偽物の愛にさよならを第3話
この話は約1378字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
タクシーに乗り込み、私は住所を告げた。
運転手はバックミラー越しに、古びた団地の景色をちらりと見て、意味ありげに眉を動かす。
「お嬢ちゃん、ずいぶん思い切った引っ越しだねぇ」
私は窓の外を淡く一瞥し、そのまま視線を落としてメッセージを返した。
「ええ。婚約者と結婚準備するので」
「そりゃおめでとう!あの辺に住んでる人なんて、みんな大金持ちだよ」
私はそれ以上答えなかった。
代わりに、ウェディング司会者から送られてきた進行表を少し修正し、再送する。
車を降りたあと、スーツケースを引きながら街をしばらく歩いた。
そのとき背後で、急ブレーキの音と怒鳴り声が響く。
「は!?お前、なんで俺ん家知ってんだよ!?調べたのか!?」
私のスーツケースを見た瞬間、岳はさらに怒りを募らせた。
「しかも荷物まで持って来るとか、うちの親に直接結婚認めさせる気か!?頭おかしいだろ!」
私は首を横に振る。
「違う。あなたがここに住んでるなんて知らなかった」
彼の表情が、じわじわと冷え込んでいく。
そのまま私の手首を掴み、車へ引きずるように連れて行った。
「まだシラ切る気かよ。前から思ってたけど、お前こんな計算高い女だったんだな」
思わず笑ってしまった。
「前は私のこと『馬鹿』って言ってたのに、今度は『計算高い』?岳、あなたの中で私は一体どういう人間なの?」
ドアが閉まった瞬間、彼は私を窓へ押しつけ、そのまま唇を奪った。
乱暴に噛まれ、口の中に血の味が広がる。
鉄臭さが濃く滲んだ。
彼は目を伏せ、低く言う。
「詩野。俺、お前のことは好きなんだ。でも結婚は、ちゃんと順番考えないとだめだろ。少なくとも......遥が先に結婚するまでは待ちたい。あいつが幸せになったって確認したいんだ」
私は吹き出した。
笑ったはずなのに、涙が彼の指へぽたりと落ちる。
「でも私は待てないわ」
籍を入れたと信じた瞬間、真っ先に祖母へ報告した。
あんなに弱っていた祖母が、少し元気を取り戻して。
私の結婚式を楽しみにしていた。
なのに今さら、7年間も人に弄ばれてたんだ、なんて。
そんなこと言えるわけがない。
私が頑として折れないのを見て、岳はとうとう苛立ちを爆発させた。
ドンッ、と耳元の窓ガラスへ拳を叩きつける。
ガラスが低く震えた。
「だからお前は親にも捨てられたんだよ!そんな性格、誰も耐えられないだろ!
結婚式したい?お前側、呼べる人間一人でもいるのか?」
胸が激しく上下する。
息が苦しい。
――昔、この男は私を抱き締めながら、傷跡に何度もキスしてくれた。
「詩野は悪くない。何も悪くないんだ。
傷つけた奴らのことなんかもう考えるな。俺たちの未来だけ考えよう」
私は手を振り上げ、彼の頬を叩いた。
「出て行って!」
岳の目が陰る。
彼は無言で車のドアを開け、私を外へ突き飛ばした。
「せっかく優しくしてやってんのに。じゃあ別れようぜ!」
私は地面へ倒れ込む。
車輪はあと少しで、私の指を轢くところだった。
私は慌てて追いかけた。
けれど足をもつらせ、また地面へ転ぶ。
必死に彼の名前を叫んだ。
岳はバックミラー越しに私を見て、冷たく笑う。
「素直じゃねぇな」
スポーツカーは速度を緩めることなく走り去った。
きっと彼は、自分が私に「罰」を与えているつもりなのだ。
私が泣いて謝り、縋ってくると思っている。
でも私はただ、荷物を返してほしかっただけ。
スーツケースの中には婚姻届が入っているから。
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