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さようならは蜜の味第3話

この話は約2001字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

希和は一人で病院へ向かった。

到着すると、ちょうど廊下の向こうで、一臣がひよりの手に薬を塗っている姿が目に入った。その手つきは、驚くほど丁寧で、優しかった。

「一臣……私だけ連れてきちゃって、希和……怒ってないかな?」

ひよりが不安そうに尋ねると、一臣はあっさりと肩をすくめた。

「平気だよ。あいつ、子どもの頃から打たれ強いからさ。熱湯くらい、どうってことないって。昔なんか、ケンカで腕を折られたのに、泣きもせずにケロッとしてたんだぞ」

その話にひよりがくすっと笑うと、一臣も目元を和ませた。

「でも……お前は違う。もし痕でも残ったら……俺、耐えられないから」

階段の陰からその様子を見ていた希和の胸に、冷たい苦さがじわじわと広がっていく。

彼女は当時のことを思い返した。

不意打ちを受けた一臣を、真っ先に庇ったのは希和だった。

腕の骨を折っても泣かなかったわけじゃない。痛すぎて、声すら出なかったのだ。それから、もし声を出したら、一臣の気が逸れると思って、我慢した。

そんな彼女のそばに、一臣はずっとついていてくれた。あれがふたりの関係が近づいたきっかけだった。

あの頃は、痛いと言わなくても、一臣が希和を気にかけてくれていた。

けど今は違う。さっきあんな話ができるのは、彼の心にもう希和がいないからだ。

希和の肌は白くて、少し擦れただけでも痕が残る。そのことを、一臣は誰よりもよく知っていたし、彼女自身よりも早く痕に気づいてくれていた。

そして、その痕に気づくたびに、彼は今ひよりに注いでいるのと同じような優しさと心配を見せていた。

胸元にできた大きな水ぶくれが痛み、肌を刺すような感覚が希和の理性を削る。

――誰にも見つからずに処置だけして帰ろう。

そう思っていたのに、ひよりに見つかってしまった。

「……希和?やっぱり来てたんだね。一臣が持ってきた薬、まだあるから貸してあげるよ」

足が止まりかけたが、傷を見られたくなくて、希和は顔を伏せたまま歩き続けた。

「ありがとう。でもいらない」

冷たく返すと、ひよりの声が少し沈んだ。

「……怒るのも無理ないよね。私が悪いんだから」

その瞬間、一臣の表情が険しくなり、希和の手首をつかんで壁際へ押しつけていた。

「ひよりが気を遣って薬貸そうとしてんだろ?なんなんだよ、その態度!」

――もう限界だった。

食あたりで倒れ、大雨の中を二時間も歩いた後に熱を出し、今日は火傷して、さらに壁に押しつけられている。

内臓がずれるような不快感に耐えながら、希和は必死に一臣の腕を振りほどこうとした。

その拍子に、一臣の手が水ぶくれに触れ、皮膚が裂けた。

「いった……!一臣、離して!」

苦しげな声にようやく異変に気づいたのか、一臣は希和の胸元を見て、愕然とした。

鎖骨の下、皮膚は赤くただれ、水ぶくれは破けていた。目を背けたくなるほど痛々しい傷だった。

一臣の目が揺れ、そしてようやく希和の手を放した。

「……そんなにひどい火傷してたなんて……どうして言わなかったんだ?」

希和は、うっすらと笑って見せた。

「……何も言わせなかったのは、そっちでしょ」

サロンでも、さっきも、彼が口にしたのは責める言葉ばかり。少しでも彼の心が希和に向いていたら、この火傷に気づかないはずがなかった。

一臣が何か言いかけたそのとき、看護師が通りがかり、希和の火傷を見て驚いたように声を上げた。

「なにしてるんですか!これ、すぐ処置しないと炎症を起こしますよ。揉めてる場合じゃないでしょ!」

希和は一臣を振り返ることなく、そのまま処置室へ向かった。

処置が終わって廊下へ戻ってきた時には、一臣とひよりの姿はもうなかった。

けれど、不思議と心は沈まなかった。最初から、何も期待なんてしていなかったのだから。

両親に顔を合わせるのも気が重くて、希和は実家には帰らず、一臣とのマンションへ向かった。

そこは、一臣と交際を始めた頃に彼が購入し、ふたりが密かに会っていた場所。

狭い部屋だったが、彼との思い出が詰まっていた。

夜の営みにこだわりの強かった一臣のせいで、部屋の隅々にその痕跡が残っている。

希和はあたりを見渡し、海外に行く前にこのすべてを片付けようと決意した。

真っ暗な空を見て、希和はどうしても眠れず、いっそスマホを取り出して、出国後の計画を練り始める。

カウントダウンアプリを入れて、出発日までの日数をセットする。

計画を立て終えた頃、スマホが鳴った。親友の大西瑠璃(おおにし るり)からだった。

「希和ちゃんが海外に行くって佳奈(かな)たちにも話したから、出発前にみんなで集まろうって。ちょうど誕生日も近いし、お祝いも兼ねてさ」

「うん、いいよ。私も渡したいものがあるし……たぶん、しばらくは帰ってこないと思うから」

そう言った瞬間、玄関のドアが突然開いた。

電話を片手に話す希和の前に、一臣が現れた。

険しい顔をして、低い声で問いかけてくる。

「……帰ってこないって、どういう意味?」

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