開いた。
「タイミング悪いと困るから、一応確認のために電話しただけ」
健之は一瞬だけ戸惑ったが、特に言い訳する様子もなかった。
代わりに視線を雅美に向け、優しく頬を撫でて落ち着かせる。
「やだぁ、くすぐったい~」
雅美はくすくす笑った。
運転中の健之は、片手でハンドルを握りながら、もう一方の手で雅美と指を絡めていた。
しばらくして、雅美が未幸のほうに振り向いた。
「未幸さん、もう体は大丈夫?今日は健之さんと一緒に迎えに来たんですよ」
さっきまで激しくキスしていたせいで、雅美の唇は腫れ、頬には赤みが残っていた。
未幸は目を伏せたまま、冷たく返す。
「家族の序列的には、彼ってあなたの『おじさま』にあたりますよね」
雅美は健之の父と親しい名家の孫娘で、身体が弱く、十五歳のときに療養のため藤崎家へ預けられてきた。
彼女を初めて見たのは、健之の父親の誕生日パーティーだった。
純白のドレスに身を包んだ雅美は、まるで咲き誇るカラーの花のようだった。
つい健之に目をやると、普段は冷淡なその瞳が、まるで恋に落ちたように燃えているのが分かった。
十年以上も健之を追い続けてきた未幸にとって、それは衝撃だった。どれだけ手を尽くしても、その瞬間に芽生えた感情は止められなかった。
健之は、雅美に一目惚れしたのだ。
二十三歳の男が、十五歳の少女に恋をした。
当時の未幸には、それがどういう感情なのか、どう捉えていいのか分からなかった。
ただ唯一、救いだったのは、家系の序列上、健之は雅美の「叔父」にあたる立場だったということ。
健之は理性的な人間。たとえ想いを抱いたとしても、倫理の一線は超えないはず――未幸はそう信じていた。
けれど、それはただの甘い幻想にすぎなかった。
健之にとって、倫理も、常識も、束縛も……何の意味もなかった。
雅美のためなら、どこまででも堕ちていける男だった。
そして、雅美が十七歳になったころには、すでに二人は関係を持っていた。
「……未幸さん……」
雅美がうるんだ瞳で健之の袖をそっと引く。
すると健之の顔が冷たくなり、声も鋭くなった。
「そんなこと言っても、もう意味はない」
未幸は軽く頷いた。たしかに、今さら意味なんてない。
目の前のこの二人には、道徳も羞恥心も存在しない。
雅美は決して、健之が理想化しているような「無垢な少女」なんかじゃなかった。彼女には、別の顔がある。
ここ一年で、未幸は何度も雅美から挑発的なメッセージを受け取っていた。
内容は、健之とのベッドシーンの動画や、目を覆いたくなるような写真の数々。
昨夜も、こんなメッセージが送られてきたばかりだ。
【自殺ごっこして何になるの?健之さんはそんなことで動じないよ?あんたみたいな追っかけ、死んでも眉ひとつ動かさないわ】
【それに、私の成人式、ちゃんと補ってくれたし】
その下には、プレゼントの山、十指を絡め合う二人の写真、破れたドレス、そして――使用済みのコンドームの画像。
思い出すだけで胃がむかむかとする。未幸は口元を手で覆い、ぎゅっと目を閉じた。
そんな彼女を、健之がじっと見つめる。彼の知っている未幸は、どんなに冷たくされても平然と耐える女だった。
以前なら、ほんの少し突き放しただけで、彼女は夜も眠れずに自己嫌悪に陥り、翌朝にはおずおずと謝ってきた。
たとえ、彼女が何もしてなかったとしても。
「……またそんな演技かよ?」
苛立ちを含んだ声で言い放ったそのとき、健之は気づく。未幸の手の隙間から、赤い血がにじんでいるのを――
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