幼馴染を選んだ夫の結末第1話
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千利と口をきかない状態になってから一か月。
彼は音楽フェスティバルのVIPリストバンドを二本差し出し、結婚記念日に一緒にフェスを見に行こうと私を誘った。
あの日、私は念入りに身支度を整えた。
けれど、入場ゲートでチケットを確認する段になっても、彼は現れなかった。
仕方なく一人で入ろうとリストバンドを取り出そうとしたとき、バッグの中からそれが消えていることに気づいた。
ちょうどそのとき、千利の幼なじみである凪希がSNSを更新した。
写真には、真面目な顔でピンクの綿あめを掲げる千利の姿が写っている。
いつもの冷徹なエリート然とした雰囲気とはまるで別人だった。
添えられた文は――
「ついにドミ・ドラ様に会えました~!いつでもお願いを聞いてくれるあの人に感謝」
バッグの空っぽの仕切りを見つめながら、私はすべてを悟った。
もし以前の私だったら、千利と激しく言い争い、理由を問い詰めていたはずだ。
けれど今は、ただ肩の力が抜けるような感覚しかなかった。
5年。
積み重なった失望があまりにも多すぎて、もう疲れてしまった。
* * *
矢田部千利(やたべ せんり)に18回電話をかけたが、彼は一度も出なかった。
VIP入口の外では人々が熱狂し、歓声が次々と湧き上がっているのに、私の耳に届くのは冷たい機械音声だけだった。
本当は、もう薄々わかっていた。
千利は、また私を裏切ったのだ。
それでも、どうしても答えが欲しくて、私は何度も何度も電話をかけ続けた。
聞き慣れた呼び出し音が繰り返されるたび、心が少しずつ沈んでいく。
フェスはちょうど最高潮を迎えているらしく、会場内からは耳をつんざくような歓声が響いてきた。
重低音がフェンス越しにも伝わり、地面が震えているのがわかる。
その熱気はチケットを持たない外の観客たちにも伝染し、皆がペンライトを振りながら叫んでいた。
その中で、私だけがスマホを握りしめたまま、場違いに立ち尽くしていた。
画面に表示された27件の不在着信を見て、ふと、彼が来るかどうかなんて、もうどうでもいい気がしてきた。
一か月の冷戦が終わるかもしれないという、あのわずかな期待は、この27回の電話で完全にすり減ってしまった。
たとえ今千利が駆けつけてきたとしても、もうやり直そうという気持ちは残っていない。
深く息を吸い、気持ちを整えると、私は一人で入場しようとバッグを開いた。
千利に気分を台無しにされたとはいえ、この音楽フェスティバルは、私が十年以上も好きで追い続けてきたバンドのトリのステージだ。
子どもの頃からずっと来たいと思っていた場所。
せっかく手に入れたVIPリストバンドだ、一人でも絶対に入る。
そう思って仕切りを開いた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
――何もない。
数日前、大事にしまっておいたはずの二本のリストバンドが、消えていた。
どこかに入れ替えたのかと必死に記憶を辿っていると、スマホが通知音を鳴らした。
開いてみると、小熊凪希(おぐま なぎ)がSNSを更新した。
そこには、ピンクの綿あめを手に、どこかぎこちない表情で立つ千利の姿。
普段の冷静沈着で全てを掌握するエリート像とは、まるで噛み合っていない。
添えられた文は――
【ついにドミ・ドラ様に会えました~!いつでもお願いを聞いてくれるあの人に感謝】
どうしても繋がらなかった電話と、消えたリストバンド。
そのすべてが、一瞬で繋がった。
千利の昔なじみのグループチャットでは、共通の友人がそのスクリーンショットを共有していた。
【え、千利本当にフェス行ってるのか?】と朋輝。
【完全に凪希に惚れ惚れだな】と知里が続く。
【今週末は奥さんと予定あるって言ってなかったっけ......?】と別の誰か。
彼らは口々に、千利にとって凪希がどれだけ特別か、二人がどれだけ仲がいいかを語っていた。
――誰一人として、私のことには触れない。
結婚して5年になる、本当の妻であるこの私のことを。
朋輝が「パーティーに誘ったのに忙しいっていう理由で断られたよ」と書いているのを見て、私は一瞬ぼんやりした。
数日前、千利がバルコニーで電話していたとき、「行けない」「週末は用事がある」といった言葉がリビングにかすかに聞こえてきたのを思い出す。
あのときの私は、少し浮かれていた。
今日の約束を、彼はちゃんと大事にしてくれているのだと。
これまで音楽フェスティバルなんて興味がないと言っていた彼が、わざわざ友人の誘いを断ってまで、私に付き合ってくれるのだと。
だから私は、この日の夜のレストランも早々に予約していた。
フェスのあと、こちらから少し折れて、この一か月のケンカに終止符を打とうと思っていた。
――確かに、千利はこの約束を大事にしていた。
ただし、相手は私ではなく、凪希だった。
しかも彼女を中に入れるために、私に渡したはずのリストバンドまで、こっそり持ち去っていたのだ。
思わず、自分がひどく滑稽に思えた。
VIP入口の外で、彼を待ちながら焦っていたあの時間。
その頃にはもう、彼は凪希と一緒に中へ入っていたのだ。
私に残されたのは、空っぽのバッグと、決して繋がらない電話だけ。
もしかして最初から、私と一緒に見るつもりなんてなかったのではないか。
ただ形だけ取り繕って、適当にあしらっていただけではないか。
――そんな考えが、頭をよぎる。
彼が珍しく歩み寄ってきたのだと、私は勝手に期待していたのに。
考えているうちに、頬がかすかにむずがゆくなった。
手で拭うと、手のひらがしっとりと濡れていた。
そのとき、隣でフェス配信を見ていた二人の女の子が、突然歓声を上げた。
「やば、甘すぎるでしょ。やっぱり理想の彼氏ってよその旦那だよね」
「真顔で綿あめ持って彼女の推し活に付き合うとか、そのギャップ最高すぎ!」
思わずそちらを見ると、画面の中で凪希が恥じらうように千利の胸に顔を埋めていた。
千利は彼女の腰をしっかりと抱き寄せ、二人はまるで恋人同士のように密着している。
その瞬間、胸の奥で何かがはっきりと砕ける音がした。
破片が心臓を内側から切り裂いていく。
――5年間の間違いも、もう終わりにすべきだ。
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